9月リクエスト-4


 しばらくして、教授がトイレに立つ。
 ジジイはいい歳だ。よたよたと歩いていくジジイを心配そうに見つめる藤沢。
 お前、なんのために飲み会参加してんだよ?と俺が首を傾げながらぐいっとグラスを煽ったときだった。
 坂下と美田が、なにやら目配せしているのが目に入る。
「ふーじーさーわ」
 席を立った坂下が、空いた教授がいた席に腰を下ろしてがしっと藤沢の肩を組む。
 驚いた藤沢が、ぱちりと瞬きしていた。
「お前全然飲んでないじゃねえか、ほらほら、遠慮することねえって」
「はいっ、どーぞ」
 にっこりと笑った美田が作ったグラスに入った酒が差し出される。
「お前らそれ、水で割ったのか?」
「もちろん。ほら藤沢」
 どんとテーブルに置かれたグラスを藤沢は見つめる。
 坂下が飲んでいた焼酎の水割り。
「これは結構アルコール度数低いからいけるって」
「一気!なーんて言わないから、半分ぐらい飲んでみたら?」
 二人に勧められて、藤沢は戸惑ったように俺を見た。
 ......こっち見られても、しらねえよ。
 先ほどから藤沢に苛ついていた俺は、視線には気付かなかった振りして刺身を食べていた。
「......」
「自分で持てって」
 坂下に無理やり押し付けられて藤沢は、グラスに口を付けた。
 が、一口飲んだ時点ですぐに顔をしかめている。
「ぐいーっといっちゃおう!」
 美田に勧められて、というか、強制的にぐいっとグラスを傾けられて、藤沢はごくっと飲み始める。
 グラスを置こうとするたびに二人にはやし立てられて、結局藤沢は半分ほど飲み進んでいた。
 表情は苦しげだが、二人はやめようとしない。
「もーいい加減にしろよ。藤沢酒強そうじゃねえし」
 苛々した俺は、藤沢の酒を奪うと一気に飲み干した。
 水割りだが、結構濃度がある。
 これじゃあ藤沢きつかったんじゃねえのか?
「なによお。このぐらいじゃ酔わないって」
「邪魔すんなよな」
「もう、いいだろうが」
「いーや、もっと藤沢にも飲んでもらおうぜ。せっかくの飲み放題なんだし!」
 再度酒をグラスに注ごうとしている坂下の邪魔をしようと手を伸ばす。
「なにやっとるんだお前ら」
 その時戻ってきた教授が、光景に眉間に深い皺を刻んだ。
 あ、とした表情の坂下。そそくさと立ち上がる美田。
「トイレいってきまあす」
 宣言しなくてもいいことを宣言して、美田は座敷を出て行った。
「智昭に酒飲ませたのか?......この、ばかたれ」
「いってえ!」
 さっさと逃げられた坂下は、貧乏くじを引いたのか教授に殴られていた。
「お前もだ東野。さっさと止めんか」
「った!」
 途中で止めた筈の俺まで、なぜか殴られる。
「てか、藤沢って教授の親戚かなんかなんスか?」
 むすっとした俺が教授を見た。
 明らかに俺たちと藤沢の扱いが違っている。
「そうそう。なんか態度が俺らと違うじゃないですか」
 坂下も顔をしかめている。
「ばかたれどもが。智昭はわしの可愛い生徒だ。話聞いてるかわからんお前らと違って、真面目にノートも取るし、レポートも出す」
「へ?じゃあ俺らは?」
「飲み友達」
「生徒じゃねえの?」
「ああ。だから単位はやらんぞ」
「うっそマジで!勘弁してよ教授」
 教授に食って掛かる坂下を横目に、俺は座ったままの藤沢を見た。
 ぼーっとしているが......焦点があってない。
「おい。大丈夫か?気持ち悪いとかあるか?」
 急性アルコール中毒は本当に急にきたりする。
 酒慣れしてそうにない藤沢がなってたら困るぞ。
「おーい?」
 隣に座って目の前で手を振ると、藤沢が俺を見た。
 あれ?なんか目が潤んでるぞ。
 具合が悪いのかと顔を覗き込もうとした瞬間。
「っうわ」
 藤沢にわき腹にタックルされた俺は、押し倒されるように片肘を座敷に付いた。
「どうした東野。......藤沢?」
 坂下が驚いて覗き込んでくる。
「......せんせいやめたら、嫌だ」
 ぎゅうぎゅうと腹に腕を回して抱きついてくる藤沢。
 先生ってなんだ?
 押しのけようとしても抱きついたまま藤沢が離れない。
「こりゃ、智昭、わしはこっちだ」
 ぽかりと教授に殴られた藤沢は、ゆっくり俺の腹から顔を上げた。
 ぼーっとした眼差しが教授に向けられる。
「せんせい。俺やめる」
「阿呆。お前もう少しで卒業じゃろが。我慢せい」
「嫌だ。せんせいいなくなるなら、やめる」
 それだけ答えて、藤沢は俺の腹にまた顔をうずめ......。
「なんなんスかこれ。あといなくなるって......」
 普段無表情に淡々としている藤沢のはじめて見る態度に、俺は弱った声を上げた。
 こいつ、結構力強いんだけど。いてえって。
 剥がそうとしてもはがれない手。
 しかたなく、くっつかせたままにしておく。
「いやあ......実は、この間の人間ドックで脳に腫瘍が見つかってな。来週から入院せないかん」
「はあ?!教授飲んでていいんですか?」
 坂下が大声を出す。耳元過ぎて煩い。
「今日を逃したら、しばらく飲めんだろうが」
 なにを言ってるんだといわんばかりのジジイ。

 ......よっぽど好きなんだな。酒。

 俺は呆れたまま教授を見ていると、俺の腹にくっついている藤沢の真っ黒な髪を撫で出した。
「智昭は、大学に入ってきてから何かと懐いてきてな。九州にいる祖父に似てるとかなんとか言って、今じゃあ孫みたいなもんじゃて」
 そう言って目を細める教授は、好々爺、といった風情だ。
「へえ......森村教授と藤沢がそんなに仲いいとは知らなかった」
「俺も」
 酒を煽りながら、坂下が呟いたので、つい同意してしまう。
「まあ、授業じゃ大人しい子だからな。今日の飲み会も、つい出ると口を滑らしてしもうたら、こうやって見張りに来たようだし」
「はー......だから藤沢来たのか。普段出ないのにどうしたのかと思ったら......」
「おかげで満足いくまで飲むに飲めん」
 心底残念そうに呟く教授。
 いや、自分の体のことを心配しろよ。
「ゼミの続きや授業は、他の先生方に頼んでおいたから、まあそっちは大丈夫だろうがな」
 ぽんぽんと撫でられる藤沢。まったく起き上がる気配はない。
 寝てんのかこいつ。
「......なにやってんの?」
 戻ってきた美田が、怪訝そうな声を出して俺たちを見た。



 それからすぐ後、教授は娘さんが迎えに来たらしく、後ろ髪引かれながら帰っていった。
 しらけてしまった俺たちも解散を決めて、店を出る。
 俺の腹に抱きついていた藤沢も、最後はあっさりと離れた。
 ......それまでは良かったのだが。
「藤沢。おい藤沢!大丈夫かよ」
「ん」
 こっくりと頷くが、瞼は重そうに閉じられている。
 どうにか歩いているという風情だ。
 坂下と美田は別の飲み会と合流すると言って、俺に藤沢を押し付けていった。
 「幹事だろ?な?」なんてにこやかに押し付けられて、俺の機嫌が地を這うのもしょうがないと思う。
「起きろって!俺が帰れねえじゃねえか!」
 若干強く頬を叩くと、藤沢は何度か瞬きを繰り返している。
 そしてその瞼がゆっくりと閉じかけて......。
「寝んな!」
 まるで漫才でもしている気になる。ばしっと頭を叩いて、半ば引き摺るように歩き出した。
 大学の近くで飲んでいたせいで、駅が若干遠い。
「今日は、ごめんなさい」
 苛々しながら歩いていると、ぽつんと謝られた。
「......」
「俺、やっぱ来ないほうが良かった」
「......おーまえな、それを言われて俺はなんて言えばいいわけ?そうだな。って同意してもらいたいのかよ。それとも否定して欲しいのか?好きな反応してやるから言えよ。うじうじすんな。教授の酒飲みを止めに来たんなら、十分目標果たせたじゃねえか」
 連続してまくし立てると、藤沢は足を止める。
 藤沢は俺を見ると、ふにゃっと笑った。
 あれま。
 初めて見る笑顔に、思わず驚いてしまう。
「せんせいね。お世話になったから」
「あ、......そう」
「今日、俺頑張った」
「そっか。そりゃよかったな」
 ぽつぽつと話す藤沢に、なんだか力が抜けてしまう。
 どちらともなく歩き出すと、藤沢に手を握られた。
 な、なんだ?
「東野、さっきはありがと」
「え?」
「酒。ありがと」
「いや、あれは、なんか見てて俺も気分良くなかったから......」
 というか。
「なあ。なんで俺は藤沢と手ぇ繋いで歩いてるんだ?」
「......」
 俺が視線を手に向けると、藤沢も手を見る。
「だめ?」
「いや、駄目ってか、普通この年で男同士で手なんかつなが」
「飲み会。誘ってもらったのも、嬉しかった」
 おい。人の話を聞け。
 無言で手を払おうとしても、ぎゅっと握られたまま離れない。
 まるで先ほどくっついていたときと同じ。
 少し浮ついたような藤沢の声。夜で見難いが、少しばかり上気した頬。
「お前、酔っ払ってんだな?」
「ん」
 頷かれる。酔ってる自覚はあるみたいだ。
「よし。お前は酔っ払って歩けないんだ」
「うん?」
「だから俺は手を引いてやってる。そうだな」
 そういう風に自分に言い聞かせなきゃ、手を繋いでなんかいられない。
「俺は、酔っ払い」
「そうだ。お前は酔っ払いだ」
 酔っ払い、酔っ払い、と呟く藤沢を引いて歩く。


 結局は、まっすぐ歩けない藤沢を送る羽目になった。
 電車の中まで手を繋いでいたせいで、見知らぬ人から失笑を買ったが、まあ......それは気力で無視した。

 藤沢は手すりに捕まりながら器用に寝ていた。
 寝ているうちに外そうとした手は、やっぱり外れなかった。


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