インナモラートの微熱2度01



 土曜日は曇りだった。
 降水確率は低いが、どんよりとした空と同じぐらい空気が冷えている。
 渉は人の多い駅前で壁に寄りかかって清水が来るのを待っていた。
 清水は時計を見てセンスがいいと言ったが、渉は着るものに対しては頓着しない性質だ。
 手持ちの外套は型落ちのものか、もっさりとして垢抜けない。
 普段は制服があるから気にもかけず、また誰も渉の服装について意見する人はいなかったから気にも留めていなかった。

 しかし、今日ばかりは違う。

 平祐に頼み込んでミリタリージャケットを借り、それにあわせてブラックジーンズと七分袖のシャツを身に付けていた。
 指にはシルバーリングをつけて手持ち無沙汰に携帯を握り締めている。
 指に何かをつける習慣がない渉は、何かの拍子に存在感を見せ付けるその指輪に少々うんざりしていた。
 これも平祐からの借り物である。
 平祐もアクセサリー類をつける方ではないので、不思議に思って尋ねてみると「ほら、絡まれた時用に」と言われた。
 渉にはよく意味がわからなかったが、ジャケットを借りる際に清水と待ち合わせと告げると無理やり押し付けられたのでつけている。
 携帯が震えた。開けてみるとそこには清水からのメールが届いていた。
 メールには携帯番号が記載されていて、着いたら連絡を、と書かれている。
 待ち合わせの時間より少し早く着いたことを気にかけつつも、渉は電話をかけた。
『もう着いた?』
「ああ。西口出てすぐのみどりの窓口の側にいる」
『わかった。そっち行く』
 清水は渉より早く着いていたらしい。程なくして姿を現した。
「お待たせ」
「......おう」
 私服の清水は知らない人のようだった。
 色あせたジーンズと、襟の立てた白シャツに黒ベスト、それから短めのジャケットを羽織っている。目が合うと、ほんのりと微笑まれた。
「長谷川早いな」
「清水こそ」
 歩き出した清水につられて足を動かす長谷川だが、行き先も聞いていない。
「どこに買いに行くんだ?」
 尋ねてから、そもそも実行委員なのは自分であって、自分で調べておかないといけなかったことに気づく。
 更に言えばこの買出しも、清水が誘うから二人で来ることになったが、自分一人でもよかった気がした。
「ホームセンター。もし足りなかったらいくつか回るけどいい?」
「......つか」
「うん?」
「俺一人でもよかったんじゃねえの?」
 気まずく視線を下げかけると、急に肩を組まれた。
 よろめいたところで、またふわっと鼻腔をくすぐる柑橘系の香り。

 どきっとした。

「なんだ、待ち合わせ時間よりかなり早く来たところといい、長谷川って意外に気を使うタイプなんだ?」
 興味深そうにまじまじと見つめられた上にからかうように耳元で囁かれ、顔面がかっと赤くなるのを自覚する。
 そのまま熱が広がった。
「別に、そうでもない」
 素っ気なく答えた渉は、なんだかわからぬ暑さを感じて清水の腕を押しやった。
 ルーズと言うほどでもないが、今日は早く来てしまった。
 そもそも昨日の晩に詳しい待ち合わせ場所と時間を決めるメールをもらってから少しおかしいのだ。
 服装にも気を使い、さらに全ての準備を終えてベッドに入ったのにすぐに寝れなかった。
 遠足前の小学生かと何度苦笑しながら寝返りをうったことか。
 今も跳ね上がる鼓動の意味がわからない。
「今日、暑いな」
「そうか?曇りだし......そんなに暑くないと思うけど。体調悪いなら早く言えよ」
「ああ」
 体が火照っているから、もしかしたら具合が良くないのかもしれない。
 けれど、それを清水に告げる気にはなれなかった。
 なんとなく落ち着かないまま、渉は清水とともにショップに入った。
 売り場にある案内図を見て、必要な部品を求めて歩き出す。
 時間もまだ早いせいか、店内は人もまばらだった。
「長谷川って休日とかどうしてるんだ?」
 棚の間を二人で並び、互いに必要な部品を目で探しながら話していると、清水が唐突に切り出した。
 無言で歩くよりも会話をしていた方が気が楽だ、とばかりに渉はその話に乗る。
「あー、へいす、吉岡がボクシングジムに行ってるから、たまに付き合ったりする」
「......」
 尋ねたから答えたのに返事がない。
 へえ、とでもそう、とでもいいから一言くれれば良いのに。
 視線を向けると少し考え込むような表情をしている清水と視線が合った。
「長谷川って、吉岡と仲いいよな」
「まあ、同じ団地に住んでるし。付き合い長いんだ」
「へえ......」
 なにかニュアンスを含んだ頷きだった。
 清水も平祐を誤解しているのか。そう思うとなんだか嫌な気分になる。
 人とつるまない不良、というのが平祐への周囲の評価だ。
「あいつ、あんななりしてるけど喧嘩なんて一度もしたことないんだ。俺と違って赤点一度も取ったことねえし、頭いいし、プロになりてえってボクシング毎日頑張ってる」
 言い募ると清水は僅かに眉間に皺を寄せた。
「ずいぶん庇うんだな」
「清水には俺の友達のこと、誤解しておいてもらいたくない。平祐、いいヤツだよ。話してみればわかるって」
 声に含まれた棘に気づいた渉は少し焦る。早口で告げると、清水は肩を竦めてにやりと口を歪めた。
「それ、意味深な言い方だな」
「......どういう意味だ?」
「吉岡を誤解されたくないのか、それとも長谷川を誤解されたくないのかってこと。......お、あった」
 目当てのものがあったのか、清水がしゃがみ込んでラベルを確認しながら手に取っている。
「次、パイプ探しに行こう」
 清水に平祐じゃなくて、俺を誤解されたくない......?
 歩き出した清水に遅れて追いかける渉は、どうして清水がそう思ったのか、不思議で仕方なかった。
 架台の部品であるパイプは別のフロアにあるようで、一度会計を済ませて移動する。
 清水がいくつかあるパイプから太さや長さで条件に合うものを探している間、渉は清水の言葉の意味を考えていた。
 『清水には俺の友達のこと、誤解しておいてもらいたくない』
 言った言葉を反芻して、そしてようやく無意識に含まれていた意味に気づいた。
 自分が悪いヤツとは付き合うようなヤツとは思われたくない。という意味にも取れる。
 それを、清水に対して懸命に説明していた。
 もちろん平祐の誤解をされたくない気持ちもある。でもなにより......。
「長谷川?顔赤いぞ」
「っ」
 考え込んでいた渉の髪をかきあげるように、清水はゆっくりと撫でた。
「やっぱ具合悪いんじゃないのか?休んだ方がいい」
「い、や......」
 落ち着かない。
 顔を逸らしながら深呼吸する。そんな渉を見つめ、清水はゆっくりと笑みを深めた。
「あっちにベンチあるから、ちょっと座ってろよ」
 促すように腰に手を当ててそっと渉の耳元で囁く。
 薄いはずの清水の香水にむせ返るような錯覚に陥って、渉は小さく頷いた。


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