花嫁の歌声-2


 朝食はミルク粥。ラフィタの汲んできた水と山羊の乳を使った、甘く美味しいお粥だ。
 雛鳥のように口を開けて待つラフィタに、フェリックスはせっせと食べさせる。
 もぐもぐと食べるラフィタを見つめるフェリックスの元には、料理は置かれていない。
 一緒になって食べていると、時間がなくなるというのがその理由だ。
「フェリ、僕、スプーンぐらいなら持てるように足で練習す......んぐ」
 一緒に食べたいラフィタはそう提案しようとするが、フェリックスに口の中にお粥を押し込まれて押し黙る。
 ラフィタの言いたいことぐらいは理解していそうだが、それに関してはフェリックスは綺麗に無視をしていた。
「では、私は出かけます。くれぐれも、火や刃物を使わないようにしてくださいね。パブロと遊びに行くようであれば、日が暮れる前には家に戻るようになさってください」
 言いながらフェリックスはテーブルの上に小さな籠を置いた。
 布に包まれていて、中は見えない。
「昼ごはんには戻ってきますね」
 微笑んだフェリックスがラフィタの髪を梳く。
 今朝、手入れされた髪は柔らかく、フェリックスの指に絡むことはない。
「僕、フェリの仕事場にご飯持って行くよ。そうすれば、一緒に食べる時間も出来るでしょ。ね?」
「駄目です。あそこはあまり安全な場所ではないですから。......貴方に万が一のことがあっては......」
 精一杯の訴えは、逆に切なそうに見つめられて却下されてしまった。
 がっくりと肩を落としたラフィタの額にキスを落として、フェリックスは家を出て行く。
「いってらっしゃーい......」
 ドアのところに立って、小さくなるフェリックスを見送ったラフィタは、むすっとしたまま不機嫌さを滲み出していた。
 フェリックスは、空にいたときのように甲斐甲斐しくラフィタの世話をする。
 けれど、今はあのときのように、ラフィタの世話だけをしていればいい状態ではない。
 生活のために働きに出なければいけないのに、更に自分の世話までしていたら、体を壊してしまうのではないか。
 それが、ラフィタの心配事の一つだった。
 フェリックスは今頃、働いている現場に向かいながら硬い干し肉を口にして、朝食を取っている頃だろう。
 昼は昼で、一度帰ってきてラフィタに食事を取らせ、その後自分は食事を取る暇なく職場へと戻ってしまう。
 夕方帰ってくれば夕食の用意、それからラフィタの入浴と、めまぐるしい忙しさだ。
 夜は、眠りが浅く、熟睡しているようすがあまり見られない。
「......僕、邪魔かな」
 思わずぽつんと呟いてしまった。
 天の浮島の牢獄から二人で一緒に飛び降りたとき、ラフィタは自分が死んだものと思っていた。
 それはフェリックスも一緒だろう。
 ところが、目を覚ましてみると柔らかな草の上でフェリックスと一緒に横になっていた。
 周囲を見回すと、広がる草原に、ところどころに山羊がいた。
 その山羊の一匹に顔を舐められて、ラフィタは目を覚ましたのだ。
 悲鳴を上げたところで、目を覚ましたフェリックスに飛びついた。
 しかし、そのときのフェリックスの表情が忘れられない。
 どうして、生きている。と小さく呟いた蒼白の表情は、どう考えてみても互いの生存を喜ぶものではなかった。
「......」
 フェリックスを見送り、部屋に戻ったラフィタはここに来た時のことを思い出して、小さくため息をつく。
 と、そのとき勢い良くドアがノックされた。
「ラフィラフィラフィタ!あっそぼうぜえ!」
「おはようパブロ。開いてるよ」
 バンッと、ドアが開け放たれたところに飛び込んできたのは、足先が羊の蹄の、くるんと丸まった角を持つ少年。
 金の瞳は縦に割れていて、柔らかい髪はクリーム色をしている。
 この高原に元々住んでいた魔族だ。
 ラフィタたちに住居を与えてくれた村の子供で、自分より小さいラフィタを、弟分のように可愛がっている。
 そのために、自分が長寿の一族で、おそらく年上であることは、なんとなくラフィタも言い出しにくかった。
「なんだ。元気ねえなあ」
「そ、かな?」
 一目見てずばっと言われてしまい、ラフィタは頬をひくつかせる。
 パブロは腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
「フェリックスもしけた面して、仕事に行ってたな。なんだ、喧嘩したのか?」
「そんなことないよ。たぶんフェリは......少し疲れてるだけだって」
 ばさばさと羽根を羽ばたかせて抗議するラフィタに、パブロは納得いかない表情をする。
「そうか?まー俺には関係ねえけど」
 パブロはそう告げると、にっこりと笑ってラフィタの服を引っ張った。
「森に行こうぜ!秘密基地の改造だ!」
「......うん!」
 自分が悩んでいても仕方がない。
 ここで生活を始めた以上、嫌なことなんてなにもないはずだ。
 無理に自分たちを引き裂くようなものは、なにもない。
 そう思って、ラフィタはパブロとともに出かけた。



 高原に住む一部の住人は、その鉱山に勤めていた。
 魔力を帯びた鉱石は貴重なもので、アミュレットやタリスマンとして、装身具の形のお守りに加工されることが多い。
 ただ、鉱石の状態で魔力の波動を受けると、効果が消し飛んでしまうため、鉱山内では魔法の使用は禁止されていた。
 そのため、魔力を持たないフェリックスも働き手として、ここに働くことになった。
 酸素の薄い洞窟の中で鉱石を掘り起こす。
 単純で、わかりやすい作業だ。
 おかげでフェリックスは、何も考えずに作業に没頭することが出来た。
 石を掘り出して、脇に置いた台車に乗せる。
「......い、おい、フェリックス!」
 間近で名前を呼ばれて、フェリックスはぴたりと動きを止めた。
「なんですか?」
 無表情のまま、フェリックスは声をかけた魔族を見上げる。
 人間であるフェリックスより2回りは大きい、狼の顔と、人の身体を持つ魔族が、困った表情を浮かべてフェリックスを見ていた。
「休憩の時間だ。休め」
 そう声を掛けられ、周囲を見れば、腰を下ろして休憩しているものばかりである。
 そんな時間だったか、とフェリックスは手にしていた削岩機を止めて、腰を下ろした。
 ポケットに忍ばせておいた干し肉を口に運ぶ。
 昼休みには一度家に帰らねばならないフェリックスには、自分の昼食の時間はない。
 だから、こうして小休止中にフェリックスは食事を取っていた。
 無言でうずくまりながら干し肉を食べるフェリックスに、声をかけた狼の魔族、ディエゴは耳をぺたんと垂らす。
「お前そんなんで足りるのか」
 唸るような低い声で尋ねられる。
 外見だけ見たら、まるで威嚇しているような厳つい表情だが、フェリックスは気にしない。
「はい」
 表情を変えずに頷く。ラフィタに見せていたような、愛想のかけら一つもない。
 それを見て、ディエゴはため息を付いた。
「パブロが、あんたは愛想がいい兄ちゃんだって言ってたんだが、二重人格か?」
「いえ」
 淡々と答えるフェリックス。羊の魔物のパブロには、ラフィタと一緒にいるときにしか会わない。
 自分が家を空けているときにラフィタと一緒にいてくれるので、フェリックスはパブロに感謝をしているが、それ以外はどうでも良かった。
 寝不足すぎて、頭が痛い。
 フェリックスはこめかみに軽く指を当てて目を閉じた。
 暗い世界で、昨晩に見た夢が目の前をちらついて、どうも心がざわついてしまう。
「具合が悪いなら、一度鉱山を出て、湖のホアンに治療してもらったらどうだ」
「大丈夫です。......少し黙っていてもらえますか」
 低い獣の声は、今のフェリックスには耳障りだった。
 告げると、ディエゴは大きな身体を小さくさせて、フェリックスの隣に座る。
 大事なラフィタには、それこそ笑顔を見せるようになったフェリックスだが、それ以外に対しては無愛想だった。
 そもそも仲良くしようという気がないのだ。
 この地域にはいない、人間という種族であるというだけでも、奇異な眼差しで見られる。その上に、一緒に来たのは天空に住む鳥族の魔物だ。
 当初は声も嗄れて、みすぼらしい身なりの雛鳥だったが、今では美しい声でさえずっている。
 そのため、純粋な雛鳥の羽をむしった人間。とフェリックスは陰口を叩かれていた。
 その陰口を知っているようではあるのに、改善をしようという気がフェリックスには見られない。
 淡々と仕事をこなしているだけだ。
 昼には何も告げずにいなくなり、午後に戻ってきて仕事をこなす。
 仕事が終われば、挨拶もそこそこに帰ってしまい、同僚との付き合いを持とうとしない。
 仲間内で広がるフェリックスの良くない評価に、ディエゴは心配していた。
 カーンカーンと、金属を鳴らす音が鉱山内に響き、休憩時間が終了になる。
「さ、あともうちょいがんばろうな!」
 ぽん、とディエゴは軽くフェリックスの肩を叩いて声をかける。
 だがフェリックスは、立ち上がるとさっさと作業を始めた。
 暗い中でもわかる蒼白の無表情に、ディエゴは再度ため息を付いた。


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