運命の日1-2



 通された部屋は残念なことに、非常に残念なことに、本当にスイートルームだった。
 キングサイズのベッドが占領しても、余裕のある空間。何のためにリビングなんてあるんだとも思うし、階段の上にはもう一つベッドがあるという。
 そのベッド、明らかにいらねえだろうが。
 俺が心底嫌な顔で「広いですね」と呟くと、高橋が部屋の説明をしてくれた。
 見もせずに言うってことは、何度か利用してるってことだ。けっ。
 わざとらしく嫌味を言うのも、貧乏人の僻みのようで口には出せない。
「ミニバーもあるから、ここで口説くのもいい」
 スーツの上着を脱いだ高橋は、シャツの袖ボタンを外すと腕をまくった。
 そのまま近づかれて無意識に体が硬くなる。それを察したのかチラリと色目のような視線を向けられて、居心地が悪かった。
「なにを緊張している。君らしくない」
「俺らしいって、なんですか」
 アンタが俺の何を知っている、と口外に含んで見せたが、笑って流された。やっぱムカつく。
 そのうちに高橋からばさりと分厚い紙の束を放られた。
 咄嗟に受け取ると、「Business plan」と書かれた表紙がある。ぱらりと捲る中は英文で書かれていた。
 なんだこれ。
「一通り目を通しなさい」
 眉間に深く皺が刻まれるのを自覚しながら、俺の目はその文章を追っていた。
 一枚、二枚。......捲るごとにそこに書かれたことにのめりこんでいくのが自分でもわかる。
「ここの部屋は白い壁が気に入ってね。創立者の写真、無駄な賞状を飾るより余程いい」
 高橋がなにかを言いながら、旅行カバンからなにかを取り出し、移動させたサイドテーブルに乗せている。
 確かに俺の会社には、会議室の壁にごちゃごちゃと飾ってあったが、そんなもの気にも留めたことはなかった。
 これをもっと読みたい。
 スーツの上着を脱いで、ネクタイも外す。靴を脱いで広いベッドの上に胡坐を掻いた。
「藤沢くん」
 ぁんだよ。
 呼ばれてチラリと視線を向けると缶ビールが飛んできた。
 咄嗟に受け取り、僅かに栓を開けて軽くガスを抜いてから口に含む。冷えてて美味しい恵比寿ビールだ。
 半分ほど一気に煽って、缶はベッドサイドに置いた。その間も書類から視線を外さない。
 自分でも驚くぐらい、英文を脳みそに詰め込んでいく。
 たぶんそうかからないうちに、締めの言葉まで目で追ってから俺は一息付いた。
 顔を上げた瞬間に部屋の明かりが消される。
 もう一度読み返そうと思っていた俺は、暗くなった手元にイラッと来た。
「なにすん......」
 文句を言おうと顔を上げると、白い壁と高橋が言った壁だけ四角の光が当たり浮かび上がっていた。
 ソコに有名なパソコンOSの文字が刻まれ、すぐに誰かのパソコンのデスクトップが現れている。
 明かりの元は移動させたサイドテーブルに乗せてある四角の機械。会社でもたまに使うことがあるプロジェクターだ。
 そのプロジェクターには少し離れたところにあるノートパソコンが繋がっている。
 浮かび上がった画面に、レーザーポーンターの赤い光が舞った。
「会社説明会なんて、何年ぶりですかね」
 背を丸め、膝に肘をついて高橋を眺める。
 高橋はノートパソコンの前に陣取っていた。画面上の矢印が動いてファイルを開いていく。
 渡された書類は新規で立ち上げる会社の事業計画で、これから始まるのはその会社のプロモーションだ。
 たった一人の人間にアピールするために、わざわざここまで準備したことを考えると背筋がぞくぞく来る。
 この男は頭のいい馬鹿だと、そう思った。
「面白い。付き合ってやろうじゃねえか」
 口元に笑みが浮かぶのが止められなかった。


 アジアを主軸に展開される到底、出来るとは思えない事業。
 まだ大きな枠組みしか出来ていないだろうその計画を話す高橋は楽しそうだった。
 だがまだ粗い部分も多くて思わず突っ込んだせいで、そのままディベートになってしまう。
 おかげで、気づけば夜が明けていた。
「他に気になったことはあるか?」
「ある。......もう6時なんですが」
 平日の真っ只中に一睡もせずに野郎と夜を明かしてしまった。
 時計を見た俺は、思わず手の平で目の上を押さえる。
 怒鳴ったせいで喉は痛いし、ちかちかする画面を見続けたせいで頭の奥に鈍痛が響く。
「アンタらしい、実に面白そうな話ですよ」
 話を切り上げようと、俺はベッドを降りながら伸びをした。
 着替えに帰る時間はあるのかこれ。......まあとりあえずシャワー使うか。
「頑張ってください。応援してますよ。その夢物語」
 スーツの上着とネクタイを拾ってバスルームに向かおうと足を踏み出すと、強く腕を掴まれた。
 振り返れば笑顔の割に、剣呑な眼差しの高橋がいる。
 おい、距離ちけぇぞ。
「私は夢物語で終わらせるつもりはないんだ。今は必要なものを集めてる最中でね」
「へえ。集まるといいですね」
「君もそれの一つなんだが」
 急に温度が下がった気がした。
 俺は殊更意識して微笑みを浮かべる。
「残念ですが、俺は今の生活に不満ないんでお断りします」
「君がそれで満足するとは思えない」
 うるせえ。勝手に決め付けんな。
「やりたい、と思ったんだろう。だからあれだけ私の計画の粗を指摘してきた」
 抑揚を抑えた声が、やけにうるさく感じられた。
 熱意を込める視線を受けきれずに視線をそらす。
「私と供に行こう。日本は君にとって狭い檻だ」
 檻。そんなこと思ったことはない。
「残念だが、俺には守るものがあるからな。んな成功するかわからない話になんて乗れるか」
「早川君なら大丈夫だろう。......といっても、君の本当に守りたいのは弟か」
「なん」
 思わず目を見開いてしまった。
「ボクシング選手の夢も一度は望んで諦めた。給料も待遇も、今よりいい外資系企業の内定をいくつも貰っていたのに、日本に主軸をおく企業を選んだ。そこまでした存在は、もう君の手から離れたんだろう? ならいいじゃないか」
 心臓が止まるかと思った。
 驚愕で強張る俺に、高橋は口の端を吊り上げる。
「ちなみにこれは私が個人的に調べただけで、早川君から聞いたわけじゃないから」
 くらりと眩暈がした。
 調べたってそうそう出てくる話じゃない。
 『アレ』は俺の柔らかい心臓だ。一突きで破れるぐらい、脆いもの。
 沙紀だって無闇に口にしないことは知っている。
 コイツ、俺を脅すつもりか。
 俺の表情から、警戒と攻撃を読み取ったのか、高橋は穏やかに口を開いた。
「ただ、私は君に広い場所で走っていて欲しいだけだよ」
「はっ......世界を庭にして俺を飼うつもりか」
「飼われてくれるのか?」
「冗談じゃねえ」
 腕を掴んでいたヤツの手を払う。
 赤くなった手の甲を軽く振るだけで、高橋は平然としていた。
「だろうな。私も可愛いペットが欲しいわけじゃないんだ。全てを踏み蹴散らす猛獣が欲しい」
「他を当たれ」
「君しかいない。君が欲しい」
 ......埒が明かない。
 俺は真っ直ぐ出口に向かった。今度は高橋も止めなかった。
 重厚なドアを開けて外に出る。
「藤沢君、またね」
 閉じる前に聞こえてきた声は、この話の先があることを示していた。


←Novel↑Top