二陣-2
閉じたまぶたの向こう側に、ちらちらと光源が揺れている。その揺れに俺は深い眠りから引き戻された。
「う......」
身動ぎしようとするが、身体がねっとりとしたコールタールに埋められたように重い。身体を動かすのは諦めて、俺は周囲の様子を伺うことにした。
人気のない板の間に布団が敷かれ、俺が寝かされている。天井は幾つかのマスに分かれ、そのそれぞれが赤と金で彩られた模様があった。
......布団?
「あれっ?!」
思わず、身体のダルさなど忘れて起き上がった。普通に俺の手が見える。しかも身につけているのは俺が普段着ているワイシャツとスラックスだ。なぜか無駄にネクタイまでしている。
日本に戻ってきたのか? でも、なにかおかしい......。
物音が全くしない。それにここはどこだろう。注意深く視線を巡らせて、揺らめく灯籠の配置が俺の社と同じものだと気づいた。立ち上がってふらつきながら上座に進む。そこは段差があったが、その上には真っ白な敷き布が敷かれたのみで何もなかった。
ご神体がここにあるって西埜女が言ってたのに......。
「にしのめ......西埜女!」
はっとして俺は自分の巫女を呼んだ。けれど、どこからも応答がない。焦れて下座にある出入り口の戸を引くが、ドアはびくともしなかった。
「なんだよちくしょう!.........ッ?」
頭に来た俺がその戸を力任せに叩くと、胸を強く叩かれたような衝撃を襲う。
俺は戸をマジマジと見つめ、それからもう一度強くと、同じ振動が胸に響いた。
「..................なんだ」
戸に額を押し付けて、俺は小さく呟いた。
なんてことはない。ここは俺の中に出来た精神世界のようなものだ。本来ならここで西埜女に気を分けてもらうのだろうが、西埜女はここには居ない。
そばにいなければ、この社に招き入れることができないのだ。
「一人で、どうしろっていうんだ......」
身体の重さはそのまま俺の精神疲労に繋がっている。身体が重く、動くのが億劫なのは変わっていない。そのままずるずるとしゃがみ込む。
そのまま冷えた床に体温を奪われていると、俺が寄りかかっていた戸が動いた。
「......?」
頬を離してぼんやりと見つめていると、戸が開いて男が一人入ってきた。入ってきた男の姿に俺は目を見開く。
俺が意識を失う前に見た男だ。横から見ると、髪の襟足部分だけを長く伸ばし、紐でまとめているのがわかった。
男が中に入ると戸は独りでにぴしゃりと閉じてしまう。
なんで、こいつが、ここに。
ここが俺の精神世界であれば、見知らぬ男を受け入れたことになる。相性が良くなければ、受け入れられないはずだ。
初対面にもかかわらず、どうして男がここに入れる。
俺はいつの間にか睨みつけるようにして男を見ていた。
男は社の中に視線を巡らし、中央に敷かれた布団をしばらく凝視したあと、不意に俺に視線を向けた。
あ......。
このときの衝動をなんて表現したらいいんだろう。嵐が吹き荒れたような、ミキサーでぐちゃぐちゃにされたような、強い激情だった。
「おい」
「......な、んだよ」
腕を掴まれて、必要以上に身体が震える。俺の反応に男はちょっと驚いたようだった。掴む手の力が緩み、俺は引きぬいた腕を胸に抱き込んで後ずさる。
掴まれた箇所が火を当てられたように熱い。けれど不思議なことに、それは痛みや不快を伴うものではなくて俺は戸惑った。
「ここはどこだ。俺は借りた空き家で、仲間と寝ていたはずだったんだが」
男はなぜここに来たかわかっていないらしい。至極真っ当に思う疑問を口にされて、俺は何も考えずに口を開いた。
「俺の、中だ」
「お前の?」
訝しげな声に、はっと我を取り戻す。
俺の精神世界に取り込んだと言っても、理解できないだろう。俺だってそんな事言われても頭がおかしいんじゃないかと考えるはずだ。
男もなにか可哀想な子供を見たような眼差しになったあと、戸に手をかけた。入ってきた時と同様に外に出ようとしているらしい。軽く力を込め、すぐに開かないと気づくとさらに力を込めて横に引き始めた。
ちくっと心に痛みが走る。それでも黙って見つめていると、男は両手で力任せに引っ張り始めた。先ほど俺が開けようとしていたときに使った力の比ではない。胸に走った激痛に、思わず俺は呻いて身体を丸めるように倒れこむ。
「おい、大丈夫か?」
倒れた俺に男は戸から手を離して俺の肩を揺すった。その手を強く払って、這うようにして男から離れる。
まただ、触れられた所が熱くて疼く。
「俺の中だって言っただろ! 無理やり開けようとするな、心が裂けて死んだらどうしてくれる!」
痛みのせいで、目にうっすらと涙が浮かんだ。じろりと睨みつけると目に見えて男が狼狽する。また伸ばされた手に更に後ずさると、男は少し思案した後に俺の前で片膝をついた。
「まさかとは思うが、あなたは神の眷属か」
「......どうして、そう思う」
「美しい」
突然男の口から出た言葉に面食らった。何かの冗談かと思ったが、男は真面目な表情のまま続ける。
「神々は信仰を集めるために、美しく愛される外見を持つものが多いと聞きます。ここは厳格な神社仏閣に感じる神聖な気配があるし、豊葦原では見たことのない髪色と瞳をしている上に、見たことのない服を着ている」
「えっと、あー......」
理路整然と並べ立てられ、どうだと視線を向けられて、俺は言葉に詰まった。
俺としては単なる人間だが、こちらの人間にしてみれば神の御使という立場がある。だが、それが神の眷属かと問われたら明らかにNOだろう。
だが男が勘違いしているのなら、これはこのまま利用したほうがいいんじゃないのか。
言葉遣いはアレだが、紳士的にも見える膝をついた態度といい、ここに入れるだけの資格があることといい、きっとこいつは俺を悪いようにはしないはずだ。
保身に走った答えが出るまで、わずか一秒。
「そうだ」
こっくりと頷くと、男の顔が晴れやかになった。
「瑞穂国が物の怪に荒らされているのを知って、降臨にされたのですね」
「えっ」
荒らされている?
初めて知ったその事実に俺は目を見開く。驚いた表情の俺から男は俺の来訪の理由が違うことに気づいたのか、また訝しむ表情になった。
「違うのですか?」
「え、っと......俺はただ、瑞穂の都に行こうとしてて、間違ってこの近くに落ちただけで......」
このときに、しれっと嘘が付ければよかったのかもしれないが、夜に襲われたあの頭を二つ持つ狼が妖怪だとすると、俺にはあんなのと戦う力があっても度胸はない。
迂闊に頷けずに戸惑っていると、男はぽりぽりと頭を掻き大きくため息をついて、俺の前で胡坐をかいた。
心なしか、俺に向けられる視線が冷たくなっている。
「単なる物見遊山とでも言うのか。......多くの民が犠牲になっているというのに呑気な」
「違う!」
「じゃあ、何のために降臨したんだ」
その問いかけに、すぐに答えられなかった。俺がここにいるのは御使を降りるための交渉をしに来たためだが、どちらにせよ妖怪退治に来たわけじゃない。
「まあ雲の上の御人の考えは俺にはわからないが......どうでもいいがここから出してくれ」
「出してくれって言われても......」
「お前が俺を招いたんだろう? 要件があるなら早く言ってくれ。仲間を残してきているし、俺がいた村の周辺ではまだ物の怪が出るんだ」
要件。要件ってなんなんだ?
男がここにいるのは俺の事情なんだろうけど、その理由はわからない。さらに言えばどうすれば男を返せるかもわからない。
「悪い。俺も、どうしてあんたを呼んだかわからないんだ」
正直に伝えると、男はこともあろうにあからさまに不機嫌そうな顔で舌打ちしやがった。
「おい! 態度悪すぎるだろうてめえ」
「ふん。どうして俺があんたを敬う必要がある。......まあいい。俺を出す気になったら言え」
開いた口が塞がらなかった。神の眷属と思っているのなら、もうちょっと丁重な扱いをするもんじゃないのか。
俺が絶句していると、男は俺から離れ、壁を背に寄りかかった。目を閉じて片膝を抱えたその体勢は、明らかに寝に入るつもりだ。
「お、おい!」
立ち上がって男の元に向かおうとしたら、足が縺れて倒れこんだ。身体に力が入らない。奥歯を噛み締めて、どうにか起き上がる。途端に視界が揺れて、部屋がぐわんと歪んだように見えた。
男には別段変わった様子もない。となると、俺にだけ起こってる変調だ。
いったいなんなんだ。......考えろ。
けして本調子とは言えない体調。それの原因はわかってる。俺の力の源である神通力の残量が足らないのだ。この社は俺の神通力で作られた幻、夢......非現実。わざわざ少なくなっている状態でこの場を創りだして維持している理由があるはずだ。
さらに言えば、この見知らぬ初対面の男を受け入れたことにも理由がある、はず。
俺は改めて男に視線を向けた。男は豊葦原の人間で、腹が空けば飯を食えるし、疲れが溜れば休んで休息を取ることができる。けど俺は誰かに生命力を分けてもらわなければ、ここでは生きていけない。
異物として死に絶えないために、豊葦原に来た御使がすること......。
そこまで考えて、男がここにいる理由がようやくわかった。
身体が男から生気を、この世界で生きていくために必要な力を分けてもらおうとしているのだ。
そのために必要なことは、ここに来る前しっかりと学んだ。
「.........嘘だろ」
俺は愕然と呟いた。
男と、俺がセックス? そんな気持ち悪いこと出来るか。
俺が意識途切れたる前に見た村には女もいた。それでもなおこの男を選んだと言うことは、この男しか俺と相性が合わないんだろう。
それでも、男にそのことを言うことは出来なかった。
俺が妖怪退治に来たのではないと知った途端の、明らかに一変した態度。明らかに俺よりも大きい身体。引き締まっていて無駄のない筋肉。どちらかと言えば好意を持つ見た目ではある。
けど男だ。
こらえきれずため息を吐いた。
男は微動だにしないで壁に寄りかかったままだ。後ろを振り返ると、俺が寝ていた布団がそこにある。
もういい。今日はなんか疲れた。寝よう。
どうにもならないことが起こると、寝てしまうのが俺の癖だ。混乱した頭で考えるよりも、寝てリセットしてからの方がいいアイデアも浮かびやすい。仕事でも良く使った手だった。
決めたら決断が早い俺は、さっさと布団に戻って横になって目を閉じた。