8月リクエスト-10
昼食も終わって、午後は実際に触れ合える動物がいるコーナーに行こうという話になった。
たどり着けば、そこにはやっぱり子供の山。
きゃいきゃい騒ぎ声があちらこちらから上がっている。
子供もあんまり得意じゃない俺は、少しげっそりしてしまった。
けど、コンビニ店員は気にならないらしい。
「行こう。山羊いるよ」
白い生き物が、柵の中で動き回っているのが見える。
子供が追いかけたり、逆に近寄られて逃げ回ったりしているのが見えた。
それを見て、俺はぎゅっとヤツの服の裾を握った。
「でかいの、無理」
「え?そうなの?ともあきさん動物好きそうなのに」
アリクイには近づいていったくせに、と笑われる。
あいつはゲージの中にいたじゃねえか。
嫌いじゃねえけど、でかいのは苦手なんだよ。
俺が大きな動物がいる柵に近づかないでいると、「あれは?」と男が違う柵を指差した。
柵に付いたプレートに書かれた『ウサギ』の文字。
柵の中を覗いてみると、様々な毛色のウサギがいた。
飛び跳ねて追いかけあったり、丸くなって寝ていたりする。
この大きさなら俺でも大丈夫かもしれない。
「入ってみますか?」
係員に微笑まれたので、頷いてその柵の中に入ってみることにした。
ヤツはついてこない。柵の外から、ひらひら手を振っていた。
小学生低学年と思われる男の子が、ウサギを抱きかかえている。
それを見て、若干羨ましく思った俺もウサギに近づいた。
だが、どうやって抱き上げればいいかわからない。
とりあえずしゃがみ込んで背を撫でる。
ひくひくと鼻を動かしているのが可愛い。
他の人が背中を掴んで持ち上げて抱いているのを見て、見よう見まねで持ち上げる。
掴み方が悪いのか、ウサギは暴れて逃げてしまった。
他のウサギでも試すが、なかなか上手く行かない。
......なんか、悲しい。
「こうやればいいんだよ」
腰の高さの柵の外から、コンビニ店員が手を伸ばし簡単に掴んで抱き上げてしまう。
「ほら」
胸元にウサギを抱く男が、俺に微笑みかけてくる。
ウサギのつぶらな瞳に引かれて近づくと、ヤツに身を寄せられてウサギを渡された。
やべえ。なんだこの生き物。
自分の腕の中で大人しくしているウサギの愛らしさに、俺は笑顔を浮かべた。
「可愛い」
「うん。そうだね」
「ふわふわしてる」
「......ともあきさん」
「なに?」
ぎゅっとウサギを抱きしめて、俺は男を見上げた。
見上げた先の、コンビニ店員の視線はなぜか彷徨っている。
耳元に、顔を寄せられた。
「ともあきさんの方が可愛い。大好きです」
そう言って、晴れやかに笑う。
............。
俺は無言で男から離れた。
ウサギを抱く俺を羨ましそうに見上げる子供がいたから、その子供にウサギを抱かせてやる。
そして、柵から出た。
「ともあきさん?」
名前を呼ばれても振り返らずに歩く。
背後からついてくる気配があるが無視した。
ぶらぶらとそれなりに広い動物園内を、人ごみを嫌って人の少ない場所を選んで歩いていく。
いくつも檻やゲージを通り過ぎるが、眺める気にもなれない。
だんだん早足になる俺に、ヤツも焦れたらしい。
タタタ、と足音が聞こえたと思ったら、手首を捕まれた。
「どうしたの急に」
顔を覗き込もうとするヤツから顔を逸らし続け、離れようとする。
やめろ、離せよ。
そんな俺に、ヤツは呆れたようなため息をついて、更に人気のない建物の裏側に連れ込まれた。
「ほら、俺を見て」
俯いた顔を、無理やり上げられる。
「......」
視線の端で俺の顔を見た男が、わずかに目を見開いた。
そして、ふっと笑う。
壁に俺を押し付けながら、覆いかぶさってくる。
「顔、赤いよ」
吐息が掛かるほど近い位置で、囁かれた。
気のせいだ。お前の。
俺の顔を包む手を外そうとその手を掴むと、指に唇が落とされる。
「可愛い」
「キモいこと、言うな」
低い声で牽制するが、ヤツは堪えない。
「なんで?恋人のこと可愛いと思ったら駄目?」
甘さを含んだ言葉が降ってくる。
「駄目」
離せって。この馬鹿。
「珍しいよね、ともあきさんが赤くなるの」
「......俺、変」
なんで俺、こんなにドキドキしてんだ?
自分がわからなくて、腕で顔を隠す。
すると抱きしめられて、動けなくなった。
「好き」
やめろよ。
「大好き」
やめろ。
「......愛してる」
ヤツが言葉を紡ぐたびに、俺は苦しくなる。
追い詰めるために発しているようにしか思えなくて、俺は背伸びをした。
背伸びをして、その口を塞ぐ。
......自分の唇で。
帰り道は自己嫌悪でいっぱいだった。
夕日で赤く染まる道を、バイクで走る。
上機嫌でバイクに乗る男の背にしがみ付いて、俺はヘルメットの中でため息を零した。
なんで俺、自分から......。
いや、いいんだけど。別に。そんぐらい。......でも。
誤魔化したような気がしてならない。
ちゃんと返せればいいのに、言葉で出ない。
貰うばっかりで、返せてねえ。
......くそ。
薄暗くなったぐらいの時間に、俺は家の前まで送られた。
「じゃあ、また明日」
去り際はあっさりとしていた。
俺が何も言わなくても、笑顔で帰っていく男。
口は開いたけど、やっぱり言えなくて。
がっくりと肩を落として俺は家に入る。
母さんと父さんと一緒にごはんを食べて、しばらくすると兄も帰ってきた。
「どうした?元気ねえなニート」
ソファーで膝を抱えて座っていると、兄にぐしゃぐしゃと頭をかき回された。
今日は早い時間の帰宅だったため、起きていた母が兄の夕食の支度をする。
用意しながら、母は苦笑した。
「トモくん変なのよ。夕食も好物の佃煮、食べなかったし」
「へえ?佃煮大好きなくせに、どうしたんだ」
くいくいっと耳を引っ張られた。
なにもなくとも、俺にちょっかいを仕掛けてくる癖のある兄。
うるせえなあ。それどころじゃねえんだよ俺は。佃煮は確かに好きだけど......。
「......佃煮、好き」
口に出して言ってみる。
好物は言える。
「犬も、好き」
「あ?吼えられるから嫌いとか言ってなかったか」
呟きを聞きとめられて、兄が不思議そうな顔をする。
「大きい犬、好き」
「はいはい」
「俺に懐く犬は、大好き」
「うるさいから黙れ」
そばにあったクッションを投げつけられて、俺はひっくり返った。
翌日、またヤツのバイトの帰りに会って話をした。
「元気で、大きくて、俺に懐く犬は大好き」と言ったら男は変な顔をした。
「俺以外のものを好きって言うのを聞くと、なんか嫉妬する」と不機嫌そうな表情をするから「鈍感は嫌い」とも言ってやった。
......駄目だこいつ。
俺は大きくため息をついた。