2月-2


 ぴぴぴ、と控えめなケイタイのアラームが聞こえてハッとして目を覚ます。
 うわ。
 いつもならケイタイのアラームは使わないで、普通に目覚まし時計で起きるのに、今日はまったく気付かなかった。
 時計はいつもの起床時間より15分過ぎた時間を示している。
 枕元に置いてあったケイタイを手に取り、アラームを切った。
 開いたケイタイ。
 元々登録してある待ち受けが表示されてる。
 ......メールは、入ってない。
 あのばかは、俺がケイタイを持った途端、いろいろなメールをしてきた。
 日常の些細なこと。それに加えて、ちょっとしたあ、愛の言葉、みたいなのが入ってきて、驚いたりもする。
 でも昨日は何もなかった。
 来ない日もあるだろうとは思ったが、それでもつい気になって、昨日は寝るのが遅くなった。
 これって、依存症か?......嫌だな。
 ため息をついて起きていく。
 ダイニングでは、既に母と兄がごはんを食べていた。
「おはようトモくん。遅かったわね」
「おはよ」
 自分のごはんと味噌汁をよそって、椅子に座る。
 飯がうまいって幸せだな。
 もくもくと食べていると、視線を感じて俺は隣を見た。
 兄が、俺を見ている。
 なんだてめえ。
 俺が見返すと、兄はすっと視線を逸らした。
 あん?なんか機嫌が悪そうだな。
 肌がぴりぴりするような気配を纏っている。
 大体兄は、不機嫌なときは威張り散らしたり俺に当たってきたりするから、こう押し黙っていることは珍しい。
 だが、俺だって下手に突いていじられるのは嫌だ。
 よって静かに静かに飯を食った。
「ご馳走様。母さんクリーニングよろしく」
 先に食べていた兄が、やはり先に食べ終わる。
 食器を下げて、スーツの上を羽織った。
 灰色のコートとカバンを手にして、母に声をかけている。
「はいはい。もしかしたら染み残っちゃうかもしれないけど、自業自得よ?」
「わかってる」
 母は先に出るらしい兄に軽くハグしていた。
 俺も箸を置いて、兄を見送りに行く。
「いってらっしゃい」
 手を伸ばして、お見送りのハグ。
 小さい頃から残っているうちだけの習慣だ。
「行ってくる」
 ぎゅっと、抱き返される。
 あれ?
 なんかいつもと違う気がする。
 何が違うって抱き方が......って、俺何考えてんだ。
 俺が微妙な表情をしていると、兄が口を開いた。
「間抜け面晒してんじゃねえ。しゃきっとしろしゃきっと」
 ぐしぐしと頭を撫で回された。
 うっせえ。元々俺はこんな顔だ。
 むすっとしていると、軽く笑って兄は出て行ってしまった。
 なんとなく腑に落ちない気持ちのままダイニングに戻ると、母も出て行く準備をしている。
 いつも持っていくバッグの傍に置いてある、大きな紙バッグ。
 興味本位で見れば、そこには兄の黒いコートが入っていた。
「あの子、昨日の雨でコート汚しちゃったらしいのよ」
 へえ。だからさっき機嫌悪そうだったのか。
 納得のいく理由を知った俺は、軽く頷いた。
「クリーニング、俺行こうか」
 今からだと、母さんが忙しないだろ。
 時計を見ながら提案すると、母は嬉しそうに笑ってくれた。
「あら、いいの?トモくんも忙しいんでしょバイト」
「平気」
 今日のバイトは10時からだ。
 時間は十分ある。
「じゃあお願いね」
「母さんも、いってらっしゃい」
 母にもハグして見送る。
 1人残った俺は、若干冷めた朝食を食べて食器を片付けた。
 そして兄のコートが入った紙バッグを持って外出する。
 晴れてるけど、風が寒い。
 マフラーで口元を覆いながら、俺はクリーニング屋に向かった。
「あらあ、これは酷いわね」
 昔から近所にあるクリーニング屋に持っていくと、そこの奥さんがぼやくほど、兄のコートは汚れていた。
 濡れた水跡ではなく、泥も付いている。
 なんだあいつ、転んだのか。
 俺とは違うとはわかりつつも、転ぶ兄を想像して密かに悦に入る。
「よろしくお願いします」
 ペコッと軽く頭を下げて店を出る。
 ポケットの中に入れたままにしてあったケイタイを手に取った。
 和臣からのメールは、まだ入っていない。
 少し考えて、俺は両手でぽちぽちとメールを作った。
 いつも始まりはヤツからもらうメールからだ。
 たまには俺からメールしてやろう。
『今日は、晴れて良かったな』
 黒い文字のそっけないメール。
 味気ないかなと思って、末尾にハートマークを付けてみた。
「......」
 なんか、変。
 しっくりこなかった俺は、そのハートを削除し、代わりに文字を付け足す。
 俺が家に着いたあと、少し雨脚が強くなっていた。
 そのことを思い出して文章を作る。
『今日は、晴れて良かったな。昨日は雨、大丈夫だったか』
 俺は、少し長くなったメール文に満足した。
 送信して歩いて駅に向かっていると、ケイタイからメロディーが流れた。
 和臣だ。
『風邪引いたかも。授業はそんなに大事なのないし、今日は寝てるね(;_;)バイト頑張って!』
 ああやっぱり、体調悪くしてたのか。
 雨ン中で、......キスなんてしてたから。
 思い出して、少しだけ顔が火照る。
『バイト終わったら行くか?』
 看病ぐらい俺にも出来る。そう思ってメールを送ると、すぐに返信があった。
『あー......ごめん。今日は来ないで。移しちゃうと悪いし、ともあきさんいると、俺が気になるから』
 涙マークがたくさんのメール。
 具合が悪ければ、1人で気兼ねなく寝ていたいと言うのもわかる。
『わかった。ちゃんと飯は食えよ』
 メールを送って俺は時計を見た。
 やば、少し急がないと。
 前よりはメール打つのは早くなったが、それでもまだ時間が掛かる。
 俺はケイタイをポケットにしまうと走り出した。

『ともあきさん愛してる。


            ごめん』

 急いで電車に乗って、ケイタイを出してみると、そんなメールが入っていた。
 ばかだなあ、そんなに気を使うんじゃねえよ。
 思わず笑ってしまった俺は、『ばか、寝ろ』と、短いメールを返してやった。


←Novel↑Top