8月リクエスト-7
「珍しい。今日はどうしたの?」
俺が道を指定するのは殆どないせいか、ヤツは笑って付いてきた。
人気のない道を通って、人気のない公園に入る。
すると、今度はヤツが俺を引っ張った。
コンクリートで出来た、滑り台の横穴のトンネルに引きずり込まれる。
地面に腰を下ろしたヤツに、前から抱きしめられた。
傍から見たら、俺から抱きついたように見える体勢。
暗いけど、公園にある街灯が、わずかにトンネルの中に届く。
「離せ」
身じろぎしても、ヤツは離してくれない。
吐息が、俺の耳を掠める。
「いいじゃん。誰もいないんだから」
「良くない」
「意地っ張り。......ともあきさん、今日なにかあった?」
頬をヤツの大きな手で包まれて、心配そうに尋ねられる。
......そんなに、俺、変な行動してたか?
「全身で、寂しいって言ってるよ」
嘘付くな。んなわけない。
首を振って否定しようとすると、より強く抱きしめられる。
「俺に対してまで、意地張んなくていいでしょ」
「......」
俺はぎゅっと、ヤツの服を握った。
「母さんが、旅行で」
「うん」
「父も出張で、兄貴も、海外行ってて」
「うん」
ヤツの指が、俺の髪を優しく梳く。
俺はうっとりと目を閉じた。
「家に、1人で寂しかったんだ?」
恥ずかしいし、なんだか認めるのも悔しいが、俺は小さく頷いた。
「俺を呼べばいいのに。ケータイ番号、も一回教えただろ?」
「だって......」
お前だって、俺以外の付き合いあるだろうし。
気を使ってやったんだ。
ヤツはにっこりと笑って、軽く俺の額にキスを落とす。
「それは無用な気遣いだよ、ともあきさん」
うるせえなあ。慎み深いのが俺の長所だ。
前髪を引っ張って照れを隠そうとすると、男が俺の手を握る。
「俺だってともあきさんにいっぱい甘えてるんだから、たまには甘えてくれたっていいだろ」
甘え......てたか?お前。
ここ数日のやりとりを思い出すが、良く纏わり付いてくるのを邪険にした覚えはあっても、甘えさせたつもりはまったくない。
「自覚ないのが、ともあきさんらしいね」
肩を揺らして笑うので、俺は若干不機嫌になる。
「ほら、たまには甘えて。ね?」
ぽんぽんと俺の背中を撫でる男。
よし。そこまで言うなら、甘えてやろうじゃないか。
俺は、ヤツに抱きついたまま口を開いた。
「帰りたく、ない」
あの家、誰もいないと広いんだ。
普段が暖かくて居心地いいから、誰も居ないと余計に冷たく感じる。
「一緒に、いて」
掠れた俺の小さな声を、こいつは聞き取っただろうか。
微動だにしないから、疑ってコンビニ店員の顔を見上げる。
驚いた表情のヤツに見下ろされる。
駄目だった?やっぱ迷惑?
なら早くそう言えよ。俺だって我慢ぐらいは出来る。
不安になって唇を噛むと、その噛んだ唇を指先で撫でられた。
「それ、じゃあ......俺んち、来る?」
え。
「今日は誰もいないんだろ?朝、みんなが帰ってくる前に家には戻ればいい。送るし」
ヤツの声も、なんだか掠れてる。
「泊まり?」
「そ。俺といろいろ......その、話しながら寝るの」
いろいろのところに、ヤツの思惑がたっぷりと含まれていたが、このとき俺は気付かなかった。
人と一緒に寝るなんて、久しぶりかもしれない。
じんわりと遠足前のような高揚感が生まれる。
「行く」
頷くと、ヤツが立ち上がった。
「いて!」
勢い良く頭を天井にぶつけてしゃがみ込む。
何やってんだお前。
トンネルは子供が立って通り抜けるにはいい高さだが、俺だってまっすぐ立ちにくい天井の低さだ。
ここには良く来るから、こいつも知ってるはずなのに。
「行こう」
ヤツの手が、俺の手を引いた。
熱い。
足だって、なんだか早足だ。
トンネルを出て公園を出て、駅に向かう。
「切符、買ってくる」
駅につくと、ヤツは券売機へと向かった。
俺は改札口の傍で、ぼんやりと出てくる人の波を眺める。
今の時間、ここから電車に乗る人間は少ない。
みんな帰宅の徒に付く人たちばかりだ。
「はい。ともあきさん」
戻ってきたヤツに、切符を手渡される。
......なんか、俺いろいろと早まったかな。
おぼろげにだが、ヤツが何を期待しているのかわかった気がした。
不本意だけど、流されるようにキスはたくさんしてる。
でも、その先は俺が嫌がるからしてない。
きっと、今日は最後まで行かないまでも、その先をするつもりなんだろう。
でもこいつ、俺なんかで、その、あれなんだろうか。
本当に、反応できる......のか?
なんだか急に不安になってきた。
行為自体も怖いが、もしヤツが駄目だったときの反応を考えるのも恐ろしい。
動きが鈍い俺に、先に改札を通ろうとしていたコンビニ店員も足を止めた。
黙って俺を見る。
俺の不安を、感じ取ったんだろう。
ヤツはふっと笑った。
「......やめとこっか」
男が俺の元に戻ってきた。
「俺ぎりぎりまでこっちにいるから、それで我慢してもらってもいい?ごめんね、ともあきさん」
何でてめえが謝るんだ。
勝手に決めるんじゃねえ。
「行く」
俺はきっぱりと告げると、改札に向かった。
あれだ。考えるより生むが易し、だ。
飛び込んでしまえばあっさりしたもんなんだ、きっと。
切符を改札に通そうとして、差し出す。
と、その切符が、誰かに奪われた。
何しやがる。
コンビニ店員だと思った。ヤツは時々、俺に対して意地悪だ。
せっかくの決意を折ろうとしているのだと、顔を上げた。
「出迎え、ご苦労」
......。
俺はぽかんと口を開けていた。
「そこに立ってると、通行人の邪魔だ馬鹿。気が利かねえな」
コンビニ店員より上背のある男が、俺の首根っこを掴んで引き摺る。
「てめえもだ。突っ立ってンな。木偶の坊」
俺の背後で同じく驚いたような表情で立っていたコンビニ店員が、男に蹴られる。
「せん......っあんた、なんで......」
蹴られた部分を押さえて、ヤツが俺の首根っこを掴んだ、兄を見た。
そう。俺が電車に乗るのを邪魔をしたのは、兄だった。
「ああ?なんだ、てめえ。俺が自宅に帰るために、電車に乗ってたら可笑しいか?」
シニカルに笑って、さりげなく俺の首を絞めてくるのは、まさしく大魔王だ。
「し、仕事は?」
俺は苦しくて暴れながら、兄を見上げた。
帰ってくるの、明日って言ってたのに。
「戻りの予定は明日でもな、優秀なこの俺が、そんなに時間かけて仕事をすると思うのか。お前とは違うんだよ出来が」
小突かれたが、掴んでいた首は放してくれた。
「持て」
ずっしりと重いカバンを手渡される。
真新しいから、きっと出先で購入したものだろう。
「これもだ」
土産物と思われる紙袋も手渡される。
お、おもっ......。
「ともあきさん大丈夫?」
思わず俺がふらつくと、コンビニ店員が心配そうに手を伸ばしてきた。
が、それを悪魔が邪魔をする。
「そろそろ終電だろう。さっさと帰らないと電車が無くなるぜ、お友達くん」
「......そしたら、泊めてもらえますかね?」
バチッとどこからともなく火花が散る。
兄は尊大に笑った。
「いいぜ、素泊まりで10万だ」
ちょ......吹っ掛けすぎじゃねえ?
俺は知っている。言ったからには絶対実行する男だ、兄は。
「そら、お友達を見送ってやれ」
欠伸を噛み殺した兄の言葉に、俺はコンビニ店員を見る。
えーっと。
「お疲れ様」
「と、ともあきさん......」
笑顔でひらひらと手を振った俺に対して、がっくりとヤツは肩を落とす。
「行くぞ」
兄が、俺の肩を掴んで方向を変えさせる。
ぽつんと立ったヤツの方が、今度は寂しそうだ。
「ありがとう!」
そう声を張り上げると、視線の端でヤツが笑ってくれたのが見えた。
嬉しかった。家族以外にも、俺のこと気にかけてくれる人がいるってわかったから。
もっと何か言いたくて身体を捻ると、兄に鼻をつままれる。
「前見て歩け。お前は転んでもいいが俺の荷物を汚すなよ」
......わざとこけてやろうか。
そう思って兄を睨んで気付いた。
また欠伸を噛み殺してる。目の下には隈が出来て、顔色もひどく悪い。
もしかして、俺のために早く帰ってきてくれたのか?
実際は違っていても、一度そう思うとそのような気がしてきた。
ヤツには悪いけど、これはこれで嬉しい。
行き違いになってなくてよかった。
俺は幸せな気分になって歩いた。
自宅に帰って、汚しまくった部屋を見た兄に雷を落とされるまで、あと少し。