8月-9
「嫌だわこれ。懐かしすぎる」
薫さんのその一言で、赤帽子にひげの親父が出てくるカートゲームで俺たちは暇つぶしをすることになった。
自慢じゃないが、この俺、伊達に引きこもりをやっていない。
昔から友達も少なかったおかげで、こういったカートゲームやシューティングゲームはお手の物だ。
ぶっちぎりでゴールした俺を見て、薫さんはややむっとした表情になった。
「なによ、強いじゃない」
じろっと睨まれて、俺は首を竦める。
「得意」
そう呟いて、次は溶岩のステージで勝負することになった。
「ずるいわ。ハンデ付けましょうよ」
レースが始まる前に、薫さんはそういってポーズで停止してしまう。
「ハンデ?」
「そう、ハンデ。智昭さんは逆立ちしながらやって」
......いや、無理です。
ふるふると首を振ると、「じゃあブリッジしながらやって」と言われた。
無理難題を押し付けてくる薫さんに、俺は首を振り続けて、くらくらしてしまった。
結局、俺がスタートを5秒遅く出るということで妥協し、いよいよレースが始まった。
先を行く薫さんのカートを眺めて(ピーチ姫だ)、俺が操る緑の親父がようやく出発する。
スタートダッシュも出来ないので、差を縮めるのが難しい。
「やだおちちゃう!」
きゃあきゃあ可愛い悲鳴が上がる隣で、俺は黙々と星を取って走り続けた。
あともう少しで、薫さんを抜かせるという、ちょうどそのときだ。
ガンガンガンガン。
急に何かを叩く音が聞こえた。
え、なに?
気を散らした俺に、薫さんが亀の甲羅を投げつけてくる。
間一髪で避けて、俺は耳を澄ませた。
「開けろこのボケ!ゆるさねえぞ!殺してやる!」と、なにやら物騒な声が、廊下側から聞こえてくる。
薫さんはちらりと視線をドアに向けた。
「智昭さん様子見てきて」
......なんで俺?
怖そうな雰囲気に、俺は萎縮してしまう。
薫さんはふわっと笑った。
「大丈夫。警察が来る前に、見てきて欲しいの」
確かに騒ぐ声は、室内にまで響いてくる。
これでは、いずれサツが呼ばれても仕方がないだろう。
俺はしぶしぶコントローラーを手放して立ち上がった。
ドアに近づくにつれて、怒声と振動は、この扉のすぐ向こう側でされていることに気付いた。
俺の心臓が、急に暴れ出す。
ああもう。手が震えてるじゃねえか。
無意識に震える手をぎゅっと握り、そして開く。
カチ、とかけてあった鍵を外した。
その途端。
バンッ!
勢い良く開いたドアが、俺の鼻と額にぶち当たった。
ドアに押された俺は、壁に後頭部をぶつけて止まる。
鼻も痛いが、頭も痛い。
壁とドアに挟まれた俺は、中に進んで行くヤツの荒い足音を聞いていた。
「ちょっと!」
部屋の奥から、なにやら言い争う声が聞こえる。
慌てて鍵を閉めて部屋の奥に戻ると、薫さんが男に押し倒されていた。
「ともあきさんどこだよ?!」
荒々しい怒声。駆け寄ろうとしていた俺は、思わず足を止めてしまう。
そんな俺を見た薫さんが、軽くため息をついた。
「和臣、後ろ」
細い指が、俺を指差す。
あ。
ゆっくりとコンビニ店員が振り向いた。
「......」
しばし、見合う。
それからヤツは、また薫さんの胸元を掴んで揺すった。
「なんでともあきさんが鼻血出してんだよ?!お前酷いことしやがったな!!」
「し、知らないわよ!さっきまで出してなかったわ!」
ベッドの上で怒鳴りあう二人。
ヤツの指摘に、俺は鼻下を手の甲で拭った。
赤い、血。
......。
俺はコンビニ店員に近づくと、今にも殴りかからんとするヤツの服をぐいぐい引っ張る。
「ともあきさん邪魔しないで!こいつ一発殴ってわからせないと!」
俺の手はあっさりと引き剥がされて、ぺって追いやられた。ぺって。
それから、ヤツは勢い良く拳で薫さんの顔を殴る。
ゴツ、といい音がした。
殴られた薫さんが、赤くなった頬を押さえて目を見開く。
「......いい加減にしろよこの馬鹿!僕は何もしてない!」
あ、薫さんがキレて男言葉になってる。
薫さんは、覆いかぶさる形で乗っかっていたヤツの腹に一撃入れた。
顔を歪めてヤツが怯んだ隙に、下から抜け出した薫さんがわき腹にも蹴りを入れる。
「この......ッ」
コンビニ店員が再度、拳を握って殴りかかる。
激しい攻防。
俺は蚊帳の外だ。
部屋の端にあったカラオケ用のスタンドに近づく。
備え付けのマイクを手に取り、そして電源を入れた。
すうっと息を吸う。
『やめろッ!!!』
俺の声は、質の悪いマイクを通して、部屋に響き渡った。
ぐわんとハウリングして気持ち悪い。
が、二人の動きを止めることはできたようだった。
大声に、驚いたように二人が俺を見る。
俺はむすっとしたまま、ぼろぼろな二人に近づいた。
「鼻血は、お前のせい」
「は......?」
「鍵開けたの、俺だ」
てめえが勢い良く開けたから、俺の繊細な鼻の粘膜が出血したんだボケ。
「え......あ」
頭に血が上って、そんなことにも気付かなかったヤツは、さーっと顔を青ざめさせた。
薫さんが、自分の胸元を掴んでいたヤツの手を外して起き上がる。
「メールで送ったとおり、僕が智昭を強姦したと思ったのか。そこまで僕が外道だと?」
髪を手で整えながら、薫さんが静かに告げる。
「......」
薫さんに冷たい眼差しで睨まれたコンビニ店員は、可哀相に萎縮してしまっていた。
がっくりと肩を落としてベッドに座ったままの男に、薫さんは俺を見る。
それから、こっちに来てやれ、という小さなジェスチャーをした。
俺は近づいて、薫さんの隣に座ってヤツの顔を覗き込んだ。
酷い有様だった。
無精ひげも生えてるし、目の下には酷い隈。頬もこけてやつれている。