そのよん-5


 だが動揺はすぐに消え、無表情で春樹は山浦を見つめる。
「どうして聞くんだ」
「だから、どうにかしたいと思ってだよ。ねえ好き?嫌い?」
 異様な緊張感が場を包む。
 もごもご口を動かした博也は、そっと隣に座る春樹の顔を盗み見た。
 口元が『嫌い』と動くことを恐れるが、視線を外すことができない。
「早く飽きてほしい」
「それは、要望でしょ。僕はつっじーの気持ちを聞いてるんだけど」
 肉を焼きながら問いかける山浦に、春樹は軽く息を吐いた。
「俺の気持ちなんてこいつのおもちゃにしかならないから、どうとも答えたくない」
 そっけない答えに、博也は視線を落とす。
 一方の春樹は姿勢良く、眼差しを山浦に向けたままだ。
「じゃあさ、むらやん」
 埒があかないと、山浦は矛先を博也に向けた。
 呼ばれた春樹は弾かれたように山浦を見やる。
「つっじーが、嫌がってるのはよくわかったよね」
「......、わかった」
 諭すような口調に、博也も大人しく応じる。
 肩を落とした姿は、普段の堂々とした面影は一切ない。
 小さくなっている博也に、春樹は密かに驚いた。
 山浦に対して、文句を言わずに答えるのも今まで見たことがない。
「むらやんは、つっじーが嫌いって言ったら、別れて関わらないように出来る?酷いことして、『好き』って言わせても、心は手に入らないよ」
 言い聞かせられて、博也はぎゅっと強く手を握った。
 顔はうっすら青くなっている。
 それでもまだ強く出ようと博也は腕を組んで胸を張った。
「わか......嫌だ。こいつは俺のものなんだから、俺の好きにして......、」
「むらやん。またピーマン口に突っ込むよ?」
 箸でピーマンを挟んだ山浦に、博也は押し黙る。
 やがて、小さく「わかった」と答えた。その返答に驚いたのは春樹だ。
 今まで好き勝手に振舞ってきた博也の言葉に、当惑した表情になる。
「博也、本気か?」
「うっせえなあ......本気だ。男に二言はねえよ」
 肩に手を置いた春樹をウザがるように払い、博也は視線を合わせようとしない。
 らしくない博也に、春樹は更に声を掛けようと口を開く。
 が、そこに割り込んだのは山浦だった。
「だってつっじー。遠慮なく嫌いって言ったら?これで丸く収まるいいじゃない、よかったね」
 春樹はうきうきと上機嫌の山浦に、視線を向けては博也に視線を戻す。
 山浦の目には春樹の動揺が見て取れるが、俯いた博也はそれには気づかない。
「本当に、俺に関わらない?」
「ああ」
「顔も、合わせない?」
「ああ」
「二度と、会わない、のか」
「同じ学校だからすれ違うかもしれねえけど、俺からは絶対声かけない。話もしない。学校の外でもお前には会わない。......ちくしょう、これでいいんだろうがばーか。さっさと、言えよ」
 テーブルに肘をつき、手で顔を覆ったまままくし立てた博也は、春樹の言葉を待った。
 1人で浮かれていた自分を嘲笑い、覚悟を決める。
 だが、春樹は決定的な一言をなかなか口にしない。
 中途半端な状態のまま、時間が過ぎていく。
 だんだんと痺れを切らして、博也はタンタンと片足を揺らした。
「つっじー、言っていいんだよ」
「......」
 山浦の催促にも、春樹は言葉を発しない。
「......ッ、だあもう!なんだよ春樹!さっさと言えよッ!ちくしょう!俺への仕返しかよッ!春樹のばー......」
 キレた博也が、バッと身体を起こして隣にいた春樹の胸倉を掴んだ。
 勢い良く怒声を響かせていたが、その勢いが途切れる。
「......」
 驚いたような表情で、博也は春樹の顔を凝視していた。
 黒い瞳は伏せられ、唇をきゅっと噛み締めている。
 苦悩ともいえるような表情を浮かべてはいたが、その頬には。
 薄っすらと赤みが差していた。

「い、言いたく、ない......」

 掠れた声で呟いた声を、博也も山浦も確かに聞いた。
「いやいやいや。ありえないとは思ってたけど、やっぱりそっちなの」
 ため息混じりに山浦がぼやく。
「俺にも、よくわからない、けど。......言いたくない」
 心底戸惑った様子を見せつつも否定はしない春樹に、山浦は呆れた表情を向ける。
「嫌なんでしょ無理にいろいろされたりするの」
 その問いかけには、春樹は即答で答えた。
「嫌だ」
「だったら別れればいいじゃん」
「......」
「ううーん、めんどくさいなあ」
 春樹の胸倉を掴んだままの博也は、不思議そうに瞬きをする。
 しばらく考えたのちに、表情が明るくなった。
「......ってことは、今までとおんなじでいいってことか?!」
「駄目に決まってるでしょ。君らすぐに自滅するよ」
 機嫌を急上昇させた博也に対して、山浦はぴんと額を指で弾く。
「いっ......、なんだよ白豚。春樹別れるって言ってねえぞ。だったらいいだろこのままで」
「そうしてまたつっじー倒れさすの」
 鋭い指摘に、博也はぐっと言葉を詰まらせる。
 春樹から手を離すと、博也は眉根を寄せたまますとんと椅子に座った。
 俯き加減の春樹はまだ顔が赤いままで、博也は難しそうに考え込んでいる。
「とりあえず、ちゃんと話すところから始めたら?つっじーはむらやんの言葉を丸呑みしない。むらやんは、つっじーの意見をちゃんと聞いて、命令しない。それだけでもずいぶん変わるんじゃないかな」
 ずいぶんと疲れた表情になった山浦はそれで締めくくり、後は食べることに専念し始める。
 それを見やった春樹は、カタンと椅子を立てて立ち上がった。
「俺は、帰るから」
「待てよ」
 カバンを手にして踵を返しかけた春樹の手を、博也が掴む。
「送る」
「むらやんここの支払いだけはしてってね」
 頬に肉を詰め込んだ山浦は、そこだけは釘を刺すと「まあ2人とも頑張って」とおざなりに応援してひらひらと手を振った。



 無言で歩く帰路。
 目指す先は春樹の家で、博也も黙って春樹と並んで歩いている。
 2人の間の間隔は狭い。時々手の甲が触れ合う。
 と、不意に肩が触れ合い、するりと博也が春樹の手を握った。
 痛いほどに強く握られ、春樹はその手に視線を落とす。
 視界に入った博也の顔は、遅い時間のため周囲が暗くてわかりにくいが、赤く見えた。
「......」
 春樹はもう片方の空いた手で自分の頬に触る。
 暑い、気がする。
 火照った頬に、もしかしたら博也と同じ色に染まっているのかと春樹はなんとなく考えた。
 古ぼけたアパートに着いて、鍵を開けると博也がさっさと中に入る。
 その姿はいつもと変わらない。
 次いで入った春樹は鍵をかけて振り返ると、肩をそのドアに押し付けられた。
 押し付けたのはもちろん博也だ。
「具合、まだわりいの」
「いや。たぶんもう大丈夫だと思う」
「そっか」
「......」
「......」
 明かりを点けないままの暗い室内に、春樹は手探りで電気のスイッチを探す。
 ぱちんと蛍光灯を点けると、思ったより間近に博也の顔がある。
 強い眼差しを向けられ、春樹の身体が少し震えた。
 それに気づいた博也は眉をしかめて舌打ちをする。
「お前、それ止めろよ」
「何」
「俺に怯えんの。......殴らねえから」
「努力は、する」
 身体を重ねるように押さえ込んだ博也がいるために、春樹は僅かにしか頭を動かすことが出来ない。
「好きとか言わなくていいから、俺にキスしろよ」
 既に触れ合いそうな距離での博也の命令。
「嫌だって、言ったら」
「俺からする」
 言葉どおりに博也から唇を重ねてきた。
 激しいものではない、ただ重ねただけの口付け。
 反射的に目を閉じた春樹は、うっすらと目を開く。
 すると、じっと見つめていた博也と目が合った。
「キス自体は、お前も嫌いじゃねえだろ」
「......嫌いじゃ、ない」
「そっか」
 何度かバードキスを繰り返すと、博也は身体を離した。
 そのまま自然に手を引かれて玄関から室内に入る。
「俺は帰るけど、また明日来るから」
「え」
「今度は俺が迎えにきてやるよ。なんか文句あるか。あるならさっさと言え」
「な......い」
「本当か」
 一応、山浦に言われたとおり態度を改善しようとする意思はあるのか、博也が問いかけてくる。
 頷いて見せると、博也は春樹の軽く頭を撫でてた。
 まるでいとおしいというような、優しい繊細な動きに、春樹は動くことが出来ない。
「じゃーな」
 少しだけ名残惜しそうな様子を見せながら、博也は春樹の家を出て行った。
 呆然と春樹は博也の出て行ったドアを見やる。
「どうしたんだ、俺は」
 とくんとくんと早鐘のように心音を響かせ始めた心臓を、春樹はぎゅっと服の上から押さえつけた。



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