そのなな-11


 重みがあるリングに、春樹は気が取られっぱなしだった。
 電車に乗り込んで移動している間も、自分の指を飾るシルバーにもう片方の手の指でそっとなでる。
 くすぐったいような、心がぽっと熱くなるような気持ちで春樹はそっと視線を博也に向けた。
 するとすぐにばちっと目が合う。博也は指輪を眺める春樹をじっと見ていたらしい。
 そのことを自覚すると、春樹は自分の顔に熱が集まるのを感じた。
 軽く手の甲で触れてみると頬が火照っている。
 見つめ合うのが気恥ずかしくて、春樹が無言で顔を逸らすとその態度が気に食わなかったのか、博也は春樹の髪をぐっと掴んだ。
「よそ見してんじゃねーよ」
「わる、い」
「俺を見てろ」
 下された命令に、春樹は尊大な態度の博也に視線を戻す。
 すると満足したように、博也は目を細めて嬉しそうな笑みを浮かべた。
 愛しいとでもいうような表情に春樹は落ち着かない。
 従って春樹に無意識に視線を逸らそうとしてしまうと、そのたびに博也は髪を引っ張ったりわき腹をつついて視線を戻させる。
 ただじゃれ合っているだけの行為で、2人の間では会話も少なかったがそこにはほんのりと甘い空気が流れていた。
 あっと言う間に移動時間は過ぎ、目的の場所に着くと2人は電車を降りる。
 同じように降りる人の波に流されるように歩いていると、博也は春樹の腕を掴んだ。
「着替えた服、邪魔だろ。こっちにコインロッカーあったから入れてこうぜ」
 元から来ていた服は、紙バックにしまわれて春樹の手元にある。
 博也は春樹の腕を掴んだまま人の流れに逆らうように、人気のない駅の隅にあるコインロッカーに向かった。
 コインロッカーはほとんどが埋まってはいたが、上部に一つだけ空いている。
「ほら、よこせよ紙バッグ」
 財布から小銭を取り出しながら、博也は春樹に視線を向けた。
 すぐに紙バッグを手渡そうとしない春樹に、博也は訝しげな表情になる。
「俺はこのままでもいいんだが」
「うるせえな。俺が邪魔だって言ってんだろうが」
 控えめな申し出に、博也はちっと舌打ちをして紙バッグを奪い取った。
「ああ、じゃあ着替えるから待ってくれ」
 すぐにそれを持ち上げて中に入れようとする博也を、春樹は慌てて止めた。
「はあ?」
 博也の呆れたような顔に春樹の方が戸惑う。
「だって、これから遊ぶんだろう。汚すと悪い」
「......服気に食わなかったのかよ。こっちにもショッピングモールがあるし、別の服でも」
「いや、だから汚すと悪いから。......これ、俺にくれたんだろう?ありがとう。大事に着るから今日はもうい、っ」
 まじめな顔で告げた春樹の頭を、博也はばしっと軽く叩いた。
 叩かれた春樹はわずかに目を見開く。最近博也に殴られることがなかったので驚いたのだ。
 しかも力を入れているわけではなく、軽く叩かれることなど今までにない。
「お前......」
 何か言いたげな博也に、春樹は自分が何か間違ったことを言ったのかと首を傾げた。
 そんな春樹に唇をへの時に曲げた博也は、無言で紙バッグをコインロッカーに押し込み鍵をかける。
 それから春樹の胸ぐらを掴むと、ぐいっと自分のそばに引き寄せた。
「俺が着せた服を脱がすのは俺だ。勝手に脱ごうとするんじゃねえよ」
「っ」
「返事は?」
「......わかった」
 こくんと春樹が小さく頷くと、博也は軽く春樹の唇を親指の腹で軽くなでた。
 ゆっくりとした動作。
 そして打って変わってどんと強く胸板を押して突き放す。
「服なんて汚れるもんだろ。くだらねえこと気にすんなよ」
 ふっと笑った博也はチラリと流し目を向けて、春樹にしたように自分の唇を指で軽くなでた。
 まるで間接キスのような仕草。
 春樹は一瞬で思考が真っ白になった。
 さっさと改札口に向けて歩きだした博也の後ろ姿を、春樹は呆然と見送る。
 ふとした振る舞いがたまらなく色っぽく見える。
 春樹の心の中に沸き上がるのは、いつもと違う鼓動の高鳴りだ。
 離れてしまった博也を追いかけようと足を踏み出して、そこで春樹は自分の身体に変異があったことに気づいた。
「......」
 わずかに歩きにくい、意のままにならない下半身。
 こんなところでわずかだが反応してしまった自分自身に、春樹は思わず口元を押さえて立ち尽くした。
 あれだけ努力してだめだったのに......どうにかうまくこのまま保持できないものか。
 春樹はうっかり本気で考えた。
「おい!なにやってんだよ早く来い!」
 苛立った博也の声に、春樹ははっと視線を上げる。
 春樹が付いてきていないことに気づいた博也が、やや不機嫌そうに走りよってきた。
「お前ってほんと鈍くさい!」
「わる、っ」
 いつものように謝ろうとした春樹の手を博也は掴んだ。
 そして強引に歩き出す。早足の博也に春樹は引っ張られて足を動かした。
「博也、俺自分で歩ける」
 戸惑った春樹がそう声を上げても、博也は手を離そうとしない。
「ああ?嘘付け。俺が引いてやってんだから黙ってろよ」
 荒々しい博也と痛いぐらいに握られた手に、春樹はまた怒らせてしまったようだと押し黙った。
 周辺の視線も気になる。が、博也の機嫌だけは損ねたくない。
 そして俯きかけた春樹は、博也の横顔がうっすら赤く恥ずかしさを隠そうとして、眉間に皺を寄せていたことに気づかなかった。
 駅を出てしばらくそのままで歩く。
 駅周辺は人も多かったが、歩いていくうちにだんだん人気のない場所に向かっていた。
 この先になにがあるのだろうと軽く疑問に思っていると、博也が急にぴたりと止まる。
 勢いづいていた春樹はそれに合わせて止まることが出来ず、そのまま博也にぶつかった。
「ここどこだ」
「え?」
 振り返った博也の小さなつぶやきに、春樹は軽く瞬きを繰り返す。
「あ、通り過ぎてんじゃねえか!この馬鹿、なんで言わねえんだよ!」
「悪い」
 目的地もよく聞かされてなかった春樹は、微妙な心持ちになりつつもとりあえず謝る。
 博也はちっと舌打ちをすると、綺麗にセットしていた髪をがしがしと乱した。
「......あーあ、手なんて引くんじゃなかった」
 ぼそっと告げた博也に、春樹はぴくんと身体を揺らす。
 意識が全て手にいってしまっていた博也の何気ないぼやきだが、春樹は額面通りに受け取った。
「ほら戻るぞ」
 なんてことないように博也は春樹の肩を叩き、さっさときびすを返した。
 俺の手が、悪かったのか。
 軽く握られた手を見た春樹は、何となく博也の隣を歩くことができず、博也のやや後ろを歩きながらそっとため息をこぼす。

 なんともぎこちないデートの始まりだった。


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