主従の契約-2


「な、何をするこの化け物めッ!」
「あは、ようやく見てくれた。よろしくねフェリックス」
 目を見開いたフェリックスに怒鳴られてもなお、ラフィタはマイペースだった。
「ふ、ふざけるな!貴様のようなぼろぞーきんみたいなヤツなんかと......!」
 ボロ雑巾。
 灰色のまとまりのない長い髪と羽根は、確かにそう見えるかもしれない。
 上手い喩えをするなとラフィタは感心していた。
 が、末弟を溺愛している兄は、弟ほどの余裕はなかった。
 兄弟一、末弟を溺愛しているのだ。
「黙れ人の子」
 エミリオはフェリックスの首を掴むと、そのまま持ち上げる。
「がっ......!」
 気道を狭められて、フェリックスは口の端から唾液を溢れさせた。
 足をバタつかせて身を捩るが、手を縛られた人間の子供が魔族に抵抗できるはずもない。
「ラフィタを侮辱するようなら死を」
「やめてエミリオ!」
 ラフィタの呼びかけにも応じず、エミリオは殺意を持ってフェリックスの首を締め付ける。
 酸欠によって身体が痙攣しだした。
 苦しみの中で、子供は何を考えたのだろう。
 死にかけながら、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
『やめろ!』
 フェリックスのその表情を目撃したラフィタは、大きな声で怒鳴った。
 途端に、部屋の中に『風』が巻き起こる。
 神に愛される歌声の持ち主は、呪文を唱えずとも風を自由に操ることができた。
 ラフィタの風はエミリオを吹き飛ばし、優しくフェリックスの身体を包んだ。
「そう、ゆっくり下ろして......」
 宙に浮かぶ子供が、ゆっくりと床に下ろされる。
 すぐに膝をついたラフィタは心臓音を確かめた。
 微弱に鼓動はあるが、呼吸はない。
 ラフィタはばさりと羽根を広げた。
 穏やかな歌声。
「ら、ふぃた?」
 思い切り吹き飛ばされ、壁にヒビを入れたエミリオは、痛みに顔をしかめながら身体を起こす。
 末弟が奏でる歌声は呪文だ。主従の契約の。
 それに気付いたエミリオは慌てて止めようとする。
 が、間に合わない。
 呪文を唱え終えたラフィタは、深く息を吸うと横たえたままの子供に口付けを与えた。
 ふーっと酸素を与えて自発的な呼吸を促す。
「う......」
 子供の眉間に皺が寄った。
 その上に、小さな赤い菱形が浮かび上がる。
 主従の契約の完了の証だ。
「がはっ、は......げほ......ッ」
 身体を曲げて荒い呼吸を繰り返すフェリックスを見て、ラフィタはほっとした表情を浮かべた。
 しかし次の瞬間、キッと強い眼差しで兄を睨みつける。
「フェリックスが言ったことが本当だと思ったから、エミリオは激怒したんですよね。でなきゃ、笑い飛ばせますもんね『そんなことない』って。......酷い!エミリオは僕のことぼろぞーきんだと思っていたなんて!」
「え、そんなことは、私は一言も......」
 弟に攻め立てられ、エミリオはたじろぐ。
 更に間の悪いことに、兄弟二人の再会を邪魔しないために下がっていたラフィタの屋敷の使用人が、大きな物音に部屋にやってきた。
「どうなされたんですか、ラフィタさま」
「エミリオが、エミリオが僕のことぼろぞーきんって......!」
「ええ?!ちがっ!」
 いつの間にか、エミリオが言ったことになっている。
 ラフィタは入ってきた侍女の一人に抱きついた。
 手がないので、その胸元に飛び込んだという方が正しいだろうか。
「まあなんて酷い!ご兄弟だからっていくらなんでも、言って良いことと悪いことがあります!」
「エミリオさまがそんな方だったなんて!」
 口々に非難され、エミリオは動揺しっぱなしだ。
「わ、私ではなくてその子が......」
「その子?......まあ大丈夫?」
 横に倒れたまま咽る子供に、使用人が手を差し伸べ、抱き上げる。
 フェリックスは抵抗しようと身じろぐが、子供の抵抗など簡単に封じてしまう。
「子供を床に寝かせておくなんて最低ですわ!」
「見損ないました!」
 口々に囀る人化した鳥族の侍女たちに、エミリオはとうとう折れた。
 深くため息をつき、弟を見やる。
「あの子に『主従の契約』を掛けるとはね。『神歌』たるお前が、自ら世話をするつもりか?」
「逆です。彼には僕の世話をお願いします。......いつしか心の棘も丸くなり、安らいだ笑顔を見せてくれることでしょう」
 先に部屋を出されたフェリックスを見送り、ラフィタは微笑んだ。



『主従の契約』は、『搾取の契約』よりもさらに結びつきが深い契約になる。
 搾取の契約が集団対集団で行われるのに対し、主従の契約は個人対個人だ。
 主は服従する従者に対して恩賞を与え、その生命を外部のものから守る。対して従者は主に対して深く敬愛を持って仕えることが条件となる。
 契約は、双方の了承なしには完了、また解除することはできない。
 ラフィタがフェリックスにした契約は、やや強制的ではあったが、拒絶しなかったことで了承したと見なされ、契約が完了したのだ。
 主は従者の生命を守ることが、契約のうちの条件に入る。そのため、従者は自らの意思であってもその生命に害を与えることは出来なくなった。


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