三陣-1



 結局、病院に運ばれた伊津美は貧血という診断を受け、倒れた際に後頭部をぶつけたことで一日検査入院することになった。母はそれに付き添い、今日は病院に泊まるらしい。
 残った俺は、リビングで父に全部ぶちまけた。
 どうしても海外で仕事がしたくて、向こうに行って神様と交渉しようとしたこと。
 自分の社に付く前に何かに弾かれて、山の中に落ちたこと。神通力が足りなくて鹿の姿で彷徨ったこと。
 しのかのことは具体的には言わなかったが、巫女以外に相性の合う人間を見つけて協力してもらい、人になって帰ってきたことの全てを告白した俺に、父は難しい顔をしたまま腕を組んだ。
「お前はなんてことしたんだ。知春まで巻き込んで......伊津美はここ三日ずっと寝ないで、知春のことを探してたんだぞ?」
「......ごめんなさい」
「謝って済む問題じゃないだろう。知春は一人で手助けもなく向こうにいるんだ。......何かあっても、おかしくはない」
 暗にもう死んでるかもしれないと責められて、俺は項垂れるしかなかった。怒鳴られないで怒られる分、自分のしでかしたことの事の大きさをひしひしと感じる。
 ずっと部屋の隅っこで話を聞いていた祖父が、俺と父に茶を入れてくれる。俺の前に置かれた湯気の立つ湯飲み茶碗を見て、知春は暖かいものも口に出来ずに苦しんでるのかもしれないと考えて、奥歯を噛み締めた。
「幸彦」
 見上げると、優しい眼差しで俺の頭を撫でてくれる。
「お前は無事に帰ってこれて本当に良かったよ」
「じいちゃん......」
 不覚ながら、そう言われて俺は涙腺が弱まるのを止められなかった。下手をすれば向こうで死んでいたのかもしれないことを考えると、今更ながら恐怖感が蘇ってくる。
「伊津彦、お前もあんまり責めんでやれ」
「だけど父さん」
 祖父の言葉に、父は眉間にシワを寄せたままだ。父もだいぶ憔悴しきっている。おそらく、伊津美と同じでほとんど寝ていなかったんだろう。母さんも一気に白髪が増えていた。
 俺が、馬鹿な事を考えたせいでみんなに心配をかけた。申し訳なくて身の置き所がない。
「知春は大丈夫だ。だからそんなに思い詰めるな。ちゃあんと証拠もあるから、特別に見せてやろう」
「え......?」
 じいちゃんは俺と父ににっこりと微笑みかけると、いそいそと一階にある自分の和室に向かった。手にしてきたのは一抱えもある大きな巻物だ。
 古い絵巻物で大事なものだから見せられない。そんな話を前に聞いた気がする。
 興味もなかったから無理に見ようとしなかったけど、それがいったいなんなんだ。
 父を見ても俺のように意味を理解してなさそうな表情を浮かべている。
 紐を外してぱらりと開くと、和紙が横に広がっていく。人間と動物が無造作に描かれていてまとまりがないし、ほとんどの絵の上には赤でバツが付いている。しかも紙の端にはなにも描かれていなかった。
「これは実は家系図でな」
「家系図?」
「そう。これがわし。これが伊津彦で伊津美、幸彦だ」
 祖父が指すのはどれも動物だった。父はイノシシで姉は鷹、俺は鹿だ。それぞれが持っている置物と共通している。だが父だというイノシシには既に赤いバツが付いていた。のところには既に
「子が生まれると、この家系図に動物が浮かび上がる。浮かび上がった動物に合わせて、置物を用意するんだ。......そしてこれが知春」
 隅に描かれた小さな兎。身を屈めて周囲を伺っているようにも見える。
「巻物の始まりは頃はまあごっちゃりしてて見にくかったが、このあたりはすかすかだな」
 笑ったじいちゃんが兎の絵を優しげに撫でる。だが父は苛立ったように祖父を睨んだ。
「これが、どういう意味なんだよ父さん」
「いろいろ細かいことは、お前に引継する時に教えてやる。まあこの巻物は特殊でお役目を終えたり死んだりすると、この赤い印が浮かび上がるんだ。......幸彦、向こうで何か危険な目にでもあっただろう? お前のところにもバツが浮かびかけたぞ」
 確かに狼や大蛇に襲われて大変な目にあった。戸惑いながら頷くと、じいちゃんは目尻のシワを濃くする。
「知春にはなにも変化がなかった。豊葦原にいるのなら、どこかで自分と相性のいい者を見つけて、暮らしてるんだろう。幸彦、迎えにいってやりなさい」
「......わかった」
 きっと心細く思ってることだろう。御使としての分身となる置物をなくした知春が、どうして祝詞も唱えられずに向こうに行ったかはわからない。
 だが、俺があの時きちんと部屋の鍵を閉めていたら、家ではないところで儀式をしていたら、知春が豊葦原に行くこともなかったかもしれない。あの現代もやしっ子が、向こうで苦労せずにいられるはずがない。
 だから俺がやらなければいけないことは一つだ。

 知春を迎えに、もう一度豊葦原に行く。

 それを決めてからの俺の行動は早かった。
 スーツに着替えた俺は急いで辞表を用意して会社に出勤する。母が体調不良で休むという趣旨の連絡を入れておいてくれたらしく、俺が出ると部長に体調を心配された。
 後ろめたい気持ちのまま、俺は二人の恩人にその部長と社長に、「甥が海外で行方不明になったから、探しに行く」ことを告げて辞表を出した。
 豊葦原は広い。まずは俺が行った瑞穂国から探すつもりだったが、必ず瑞穂国にいるとは限らない。それには仕事をしながら知春を探すなんてこと、できそうになかった。
 俺は一生をかけても、知春を見つけて連れ帰る。
 二人は疑うこともなく俺の話を同情的に聞いてくれて、せめて退職ではなく休職にしろと引き止められた。固辞したが、何年でも待っているからと言われて、ここでもまた俺は泣いてしまった。
 最近泣いてばっかりだ俺......。
 土下座して、ここまで育ててくれた恩と不義理を詫びた。ここまでしてくれる恩人に、全てじゃないが嘘を付くのは酷く堪えることだった。
 さすがに即日休職は難しくて、今週一杯を引き継ぎにあてる。本当は今すぐにでも探しに行きたいけど、関係のない会社の人にこれ以上責任がないことは出来ない。
 退院してきた伊津美は父から話を聞いたらしく、だいぶ落ち着いてきていた。生きてることがわかっているのが一番良かったらしい。伊津美も豊葦原に行くと言って聞かなかったが、彼女は神通力を使う能力が殆ど無かった。
 行っても戻ってこれないとなると、行かせることは出来ない。ならばと、伊津美は自分の巫女を通じて秋津国内を探してくれるように国王に約束を取り付けたと聞いた。
 俺も同じように瑞穂国の探索を西埜女に頼もうと、思ったんだけど......。
「あれ?」
 いつものように白鹿の置物を用意して気を集中するが、途中で途切れてしまう。鹿の瞳がぐるぐると深淵の渦を描いているのに、意識が飛ばなかった。基本的にお告げは一〇日に一度だが、一〇日以上開けるのが問題なだけで早めに行くのは問題無い。なのに飛ばない。
 腑に落ちない気持ちで、俺は部屋を出た。
「幸彦」
 俺が出てくるのを待っていたのか、廊下に立っていた伊津美に呼び止められる。そこで告げられたことに、俺は愕然としてしまった。
「国交断絶? 瑞穂と秋津が?」
 伊津美は俺の言葉に頷く。元々隣国同士でそれほど大きくない国のため、二国はお互い助けあって成長してきた経緯がある。俺と伊津美が御使なのもあって、今までにないほど良好な関係を築いていたはずだ。
「そう。一ヶ月ぐらい前に一方的に切りだされたって。それの前後から瑞穂から秋津に大量に物の怪が流れ込んでるって話。アンタんとこどうなってるの?」
「......俺は少しも話を聞いてない。確かに俺も向こうにいる間、二回も妖怪に襲われたし、しの......向こうであった人にも、今瑞穂国には物の怪が溢れてるって言われたけど」
「国の危機じゃない。......まあ、あたしも国交断絶したなんて今回初めて聞いたけど......」
 国政に関わるわけじゃなくただ予言だけ伝えるだけだから、俺たちは豊葦原の国内のことには疎い。顔を見合わせて二人で押し黙ってしまう。
 もし知春が瑞穂国にいるのなら、危険な戦場にいるのと同じだ。瑞穂国民も命の危機に晒されているのに、知春だけずっと無事でいられるなんて保証はない。
「俺が絶対、知春を見つけるから」
 そう言って励ますことぐらいしか出来なかった。すると伊津美は俺の服の裾をキツく掴む。
「.........本当にお願いだから、知春を見つけてきて。けど、無理はしないで。アンタだって別に強いわけじゃないんだから......もし幸彦までなんかあったらあたし......」
「大丈夫。ちゃんと知春と一緒に戻ってくるよ」
 伊津美の心細く思う気持ちはよくわかるから、ことさら明るい声で、伊津美を慰めた。


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