3月-8
「...............あともう1つ、言っておきたいことがある」
俺が思考の深みに落ちていると、和臣は低い声で告げた。
ソファーから降りて、床に正座してしまう。
見上げてくる和臣の、その緊張を含む表情に、これ以上に凄い秘密があるのかと、俺まで居住まいを正してしまった。
な、なにを言うんだろうか。
「俺、昭宏さんがともあきさんのお兄さんだって知ってた。......生馬さんが昭宏さんと知り合いだって知って、家庭教師、無理にお願いしてもらったんだ。生馬さんは知ってる?」
知ってる。
俺はこっくりと頷いた。
兄の同級生で、暴力団の組長の息子様。
顔を会わせるたびに、小さかった俺の頭を笑顔で撫で回していた。
俺が大学に入る頃には、家に遊びにくることもなくなったから、兄から時々話を聞くだけだが、どうやら今じゃしっかり『若』として帝王学を勉強中らしい。
思わぬところで、懐かしい名前を聞いた。
和臣が生馬さんと知り合ったのは......苗字が変わってからのことか。
しかし。
いつ、昭宏が俺の兄だと知る機会があったんだ?
不思議に思ったことが、顔に出たんだろう。
視線を合わせた和臣は、その場で俺に土下座した。
「ごめんね。ホントごめん」
「......」
つい、ぽかんとしてしまう。
え、何を急に、俺は謝られたんだ?
疑問ばかりが湧き上がる中、俺はじっと和臣を見つめる。
「説明しろ」
和臣に謝られるのは好きじゃない。
頭を下げたままの和臣の後頭部を見て、俺は答えを待った。
しばらくそのままだった和臣は、急にがばっと起き上がって俺を見た。
「......と、ともあきさんち、俺何度も行ったことあるんだ」
は?
「あの、夏休みの後の話。......あのときともあきさん、病院行ったろ?館長が付き添ってくれて」
「ああ」
ようやく思い出した俺は、あいづちを打った。
確かにあの時、家に連絡してくれたのは美術館の館長だった。
後日一度だけ自宅に傷のことで見舞われたから、あのおっさんは知ってても不思議はない。
「その館長に、直接謝りたいからって言って、住所聞いた」
「でも、俺。お前に会ってない」
直接謝られた記憶、ないぞ。
俺が首を傾げていると、和臣はぎゅっと膝の上で拳を作った。
「ひどい怪我もさせたし暴言吐いていたから、合わせる顔なくて......。でも、ずっと忘れられなかった」
切なそうな眼差し。
そんな目で見るなよ。......動揺、するじゃねえか。
視線を逸らしそうになるのを耐えて、俺は胸元を手で押さえて見つめ返す。
「あの夏の日から、ともあきさんは俺の心ン中にいたんだ。......俺は、ともあきさんのこと、ずっと好きなんです。恋だって気付いたのは、高校入ってからだけど」
改めての、和臣からの告白。
なんかくすぐったい。
嬉しくて顔が変に歪んでないか心配する俺の前で、和臣はため息を付いた。
「ほんっと粘着質だよな。ごめん、引くだろ」
「何が」
「ずっと片思いしてたってこと。何度も家にも行った。だからセンセ......昭宏さんのことは知ってたんだ。ごめんなさい」
そう告げるのが早いか、和臣は再度、土下座してしまった。
んー......。
和臣の言葉を反芻して、考える。
しばらくしてから、俺は口を開いた。
「俺んちに勝手に入ったことある?」
質問に、和臣は首を傾げながら顔を上げた。
「え?いや、ともあきさんが帰ってくるの待って、家に入るの見てるぐらいだった。......と、時々ね?毎日とかじゃねえから」
焦って早口になるのが、少し怪しいけど、そこは突っ込まないでおこう。
次。
「じゃ、ゴミ漁った?」
「はぁ?そんなことしねえよ!俺ともあきさんにしか興味ないもん!」
ゴミなんか見て、何が楽しいんだよ!と言い切られた。
その表情からは、憤りは感じても、嘘をついている気配はない。
うん、次。
「電話かけた?」
「ともあきさんち?番号知らなかったし、調べても電話で何か言うぐらいなら、直接会いに行った。俺が知ってたのはともあきさんの帰りの時間と、制服から高校と、あと家族構成ぐらいです」
俺から質問されるのが辛いのか、和臣はずらずらと尋ねてないことも答えた。
そうか。
しんとなった中、俺は和臣の顔を見つめる。
どう見てもあの時会った金髪のチビガキと、今の和臣が結びつかない。
大きくなったんだなあ。
別に俺、家に来られたぐらい、なんでもねえよ。
俺が安心した内容で、和臣は落ち込んだようだった。
俯いて、膝の上で拳を握る。
「ごめん。ほんっとすいませんでした。好きだからって、ストーカーみたいなことしてごめん。俺頭が足りなくて、馬鹿なことしたって後悔してる」
謝りながら和臣は、なんか打ちひしがれている。
若気の至りか。
ま、そんなこともあるだろう。
特に実害を被ったわけでもない俺は、結構安楽的に考えた。
「他には?」
俺に言ってないこと、ある?
そういう意味を込めて尋ねると、和臣は首を横に振った。
「もうないよ、これで終わりです」
きっぱりと言い切って、和臣は俺を見上げる。
「こんな俺だけど、まだともあきさんの、そばにいてもいいですか」
......。
俺を捉える眼差しは、切ない光に彩られている。
和臣は、俺のことを考えて身を引いてくれようとした。
なら俺は、それ以上に自分のこととコイツのことを、考えていかなくてはいけない。
付き合って後悔することもあるかもしれないが、別れてする後悔より、たぶんずっと軽い。
そこまで考えて、俺はふ、と笑ってしまった。
なんだ。俺もう答え出てる。先のことを考えているのがいい証拠だ。
やっぱり、コイツのこと手放せるはずがないんだ。
俺は、和臣と同じ視線になるべく、ソファーから床に下りた。
正座している和臣の前に、同じように正座する。
「和臣」
呼びかけると、わずかに肩が揺れた。
「はい」
返事が掠れている。
表情は落ち着いているが、きっと内心は動揺しているんだろう。
「好きだ。もう一度付き合ってください」
一緒にいることで、嫌なこともあるかもしれない。だけど、俺と一緒に、乗り越えて。
俺は、お前と一緒がいい。
まっすぐ見つめて、改めて交際を申し出る。
ぴんと背筋を伸ばした和臣が、俺を見返した。
「俺の愛は、重いと思います」
しばらく経って、ぽつんと落ちた1つの言葉。
一瞬言葉の意味がわからずに、俺は首を傾げた。
だが和臣は言葉を続ける。
「見えないように、わからないように、俺、ともあきさんを縛ると思う。......だから」
和臣はふっと目を伏せた。
なっげえまつげ。引っ張りたい。
真面目に話を聞く一方で、そんなことを考える。
「ともあきさんが、俺を少しでも嫌になったらすぐに言って。ともあきさんが好きだから、嫌われる前に別れたい」
なんだと。
俺はむすっと顔をしかめた。
どうして俺がそんなわがまま聞かなきゃなんないんだ。
俺は、和臣と抱き合いたいしキスもしたいし、意見の違いがあったら喧嘩だってしたい。
嫌われることを心配する前に、好かれる努力しろよ。
そう思ったから、俺はふんと鼻を鳴らした。
「嫌えないほど俺好みになれ」
そうすりゃ、問題ない。
堂々とした俺の意見に、和臣はきょとんとしている。
それからぷっと吹き出した。
「やべ。ともあきさんかっこいい」
笑いながら言うことか、それ。
不機嫌になる一方の俺の前で、和臣は笑う。
......楽しそうな、笑顔だ。
俺も嬉しくなって少し笑った。
不意に笑い声が止まると、和臣は正座したまま頭を下げた。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
2人で、お辞儀し合う。
それがおかしくて、また笑い出してしまった。
和臣も笑って、俺に手を伸ばしてくる。
「好き。ともあきさん愛してる。大好き」
「ん」
抱き寄せられて、手を握られる。
間近で見つめた瞳は、きらきら綺麗だった。
指が交差した形で両手をそれぞれ握って、ゆっくりと目を閉じる。
触れ合うだけの、口付け。
それはまるで誓いのキスだ。
誰が見てなくてもいい。俺はコイツに誓いを立ててやる。
いつか思った時のように。
「お前は、俺が幸せにしてやる」
少しだけ引いて、互いの吐息が掛かるところで目を開いた俺は囁く。
すると、和臣は先を越されたと小さく笑った。
「じゃあ俺は、ともあきさんを幸せにするね」
「楽しみにしてる」
「うん」
そのまま和臣に抱きしめられて、俺はしばらく胸いっぱいの幸福を噛み締めていた。