インナモラートの微熱3度01



 文化祭本番まであと二週間を切った。
 校内のあちこちで、当日の飾りつけの道具や仕上げたものが転がっている。
 本番に向けて徐々に盛り上がってく生徒に、渉は一切関わらずに日々を過ごした。
 実行委員の集まりにも欠席したし、プラネタリウムの準備も一切手伝わなかった。
 清水も渉の冷ややかな態度に話しかけることはなく、接触も殆どない。
 前後の席なのでプリントを手渡す時に清水が振り返るが、その時も視線が合うことはなかった。

 これでいい。

 実行委員になる前と同じ、そっけない日々。いや、そっけないと感じる日々。
 渉はその理由をあまり考えないようにしていた。
 文化祭の準備をまったくしなくなった渉に、クラスメイトが向ける眼差しはだんだんと険悪なものになってくるが、不思議と何か言ってくる者はいなかった。
 その理由を考えながら、渉はぼんやりと前に座る清水の背を見やる。
 どんなときでも真っ直ぐ姿勢のいい背中。うなじは制服の詰襟で殆ど見えない。
 あの男に付けられたキスマークはまだそこにあるのだろうか。
 キスマークと言っても、所詮は内出血だ。しばらくすれば消えるもの。
 消えているのか、それとも改めて付けられたのか。
 どうでもいいことだと思いつつ、そんなことが気になった。
 透視が出来るわけでもないのに、渉は授業中すっと伸びた背を見つめ続けていた。
「長谷川」
 授業も終わり、さて帰ろうとカバンを手にした渉を何人かが取り囲む。
 クラスメイトだ。どちらかと言えば清水と親しい級友ばかり。
 来たな。
 ここ二、三日、自分を遠巻きにしてひそひそと囁く態度が気に食わなかった。
「なんだよ」
 渉が前に並ぶクラスメイトを睨みつけると、一人が口を開いた。
 清水と特に仲が良い大葉だ。身長は渉よりも小さいが、鋭い眼光を向けても一切動じない。
「お前さ、ムツが何も言わないからっていい加減にしろよ」
 大葉の大きくもない声に教室内がしんとなる。
 教室はホームルーム直後で、教室の中には殆ど生徒が残っていた。
 呼び出して問い詰めるよりは堂々と責めるつもりだろう。
 清水は担任に呼ばれ、つい先ほど教室を後にしている。
 戻ってくるにしてもしばらくかかるに違いなかったし、大葉たちがこのタイミングを狙ったのは安易に想像ついた。
 それはなぜか。
 考えるといやな結論にたどり着いて、渉は眉間に皺を寄せた。
「個人的にムツと仲違いしてんのはわかってる。でもクラスでやんなきゃいけねえ準備ぐらいやれよ。お前がやる作業全部、ムツがやってんだぞ」
「頼んでない。やらなくても俺は困らない」
 渉のあっさりと放った言葉に教室がざわついた。
 「うわー......何様だよ」「マジあいつ性格わりい」そんな渉に向けた言葉を耳は拾う。
 前に立った大葉は怒りに満ちていく周囲とは別に、僅かにふっと息を吐いた。
「困んのは俺らとムツだしな。長谷川、お前清水に庇われてんの知ってるか」
「......」
 渉は肯定も否定もしなかった。
 よくよく考えなくても、渉に喧嘩腰に声をかけようとする相手を捕まえては、清水はさりげなく話を変えて遠ざけていた。
 改めてその事実を突きつけられると、渉はなにやら変な気持ちになる。
 あれだけ手酷く拒絶したのに自分を庇う清水に、渉は自分の都合の良い方に考えてしまいそうで、軽く目を閉じた。

 嬉しいとか、俺馬鹿じゃねえの。

 湧き上がった感情を自分で否定する。
「で、俺に何しろって」
「滝沢」
 ここで言い合いをするのも面倒だった。
 冷めた眼差しを向けると、大葉は滝沢を呼ぶ。
 滝沢は少し困った表情で近づいてきた。
 差し出されたのは透明アクリルの半球。
 表面には赤い線と赤い点、黒い点、青い点、緑の点がペンで記されている。
 細かく描写されすぎていて、最初は単なる落書きにしか見えなかった。
「赤い点が一等星で、青が二等星、黒が三等星、それからみどりが四等星。長谷川くんにはこれの穴を開けてもらうね。工具があるから付いてきて」
「......」
 手渡された半球を持って、渉は滝沢を追って教室を出た。
 教室中の視線が渉に集まるが、他のクラスメイトは誰も付いて来ることはなかった。
 滝沢に連れられて、たどり着いたのは総合実習室だった。
 中では他のクラスののこぎりで生徒が板を切ったりミシンで縫い物をしている。
 作業にはもってこいの場所だ。
 滝沢は実習室の端に備え付けてあるドリル台に近づくと、側に置いてあった箱の中から同じような半球を取り出す。
 渉が持った半球と見比べてみると、二つの半球は大きさは同じなものの、滝沢のものは既に穴が開いていた。
「こっちは僕がやったんだ。やり方教えるから」
 滝沢は気が進まないといった表情で手順を教える。
 普通のアクリルの板とは違い、湾曲しているので固定も難いことと、等級にあわせた大きさの穴を開けるアクリル用ドリルは、それぞれ替えがないことを注意点として教えられた。
「絶対割らないでね。これしかないから、割ったら間に合わないから」
 『絶対』に力を込めて宣言された。
 手順を聞いた渉は、試しに一つ穴を開けてみる。
 言われた通り、半球の固定が難しい。
 油断すると目当てとは違う箇所に穴を開けかねなかった。
 いくつか穴あけを繰り返し、渉は手を止める。
「これ、終わったらどうすんの」
「割れないようにこの布で包んで、そこにある箱に重ねて入れておいて。ここには他のクラスの出し物の準備もあるから、壊さないように気をつけてね」
「わかった」
 頷いた渉は早速布で穴あけしていた半球を包む。それを見ていた滝沢は動きを止めた。
「......なに、今日はそれで終わり?」
「ああ」
「最ッ低!みんな作業してんのに良く帰れるね!」
 滝沢の怒鳴り声に、作業の音が止まった。
 何人かが手を止めて視線を向けているのを感じる。
「別に、間に合えばいいんだろ」
「ッ~......!」
 顔を真っ赤にした滝沢は、ぱくぱく口を開閉させていた。
 怒鳴りなれていないのか、罵りたいのに言葉が出てこないその様子に、渉はふっと笑う。
「期限までに出来上がらなくても、僕は絶対手伝わないから!!」
 それだけ怒鳴ると、滝沢は肩を怒らせて実習室を出て行った。
 渉だけでなく、周囲の人間も怒鳴った滝沢を眺めて呆然としている。
「ぷっ......」
 滝沢と話してみると面白いと言ったのは言ったのは清水だったか。
 挑発したが怒鳴られると思っていなかった渉は、一頻り笑った後に実習室を出る。
 今日は雨で日暮れがいつもより早い。
 視界が悪いこともさることながら、暗くなる前には家に着かないといけない。
 久々にいい気分で、渉は足取り軽く家を後にした。


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