インナモラートの微熱06



 自分は確かに病気があってそれのせいで暗がりが苦手だが、それは自分の問題だ。
 それに自分がろくに星空を見たことがないのもクラスメイトには関係ないことで、自分のわがままで決まりかけている懸案をゼロに戻すのも躊躇われる。
「......ねえよ。んじゃ、プラネタリウムで決定でいいな。じゃあ決定。んで今日は解散」
 この場で一番嫌がる態度を取っていた渉がそう告げると、クラスメイトはさっさと帰宅準備を始めた。
 半分はこのまま部活にいくのか大きいサブバックを持って早足で出て行く。
 渉は苦々しい気持ちのまま、自分の席に戻った。
 薄暗くなった外を眺めつつカバンを取る。
「長谷川、ちょっと待って」
「なんだよ」
 立ち上がったところで、黒板を消していた清水が呼び止めた。
 チョークの粉がついた手をパンと叩いて払い、近づいて来る。
 前後の席なのでその距離はいつものことなのだけれど、なんとなく今は近づいて欲しくなかった。
 さっさと離れようと立ち上がると、持っていたカバンを掴まれた。
 かっとなった渉が睨みつけるが、清水は真顔で見返すのみで動揺した様子はない。それが腹立たしい。
「図書館にでも行って、プラネタリウム作るのに必要な材料を調べよう。明日はそれぞれ担当決めておかないと、当日まであっという間だ」
 なんでそんなめんどくさいことを俺が。
 内心がそのまま表情に出ていたのか、渉がなにか言う前に「実行委員はお前だろ」と釘を刺されてしまった。
 ため息をついた渉は「滝沢!」と、普段ろくに会話もしない同級生を呼び止める。
「な、なに?」
 友人と一緒に教室を出ようとしていた滝沢は、渉のイラついた声にビクビクしながらも足を止めた。
 クラスメイトがそれを横目に教室を出て行く。
「お前発案者だろ。必要な材料調べてくれよ」
「あ、うん。わかった。明日まで......でいいんだよね」
 がくがくと頷いた滝沢は話を聞いていたらしく、清水を見つめて期日確認をする。
「ああ、うん。滝沢、悪いけど」
「ううん」
 控えめに笑った滝沢は、渉の様子を伺いながらも清水にバイバイと手を振って出て行った。
 これで自分がやることはない。
 さて帰ろうと歩き始めると、強く肩を掴まれる。見ればまた清水だ。
「ムツー。帰ろうぜ」
 クラスメイトの大葉が清水に声をかける。
「先行っててくれ」
「あ?わかった。文化祭の話し合いも程ほどにしろよ」
 苦笑交じりにそう言い残して、大葉は他のクラスメイトと教室を出て行った。
 みんなばらばらと出て行って教室には二人きりで残される。
 他のクラスは当に終わり、周辺は静かだ。
 外から部活動に勤しむ生徒の声が遠く響いてきていた。
 渉はちらりと横目で外を見る。
 ......まずい、少し暗くなっている。
 ここから日が落ちるのは早い。ギリギリでたどり着けなくなるのは嫌だった。
「放せよ」
「嬉しかったんだ」
「は?」
「長谷川が実行委員に立候補してくれたから、一緒にいろいろ出来るんだと思って」
 その呟きに近い言葉を口にした清水は淡く優しい笑みを浮かべていて、心底そう思っているようだった。
 前に不埒な妄想をしていた口元のホクロが目に入り、渉はなんだかわからないうちに視線を逸らす。
「......」
 なんとも言いがたい。
「学校の行事って面倒なの多いけど、やると楽しいぞ」
「......」
「内申も良くなる。普段交流しないヤツらとも話しできるし。滝沢も、ちゃんと話してみると面白いから」
「あのさ」
 実行委員をやるに当たってのメリットを切々と語る清水に、渉は罪悪感を持ちながら遮った。
 今更クラスメイトと仲良くする気も、出来る気もしない。
「実行委員、今からでも変われないか」
 清水の笑顔が固まった。
「俺、立候補したとき、話が決まらなくてイライラしてたんだ。こんなに毎日やることあるならやらなかった。俺みたいなヤツが実行委員でクラスまとめようとしたって、うまくいかねえよ。だから止めたい。......あ、滝沢合うんじゃね?」
「長谷川」
「委員長だって、俺とやるのは面倒だと思う。だって俺やる気ねー......っし?」
 言いかけたところで、掴まれた肩を強く押された。
 ふらついたところで身をかがめた清水の太ももを掴まれ手ですくい上げられる。
 柔道での足取りと同じような動作だ。もちろん素人である渉はバランスを取れずにそのまま床に倒れこむ。
 受身が取れない渉はそのまま後頭部をぶつけるところだったが、清水の手で頭を抱えられてその衝撃からは免れた。
 訳がわからず見上げたところで、顎を掴まれる。
 目に入ったホクロが近づいた。
「ん......っ?」
 唇を重ねられて渉はぱちりと瞬きをした。
 ああ、また委員長って呼んだな俺。
 ペナルティと言われていたことを思い出して、大人しく清水が引くのを待つ。
「嫌がらないのか?」
 身動き一つしない渉を訝しく思ったのか、清水はゆっくりと身を起こしながら問いかけてきた。
「言われてて呼んじまった俺にも悪いところがあるし」
「意外と諦め早いんだ」
「まあな。で、話終わり?俺帰りたいんだけど」
「まだ」
 起き上がろうとすると、ぐっと胸元を腕で押さえ込まれた。
 強く抵抗すれば起き上がれないことはないと思う渉だが、その後の学校生活を思うとあまり清水と揉め事を起こすつもりにはなれない。
「男だろ。一度言った事を覆すなよ」
 渉を床に押し付けて上から見下ろす男の顔は真顔だった。
 やっぱり真面目だ。
 一年の頃から同じクラスで、渉が実行委員などやり遂げれるような性格ではないことをある程度わかるだろうに、それでも清水は逃がそうとしない。
「嫌々やるより長谷川が、長谷川の意思でやってほしい」
 そっと手が頬に添えられた。ちょっと熱い。
「こういう責任があることは初めてかもしれないけど、僕は長谷川なら出来ると思ってる」
 優しく撫でられて真摯な説得に耳を傾けていると、ぽっぽっと体が熱くなってきた。
「僕も手伝う。だから、一緒にやろう」
 手の熱が伝染したように、顔も熱い。
 あれ、なんか俺緊張してるかも。
 ドクドクと跳ね出した心音に、渉は内心首を傾げる。
 それでも見上げていると、清水の方がはっとしたように立ち上がった。


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