インナモラートの微熱4度02



「明かり、つけてくれるか?俺、暗いと全然見えないんだ」
「暗い?僕も目がいい方じゃないけど、このぐらいなら全然見え」
「俺は見えねえって言ってんだろうが!!」
 かっとなった渉は清水を突き飛ばした。
 その反動で渉はよろめき、腰を机に強かに打ちつけて倒れこむ。
「ってぇ......」
「大丈夫?」
 清水が手を差し伸べて問いかけるが、渉にはそれも見えていなかった。
 視線が虚ろに動くのを見て、清水は渉の腕を掴む。
「ごめんね、驚かせて......」
 ゆっくりと助け起こしながら謝る清水に、渉はバツが悪そうな顔でそっぽを向く。
「でも、この明るさでも見えないのなら、もしかしたら視神経の病気かもしれないから病院に行った方がいい。僕も付き合うから」
 この明るさ、と言った。
 ......もしかしたら昔よりも症状が悪化しているのかもしれない。
 渉は大きくため息をついて、首を横に振った。
「視神経の病気なんだよ、俺。先天性だから、症状は悪くなることがあっても良くならない」
 不貞腐れたままの説明に、清水は絶句したようだった。
 何か言いたげな気配だけが伝わってくる。
「............失明、するとか......?」
 しばらくたって問われた内容に、渉は少しだけ笑った。
「そこまで極端なもんじゃねえよ。ただ、人より夜になると目が見えなくて、場合によっては視力の衰え方が早いってだけ」
「そうなんだ......」
「まあ、面倒だけどな。日が落ちると外が昼間並に明るいことなんてないから、一人で外出も出来ないし」
「渉......」
「とりあえず、明かりつけてくんね?清水が見えても、俺は見えないから」
 完全な失明とは違う症状を説明するのは難しい。
 再度渉が訴えるとすぐに教室が明るくなった。
 眩しい光に目を瞬かせる。
「明るいところから急に暗いところに入ると、見にくいことがあるじゃん?暗順応っていうんだけど、他の人はすぐに目が慣れるけど、俺は慣れないってだけのこと」
「だからすぐに帰ったり、......吉岡だっけ?隣のクラスの。に送ってもらったりしてたのか」
「平祐はマンションが同じで小さい頃から一緒だったから、俺の症状知ってるだけ。これ、人に言ってもよく理解されなくてさ。昼間と夜で明るさが違うだけで見えなくなるなんて」
 だからあまり言いたくなかったのだと苦笑する渉に、清水は形の良い眉毛を悩ましげに歪めている。
「清水も気にすんなよ。こんなの俺小さい頃からだし」
「......」
 慌てて言い繕うが、清水は表情を変えなかった。
 同情されるような表情を見たくなくてあまり言いたくなかったのに、知られてしまったことに渉は肩を落とす。
 沈んだ空気が支配する教室に居心地の悪さを感じた渉は、自分の携帯に着信が入っていることに気づいた。
 二つ折りの携帯を開くと、そこには平祐の名前がある。
「平祐」
『すぐ出れなくて悪い。どうした?』
 電波に変換された声が低くて心地よい。
「いや......忙しいところ悪いけど、また迎えに......っ?」
 送迎を頼もうとしたところで、携帯が奪われた。
 見れば清水が先ほどとは違う感情で顔を歪めている。
 瞳に浮かんでいるのは嫉妬の炎のようにも見えた。
 その炎にちろりと肌を焼かれた渉は、ぞくりとしたものを感じる。
「僕が送るよ」
「え、でも悪いし......」
「悪くなんかない。君の役に立ちたい。......好きだって言っただろう?」
 思っても見なかった二度目の告白。
 かあっと赤らめた渉の頬に、清水が手を添えるとゆっくりと顔を寄せてくる。

 そのキスは甘く優しいものだった。

『渉?おい、どうした渉!』
 教室なのに、平祐との電話が繋がったままなのに、渉は自分からは拒否ができない。
「んん......ぅ」
 少し強引に入ってきた舌が、渉の口の中の傷に触れた。
 痛みが走って背筋を震わせる渉に、携帯を握らせると清水はそっと囁く。
「電話、断って」
 それは懇願よりも強く、命令に近いものだった。
 清水はそのまま渉の耳に先ほどのキスのようにぺろりと舐める。
 耳朶を甘く噛まれて、渉の息が弾んだ。
 腰には清水の両腕が回り、逃げ出すことは出来ない。
 本気になって突き飛ばせば先ほどのように離れるだろうが、そんなことはしたくなかった。
「早く」
「は......へ、いすけ?」
『どうした?何があったんだ?』
 弄ばれる耳とは逆側に携帯を押し当てると、早口で問われた。
 電話越しに浮かんでいるであろう幼馴染の険しい表情を考えて、渉は胸が痛んだ。
 けれど早く断れとばかりに耳朶を歯で噛んで引っ張られ、渉は懸命に声を押し出す。
「なんでも、ない......っ」
『声が変だ。今家か?』
「ガッコ、だけど、大丈夫......。ごめん、迎え、も、大丈夫だから」
『渉っ?』
「練習、頑張って......っじゃあな」
 平祐はなにか言っていたが、構わずに渉は電話を切った。
 そうしなければ、あらぬ声が出てしまいそうだったからだ。
「耳が敏感なんだね」
 ちゅっとリップ音を響かせて清水が離れたときには、力の抜けた体が足から崩れ落ちてしまいそうで、必死に耐えていた。
 そんな状態に追いやった清水は、どこか嬉しそうな表情で渉から離れ、自分と渉のカバンを手にしている。
「こん、急に、すんな......!」
「急じゃなければいいの?」
「てめ......」
 じろりと睨みつけるが、清水はにっこりと微笑みを返すだけで効果はない。
 それどころか渉の手を掴んでさっさと歩き出す。
 いつも真面目で優しい男の強引な仕草に、渉は戸惑いを隠せなかった。
 しかし、惚れた弱みなのかその強引さが嫌ではない。
「吉岡くんみたいにバイクなんて持ってないから、普通に送ることしかできないけどいいかな?」
「い、いいけど、清水、手......!」
 手を引かれながら教室を出た渉は、周囲を気にしてその行為を嫌がる。
 けれど清水は放してくれない。
「君はいやかもしれないけど、目のこと建前にさせて」
「え?」
「手を繋いでいるのは、渉が見えないからってことで。......単に僕が手を繋ぎたいだけだけど」
 そう言われると、拒否しづらい。
 更に言えば、暗い廊下を歩くのに手を繋いで歩くより、肩を掴ませて歩かせてもらった方が歩きやすいのだ。

 ちょっと俺も浮かれてるかも......。

 思わず手を握り返した渉は、気恥ずかしさに首を竦めた。
 弾んだ声で「渉の家ってどこ?」と聞いてくる清水を無下には出来ず、渉はくすぐったい気持ちのまま昇降口に向かった。


←Novel↑Top