インナモラートの微熱4度06



 浴室に駆け込んで、シャワーを頭から浴びる。
 粘着力の減った絆創膏はここで外した。
 傷に水が少しだけしみる。
 指でその傷に触れると、渉はそのまま指で自分の唇をなぞった。
 先ほど押し当てられた熱を思い出して目を閉じる。
「は、ぁ......っう」
 緩く勃ち上がったモノに手を添えてゆっくりと動かす。
 先ほどされたことを思い出しながらの自慰は、驚くほど気持ちが良かった。
「っう、う......しみ、ず......」
 こちらも短時間で爆ぜる。
 手を汚した精液はシャワーに流されていった。
 それをぼんやりと眺めた渉は、やがて真っ赤になって首を横に振る。

 うわ......俺清水で、オナニーしちまった......。

 今まで清水を想うと胸がドキドキするばかりで、こういった性欲を持つことがなかった。
 なのに一度体験したら、意識してしまうことをやめられない。
 それでも気持ちを切り替えるように、顔、髪、身体の順に洗っていくと疲れがどっと出た。
 ぐうっと腹もなる。
 夕飯も食べていないので、成長期の高校生としてはそれは当然だった。
「メシ食ってくかな」
 湯を止めてタオルで身体を拭く。
 清水が食べるというのなら二人分作らなければならない。
 冷蔵庫の中身を思い出しながらシャツとジャージを着て脱衣所を出た。
 自分の部屋を覗くと清水がいない。
 リビングに行ったのかと視線を向けると、影が揺らいでいるのが見えた。
「しみずー。お前メシどうす......」
 リビングに入りながら声を張り上げた渉は、そのままぴたっと停止した。

 そこには清水だけでなく、もう一人の人物がいたのだ。

「へぇ、すけ......」
 険しい顔の清水に相対するように腕を組んで立っているのは幼馴染の平祐だ。
 昔からの付き合いである平祐は渉の両親の信頼も厚く、何かあったときのために、と合鍵を持たされている。
 それを使って入ってきたのだろう。
 平祐は渉に驚愕した表情を向けると、すぐに眉間に皺を寄せて近づいてきた。
「その傷どうしたんだ!」
「あ」
 顎を掴まれて顔を上げられた。
 誰でもわかるような、殴られた傷に平祐の機嫌が降下するのがわかる。
「一体誰にされた?......清水か?」
「へっ? ち、違う、これはまあちょっといろいろあって......でも、平祐が心配するようなことは全然なにもないから」
 どう説明していいのか渉が視線を彷徨わせているところだった。
 首にかけていたタオルを振り払われ、シャツの胸元を捕まれ引っ張られる。
 平祐が凝視している部分に、つられて視線を向けた。
 自分ではわかりにくいが、赤い鬱血が散らばっているのが見える。
 平祐の口元がぴくりと引きつった。
「吉岡くん、僕の渉に乱暴しないでくれないか」
 清水がゆっくりと近づいてきて、平祐の手を払った。
 そして平祐の前で渉の腰を掴んで引き寄せる。
「あ、あああ、なに、してんだよ清水。あと何言ってんだよ、はは......」
 笑って誤魔化そうとするが、渉以外誰も笑わなかった。
 清水と平祐は睨みあっていて、一触即発の雰囲気が漂う。
 どうしてこんなことになっているかわからなくて、渉はただ身を縮めるだけだった。
 だが不意に清水が渉の耳に顔を寄せて「渉」ととろけそうなほど優しい声を出した。
「吉岡くんに、はっきりと言っておいたほうがいいんじゃないか。僕と、君のこと。仲がいいのなら尚更」
「ええええっ?」
「......渉、どういうことだ。その二股野郎は振ったんじゃないのか?」
 二股、と言われて清水はぴくりと片眉を上げる。
「や、あの振ったんだけど......その、それは俺の勘違いだったみたいで......な、仲直りしたんだ」
 何でも隠し事をせずに話していたとはいえ、親友に全部を明かすのは恥ずかしい。
 でも遅かれ早かればれることだと渉ははにかんで笑った。
「ええっと、つ、付き合うことに、なったんだ。.........よな?」
 自分で言っておきながら、自信がなくなった渉はちらりと自分の背後に立つ清水を見やる。
「うん、そうだよ」
 清水は嬉しそうに笑うと渉の首筋にキスを落とした。
「ってそういうこと人前ですんなよ......!」
 恥ずかしさで身じろいで逃げようとする渉をしっかりと捕まえて、鋭い視線を平祐に向ける。
「そういうわけで、今までご苦労様。......今後は、渉に余計なことを吹き込むのは止めてもらいたいね」
 清水の言葉は、どこか含みのある言い方だった。
 平祐はちっと舌打ちをして、渉を見る。
 向けられたのは、少し寂しげな優しさを灯した瞳だった。
 反射的に平祐に近づこうとして、渉は清水に阻まれる。
「その傷、化膿しねえように気をつけろよ」
「う、ん」
「わかってると思うが、何かあったらいつもみたいに俺に言え」
「うん。っ......?」
 渉が平祐を頼りにするのはいつものことだったので素直に頷くと、背後から抱き締める清水の手の拘束が強まった。
 後を見ようとするが、生憎この立ち位置だと顔が見えない。
「今日は俺ももう家にいるし、いつでもすぐに駆けつけられるからな、渉」
 渉に向けての言葉なのに、なぜか平祐は清水を見据えて告げた。
 声の暖かさとは裏腹に表情は怖い。
 清水と平祐の間に冷ややかな空気があることに、渉は慌てた。
「な、なんか勘違いしてねえ?清水は別に俺に酷いことしたりしねえって」
「いいから、お前は俺を頼ればいい。じゃあ、俺は帰るから」
 にやっと笑った平祐は、そのまま二人の脇を通り過ぎて家を出て行った。
 リビングはしんとなる。
 なんとなく渉は怖くて後が振り返られなかった。
 最後の言葉は明らかに挑発しているようにしか聞こえなかったからだ。
「し、清水、平祐はその......兄弟みたいに育ったから俺のこと気にしてくれてるだけで、その、悪いヤツじゃ」
「ストップ」
 渉はくるりと向きを変えられると唇に指を押し当てられた。
 清水は優しい笑みを浮かべており、怒っていないことにほっとする。
「渉、僕のことは睦って呼んで」
「むつみ?」
「うん。それで、『睦が好き』って言って?」
「......」
 そういえば、まともに言ったことはない。
 恥ずかしさで顔を逸らそうとすると、細い指で顎を捕らえられた。
「わたる......言って」
 切ない眼差しを向けられて、渉は堪らず清水を抱き締める。
「.........っす、きだ。睦......」
 そっと耳元に囁くと、逆に痛いぐらいに抱き返された。
 「もっと」と催促されて、同じ言葉を繰り返す。
 その間、抱き合っていた渉は清水が浮かべていた表情に気づくことはなかった。


←Novel↑Top