9月-1
-吹く風もいつしか秋めいてまいりましたが-
ヤツと過ごす夜の時間が前よりもっと、人に言いにくくなったある日。
「ねえ、ともあきさん」
反響しやすい、公園のコンクリートの滑り台のトンネルの中で、コンビニ店員は蕩けそうな声で俺の名前を呼んだ。
俺を抱きしめて、そっと耳元で囁く。
ずっと近く息遣いまで聞こえる距離で発せられた声は、どこか甘えを含んでいた。
くすぐったくて、無駄に心臓が跳ね上がって、そんな自分が嫌な俺は、男の腕の中で身動ぎをする。
ヤツはそんな俺を閉じ込めて、身体の芯が痺れるような......キスをして。
息を上げさせてから、俺に告げた。
「俺、今度誕生日なんだ。......ともあきさんも、祝ってくれる?」
......おいてめえ。今なんて言った?
年下の恋人は、誕生日を迎えると21歳になるらしい。
あともう少し遅く生まれれば、乙女座じゃなくてからかわれずに済んだのに、とヤツが言ったぼやきは、俺の耳には入らなかった。
そういった節目のときを、俺と一緒に祝いたいという気持ちは、わからないでもない。
......ほら、これでも、今の俺は......こ、こいびと?だし、さ。
「ともあきさんは、そばにいてくれるだけで十分だから」
男はそう言って、誕生日当日にヤツの家で開催するらしいパーティーもどきに俺を誘ってくれた。
が、参加するだけでいいなんて、誰が思うだろうか。
こいつには、なにかと日頃からお世話になっている。
外交的な性格ではない俺を友達と引き合わせてくれたり、外に連れ出して、アウトドアの良さも教えてくれた。
言葉数も増えたのは、この男のおかげだと、俺は思う。
口に出して感謝をすることは殆どないけれど、こんなときぐらい。
今までの感謝と、そして想いを告げたっていいんじゃねえのか?
散々口付けを交わして、二人だけの時間を過ごしたあと、駅までヤツを見送った俺は、急いで家に帰った。
部屋の中をひっくり返して、何かヤツにあげられるものを探す。
できれば、一生持ちたいと思えるような、とても素敵なものを。
そう考えて探したけれど、俺の持ち物なんてガラクタばっかりだ。
お礼の意も込めて、思い出になるようなものをプレゼントしたいのに。
夜中まで探して、探し疲れて、俺は床にしゃがみ込んだ。
なんもねえなあ。俺の部屋。
今まで、何にも執着せずに生きてきたことが反芻される俺の持ち物。
今一番大事だと思えるヤツに、あげられるものが一つもない。
......。
悲しい気持ちになって、俺はため息をついた。
動く気持ちにもならなくてぼんやり座っていると、玄関の方で物音がする。
大魔王たる兄の、お帰りだ。
俺は汚くなった部屋を兄に見られるまいと、慌てて片付け始めた。
汚していると、悪魔はすぐに雷を落とす。
急ぎ過ぎて棚にぶつかったりしていると、下から「うるせえぞ」という声とともに足音が聞こえた。
やばい。上ってくる。
慌てて床に散らかった物をベッド下に押し込んでいるときに、視線の端に転がった怪獣の貯金箱が見えた。
無意識にそれを掴んで部屋を飛び出す。
ドアを締めて、その前に立った。
未だに鍵を掛けられないでいるから、部屋の中を見られたらアウトだ。
「なにやってんだニート」
ネクタイを緩めながら、階段を上ってきた兄が笑う。
俺は若干怯えて、ごくんと喉を鳴らした。
「お願いが、ある、んだけど」
低く強張った声が出た。
「お願いだ?」
なぜか仁王立ちになって腕を組む兄。
そしてその前で正座している俺。
間に置かれた怪獣の貯金箱。
......えっと。
俺は兄を見上げながら貯金箱をぐいぐいと押しやる。
こつんと、兄の足に当たった。
「口で言え」
ああっ。
押しやった貯金箱が長い足に蹴られて転がる。
転がった貯金箱を掴むと首根っこを捕まれた。
「お前の部屋で話そうじゃねえか」
「駄目」
咄嗟に言って、慌てて口を押さえる。
俺の態度が変なことに気づいた兄は、おもむろにドアを開いた。
「......」
ひっくり返しまくった部屋の中が、兄に見つかってしまった。
汚い部屋を見た兄は、無言でドアを閉める。
「リビングに行くか」
はい。
若干引き気味になっている俺の腰を掴むと、兄は小脇に抱えてリビングに向かった。
リビングでも、力関係は変わらない。
偉そうにふんぞり返る兄。
その前に座る俺は肩身が狭い。
怪獣の貯金箱が、テーブルの上にちょこんと置かれている。
「で、わかってんだろうな。お前。これを出すってことは、俺に技かけられても文句言えないってことだからな」
にやっと笑う男は、とても楽しそうだ。
百円でプロレス技1回。
中学生の頃からの、もう暗黙のルールだ。
財布を取り出した兄が、札を怪獣の口にねじ込み始める。
福沢さんがチラッと見えた。
「......」
止めに入らないことに気づいた兄が、訝しげに俺を見る。
今までなら、絶対止めた。
だって俺だって人間だし。そんな何回もなんて技かけられたくねえし。
「お前......なんか欲しいもんでもあるのか」
真面目な顔で尋ねられて、俺は深く頷く。
「プレゼント、買いたい」
アイツに、プレゼントを買いたい。
生まれてきてくれてありがとうって。
俺に会ってくれてありがとうって。
......実際にはそんな恥ずかしいこと言えねえけど、気持ちを込めるぐらいなら別にいいだろ。
じっと真顔で兄を見つめる。
「自分のものを買うんじゃねえのか」
問いかけに俺は首を傾げた。
なんで?俺は欲しいもんないし。
違うと首を横に振る。
「人に、あげたい」
そう告げると、兄は深く息を吐いた。
半分ねじ込まれた札が引き抜かれる。
「寝ろ」
そう言って、兄はさっさと自室に入っていってしまった。
......俺には、人に物をプレゼントする資格はないってことか。
まあ、家族に金をせびる時点で、駄目だろうな。
貯金箱を持って俺も部屋に戻った。
俺はヤツに何をあげられるんだろう。
そんなことを考えて、その日は眠れなかった。