インナモラートの微熱2度05



 月曜日はからりとした秋晴れに恵まれていた。
 だが吹きつける風は冬の気配を孕んでいる。
 登校した渉は、教室で思いつめたような表情の清水に腕を掴まれた。
「な、なんだよっ」
「ちょっと来て欲しい」
「でも、ホームルーム......」
「すぐ終わるから」
 有無を言わさない勢いで清水は渉の腕を引く。
 登校していたクラスメイトは、揉める二人を驚いたように眺めていた。
「お、おいムツ?!」
 清水の普段ない様子に親しい友人の大葉が声をかけるが、清水は振り返ることなく渉をつれて教室を出て行った。
 渉も驚いてただ呆然と清水の背を見ていた。
 平祐に無視しろと言われていたのにすっかり忘れている。
 清水は人気のない場所を探してか、特別室が多くある廊下に向かい、そして鍵が壊れている家庭科準備室に清水を連れ込んだ。
 鍵が壊れているためか、この教室には本来置いてあるはずの調理器具や棚はなく机や椅子などが置いてある。
 もはや物置代わりだ。
 埃っぽい上に備品で日差しが遮られて薄暗い。
 病気のせいで暗い場所は好まない渉は、わずかに眉根を寄せた。
「こんなところまで連れてきやがってなんなんだよ」
 渉は清水の手を払って、掴まれていた腕を庇うように片手で押さえる。
 こうも清水が強引に出てくるとは思わなかった。
 平祐に言われた通り無視していようと思った渉は、最初から躓いたことに舌打ちをする。
 清水は渉を逃がさないようにドアを背に立っていて、話が終わるまでは逃げられそうになかった。
「土曜日は、悪かった」
 さてどうしようと渉が思考を巡らしていると、清水が深く頭を下げた。
 他人に頭を下げられて謝られることなどない渉は、息を飲んで固まる。
「順番間違ってごめん。僕、舞い上がってて......感情のままに動いたことを反省してる」
「そ、うかよ......。分かれば、いいんだよ、分かれば......」
 戸惑いながらも高飛車に言い切るが、顔を上げた清水に見つめられて渉は先ほどとは違う意味で硬直してしまった。
 熱くてギラギラした眼差しが向けられている。渉は僅かに後ずさった。
「あっ......」
 狭い準備室にあった机に当たり、それに驚いた渉が大きくビクつく。
 反射的に清水の隣を走り抜けようとした渉を、清水はあっけなく捕まえた。
 先ほどこの教室に引っ張ってきたときよりも力強く、その腕の中に渉を閉じ込める。

「好きだ」

 飾り気のない真っ直ぐな言葉が、渉を射抜いた。
 抱き締められた渉は身動きが取れない以上に、清水の告白に頭が真っ白になっている。
 急に暴れ出した心臓が、渉を知らない高みへと押し上げていく。
「渉のことは気になってたんだ。けど、なかなか話す機会がなくて......今回渉が実行委員に立候補してくれたとき、凄く嬉しかったんだ」
 心情の吐露に、はるか彼方に飛んでいた意識が少しずつ戻ってきた。
 懸命に愛の言葉を重ねる清水に、渉は奥歯を噛み締める。
「高校に入ってメアド交換したとき、本当はもっとメールしたかった。渉が何が好きか知りたかったし、僕のことも知ってもらいたかった。......あのときから気になってしょうがなかったんだ」
 抱きすくめられているせいで、顔は見えない。
 けれど、きれいに刈り上げられたうなじと耳の付け根と顎のラインはぎりぎり見える。

 甘ったるい匂いをさせて、俺を騙そうったってそうはいかない。

 衝撃的だった甘い移り香は今はもう清水からは感じないが、それでも脳が覚えていてその匂いを再生してしまう。おかげで薄い爽やかな香りを嗅ぎ取ることは出来なかった。
「渉......渉好きだよ。あのときからなんて言わない。土曜日に君に逃げられて、改めて自覚した。君が好きなんだって」
 平祐の言った通りだ。俺に嘘なんか付きやがって。
 好きなんていって、言い繕うなんて。
 怒りが重く、腹の底で煮えくり返る。
 絆されて身体を開くように見られたのかと思うと気に食わない。
 確かに渉の外見は真面目や品行方正と言った言葉からはかけ離れているが、中身は至って普通だ。
 優しい言葉と強い抱擁に動揺して、それでいて裏切っていると考えることで、強くなる胸の痛みに悲しめばいいのか怒っていいのかわからない。
 けれど今はどうしたらいいかなんて悩む必要はなかった。
「放せ」
 低く這うような声を出すと、清水は微かに震えたようだった。
 ゆっくりと離れていく体温とじっと見つめてくる瞳。
 真顔の男は、先ほどまでの強引な素振りを潜めさせて、様子を伺っているようだった。
「ふざけんなよ。俺は浮気相手なんて冗談じゃない」
「......何言ってるんだ?」
 清水は酷く驚いたようだった。
「いい。お前がなに考えてるかなんてわかってるんだぞ俺は。......男子校だし、そういうのがあるのは知ってる。つまみ食いしたいなら、そういうやつ選べばいい」
「僕が、雰囲気に任せてキスしようとしたことを怒ってるんじゃないのか?」
「黙れよ」
「つまみ食いって......浮気相手とか、君何か勘違いして」
「いいか清水。俺はお前が何をどう言おうと信じねえし、全部嘘ででまかせだと思ってるから」
 冷めた目で見やると、清水は小さく口を開けたまま渉を凝視していた。
 さっきまで滑らかに動いていた口はもう音を発しない。
 渉はふんと鼻を鳴らした。
「何、言わねえの。『好きだ』って、薄っぺらい言葉」
「......なんで」
 清水は渉の言ってることが本心だと察したらしい。青ざめた顔で呆然としていた。
「金輪際俺に関わるな。文化祭のことも誰が他のヤツと一緒にやれよ」
 言った。言い切った。
 渉は心の中で拳を握り締めながら、表面上素っ気なく清水の肩を押しのけてドアを開ける。
「......わたる......」
 背に投げかけられた声は悲しみに彩られていた。
 その声に自分の感情も揺さぶられて、渉は酷く緊張する。
 名前を呼ばれただけでも、こんなに辛い。
 偽物の言葉を更に紡がれていたら、心臓に針が刺さることだろう。
「っはあ......」
 清水を準備室に残し、早足で廊下を歩いていた渉は苦しさに息を吐き出した。
 知らず知らずのうちに呼吸を止めていたらしい。
 無視はできなかったが、これでもう清水が近づくことはないだろう。
 席は近いが、どうとでもなる。
「......二股とかすんなよ。馬鹿」
 小さく呟いた声に、子供が拗ねたような響きが篭もっていることに渉自身は気づいてなかった。


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