インナモラートの微熱08



 アクリル半球。それから架台となるパイプ。
 電球や固定用の細かい部品。そして星図。
 翌日の昼休みに、必要な材料とそれの作り方が載った用紙を持ってきた滝沢は、渉を見るとどこか怯えたように警戒しながらそれを渡した。
「ふーん」
 ぱらぱらとその資料を見たが、本当にこんなものが作れるとは思わない。
 興味なさそうな態度の渉から前の席の清水がその資料を取り上げた。
 一枚一枚をじっくり眺めて滝沢に微笑みかける。
「これならわかりやすいよ。ありがとう滝沢」
「ううん。僕もやるならちゃんとやりたいし」
 清水と話すときは滝沢も普通に喋っている。
 自分との態度の違いを見た渉は、肩を竦めて窓の外を眺めた。
 今日こそは早く帰ろう。などと、改めて決意する。
 二日連続で平祐に自宅まで送られるのはやはり申し訳なくなる。
 気の知れた仲だからこそ、頼ってばかりになるのが嫌なのだ。
 滝沢は清水に手を振ると友人の輪に戻って昼食を食べ出す。
 渉はいつも自分の机で一人で昼食を取っていたが、渉が弁当を取り出すと、清水も昼食らしい惣菜パンの入った袋を取り出した。
 そしてそれを渉の机に置く。
「向こういかねえの?」
 普段一緒に食べているメンバーを指差すが、清水は軽く首を横に振った。
「食べながらクラス人数分の役割を決めよう。今のうちに決めとけば、会議も早く終わる」
「ふーん......」
 そう言われると渉もなんとなく拒否しずらい。
 清水はパンを片手に、ノートを取り出してクラスの人数と必要だろう項目を書いていく。
 大きく分けて天球と架台を作るグループと会場設営グループ。それから当日の接客と進行を務めるグループ。
「ざっとこんなもんか」
「すげーな。考えてきたのか」
「まあな」
 具体的に考えてきた清水に素直に感心すると、男はまんざらでもないような表情で顔をほころばせた。
「長谷川、部品の買出し行けるか?」
「いつ?」
「週末かな。これだけ材料を買い込むとなると、店をハシゴしないといけないかもしれないし」
 滝沢が用意してくれた資料に視線を落としている清水を眺めながら、渉はオカズを口に運ぶ。
 弁当を作るのは渉の役目だ。
 両親と自分の分を作っているので、手抜きをしつつも栄養バランスはよいものばかりになっている。
 あっさりと一つ目のパンを食べきった清水は、二つ目を口に運んでいた。
 誰かと向かい合って食事を取るのは久しぶりで、渉は少しだけ落ち着かなかない。
 資料に視線を落としている清水の真面目な顔から目は離れなくて、「長谷川?」と呼びかけられるまでぼんやりしていた。
「帰りが遅くならないなら、行ける」
 いつの間にか熱くなった身体に、着ていたカーディガンを脱ぐ。
 ボタンを外し胸元をぱたぱたと扇ぐ渉は自分の体温を下げることばかり考えていて、清水が口元を押さえながらじっと見つめていたことには気づかなかった。
「よ、し。......じゃあ土曜に駅で待ち合わせしよう。メールする」
「ああ」
 一人でいることの多い渉だが、入学後すぐに通過儀礼としてクラスの何名かとメールアドレスを交換していた。その中に清水もいたのだ。
 清水はメールもまめで、一年の一学期頃は渉にもよくメールを送ってくれていたのだが、渉がほとんど返事をしないでいるとその習慣もなくなっていた。
 一年以上前のことを思い出しながら渉は、平祐以外の他人と外出すること自体久しぶりなことにふと気づく。
 しかもその相手が清水。
 付き合いが多く、休みの日も忙しいだろう男と二人きりで買い出し。
 少しだけ、首の後ろ側が熱くなった気がした。
 どうにかして自分を落ち着かせようと四苦八苦していると、急に腕を掴まれる。

 引き寄せられてぎょっとした。

「いつもと時計違う」
「......買った、んだ」
「ふーん。いいな、どこのブランド?」
「知らねえ」
 清水は渉の腕を掴んだまま、色んな角度から時計を眺めている。
 時計が変わったことに気づくこともさることながら、今の状態が居た堪れない。
 カーディガンを脱いだせいで隠れていた手首が露になり、隔たるものがなく清水の体温を感じる。
 シャツの袖のボタンを止めずにだらしなくしていた自分を、渉は脳内で罵った。
 男らしいがっしりとした手には力が入っていない。
 緩く掴んでいるだけなのに、渉はそれを振り払うことができずにいる。
 箸を操ることすら忘れて必死で平然を装う渉とは対照的に、清水は大きく口を開けて惣菜パンを頬張っていた。
 清水の親指が、腕の内側の柔らかい肌をすり、と撫でる。
 一度だけではない。そのままくすぐるようにすりすりと撫でられ、渉は震えそうになる唇をゆっくりと閉じた。

 掴まれている時間が、長く、感じる。

「長谷川センスいいんだな」
「そりゃ......どうも」
 褒められたのに、素っ気ない返事しか出来なかった。
「そういえば昨日のドラマ見た?」
 話が変わって、ようやく手が離された。
 不自然にも思える速さで、渉は自分の腕を机の下に隠す。
 片手だけで弁当をつつくのは食べにくいし、見た目も悪いだろうが仕方がない。
 もう片方の手で、触れられた箇所を引っかきたかった。その感触を消したかった。
「見てねえ」
「そう?結構面白いよ。主人公の男が五股かける話らしくて、今三股目。あんなの放送して苦情とかこないのか気になる」
「興味ねえよ、んなの」
 動揺に動揺を重ね過ぎて渉が酷い態度を取っていたにも関わらず、清水は楽しそうだ。
 笑った清水の視線が自分の胸元を辿る。
 それに気づいたとき、渉はボタンをはめ直してカーディガンを羽織っていた。
 袖のボタンもきっちりはめる。
 どうしてそんな行動をしていたのか自分でもわからない。
 だらしないと思われたのが嫌だったのだろうと、自分の行動を結論付けておかずを口に運ぶ。
「長谷川って、こうして見ると口小さいんだな」
「......」
「ハンバーガーとか何口で食べれる?僕三口でいける。口小さいと、食べるのも遅くなるよな」
「なんだよ、嫌味かよ」
 清水は既にいくつもあるパンを食べきっていた。
 大食漢の割りに、燃費がいいのかすらりとしたシルエットなのが腹立たしい。
「いや?僕、人が食べてるの見るの好きだから」
 弧を描く口元のホクロをじろりと睨んだ渉は、持ってもないマスクで口を隠したくて仕方なかった。
 唇を見られながらの食事はなかなか進まず、食べた気もしない。
 そもそも文化祭のうちあわせのために向かい合って食べていたはずなのに、結局話題に出たのは最初の五分間だけだった。


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