8月-7


 目的場所も知らされぬまま走るタクシー。
 無言のままの俺。時折運転手と会話する薫さん。
 気まずい。
 薫さんが俺を迎えに来て、ヤツのところまで連れて行ってくれるんだとしても、なんか気まずい。
 だって薫さんはヤツが好きで、ヤツは......な状態だからだ。
 思わず、端に寄って座ってしまう。
「そんなに、警戒しなくてもいいじゃない」
 顔すら向けられず、ずっと窓から外を眺めていた俺に、薫さんは苦笑した。
 別にそんなつもりじゃ......。
 おそるおそる視線を向けると、手を捕まれる。
 細い手だ。
 少し、女の手にしては角張っているが、でも言われなければわからない。
 綺麗にマニキュアのされた爪。長い指。
 俺の手なんかと大違いだ。
「あ、運転手さん。この先で止まってください」
 薫さんがそう言って、タクシーを止める。
 降りた先は、俺の知らない街だった。
 夜であればネオンが輝くだろう、看板。
 人通りの少ない街並。
 薫さんはタクシーの運転手にお金を払うと、俺の手を掴んで歩き出した。
 普段歩かない場所を歩くために、俺はなんだかそわそわしてしまう。
 こんなところに、あいついるのか?
 きょろきょろしながら薫さんに付いていると、薫さんは一つの建物の前で足を止めた。
 そしてその建物に入ろうとする。
 ので、俺はぎょっとして足を止めてしまった。
「智昭さん?」
 薫さんがかわいらしく首を傾げる。
 なにやらパステルカラーの建物の壁には三時間いくらの、文字。
 宿泊だと、一万を越えない金額だ。
 いやいやいやいや。
 いくら俺でも、これは知っている。
 俗に言う、ラブホだ。ラブホって昼間からやってんだな知らなかったぞ俺。
 なんて、現実逃避している時間はない。
「行きましょう」
 ぐいぐいと薫さんが手を引いてくるのだ。
 絶対こんなところにヤツはいねえ。
 むしろいたら嫌だ。入りたくない。
 入り口で静かに攻防を繰り返していると、そんな俺たちの後に別の男女が来ていた。
 明らかに迷惑そうな表情である。
 俺は焦って離れようとするが、薫さんは違ったらしい。
「ここまで来て、女の子に恥をかかせる気?」
 泣きそうな表情で、俺を見た。
 背後から感じる、男女の非難の眼差し。
 う......。
 動きを止めてしまうと、薫さんが強引に腕を絡めてきた。
 しっかりと腕を組まれたまま、中へと進んでしまう。
「智昭さん、どの部屋がいいかしら」
 明かりのついた部屋のプレートの前で、薫さんが微笑んだ。



 入った部屋は、いたってシンプルだった。
 薫さんがブランコのある部屋を指差したり、ヨーロピアン調の噴水のある部屋に入ろうとするから、俺は必死で抵抗した。
 そんな部屋に入って何をするんだ。
 けれど、いまさらながらその判断は間違いだったかもしれない。
 メルヘンチックな部屋に入っておけば、周囲に気をとられて、何も意識をしなかったかもしれない。
 俺たちの入った部屋はシンプル・イズ・ベスト。
 でーんとあるキングサイズのベッドの大きさに、俺はただただ、泣きそうになってその場に突っ立ってることしか出来なかった。
「怖い?」
 急に声を掛けられて、びくっとした俺に、薫さんは含み笑いだ。
「何もしないわよ。......今はね」
 今は、ってなに。後から何かする気かこのやろう。
 じろっと睨みつける俺の前で、薫さんはいきなりブラウスを脱ぎだした。
 ぎゃあ!
 女性の裸体なんて、大昔に母が風呂に入れてくれたときぐらいしか覚えがない。
 俺はぎゅっと目を閉じた。
 ......が、ふと思い返す。
 あれ。薫さんって、実は男......だったっけ?え、でも、なあ......。
 同性であっても、なんとなく薫さんの肌を見るのは躊躇う。
「智昭さん」
 名を呼ばれたが、俺は目を開けなかった。
 頑なに目を閉じたままの俺に、薫さんはふふふと笑う。
「見れないほど、僕は気持ち悪いかな」
 掛けられる問いかけ。
「気持ち悪いよね」
 いつもの声より、かなり低い。
 今までの声が、意識して高く話していたのだと気づく。
「男なのに女装して、女のように振舞ってるなんて」
 その声の響きが、あまりに寂しそうだったので、俺はゆっくりと目を開いた。
 薫さんは何も隠そうとはせずに、ただまっすぐに立っていた。
 じっと見ることに抵抗があるが、閉じそうになるのを堪える。
 華奢な白い肩。薄い胸板。下に視線を下げれば、確かに男性の証が見えるが、白い足はほっそりしている。
 成人した人の体躯には見えない。まるで成長しきる前の少年のような儚さだ。
 細く華奢なイメージは変わらなかった。
「綺麗」
 俺はじっと見つめて答えた。
 わずかに驚いた表情をした後、薫さんは泣きそうな微笑みを浮かべる。
「和臣にも、同じことをしたことがある」
 服を脱いで迫って、気持ち悪いでしょうと尋ねたんだと、薫さんは笑った。
「キモいって言われた。......俺を試そうとする、お前の心が気持ち悪いって。でもそのあと、すぐに謝られたの。信用に値するような態度を俺が取ってないから、お前が不安になったんだな、ごめんって」
 ......あのやろう。いい男じゃねえか。
 ふっと俺が笑うと、薫さんは目を細めた。
「昔からこんなだった僕は、中学の頃からいじめの対象になりやすかったけれど、怜次と二人で守ってくれたわ。二人には、感謝してもしきれない。......和臣なんて、本当なら自分のことで精一杯だったはずなのに」
 懐かしそうに告げた薫さんの目が、今度はしっかりと俺に向けられる。
 その眼差しの強さに、俺は身構えた。
「僕は、ずっと和臣が好きだった。それは今も、これからも変わらない。......だから、貴方が羨ましくて、酷く憎らしい」
 ごくと、俺は喉を鳴らす。
 口調は穏やかだけど、眼差しに宿る光は強い。
 ちらちらと、炎が見えるようだ。
「最近出会ったばかりの貴方が、和臣の心を奪っているのがずるい。......どうして、私じゃ駄目なのかな」
 言い切った薫さんがゆっくりと瞳を閉じる。
 つうっと頬を涙が伝った。


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