2月-5


 動いたのは和臣の方が早かった。
 ドアを引いて、部屋の中に戻ろうとする。
 その動作は、俺を室内に招き入れる、というようなものではなかった。
 ので。
「ッ......た!」
 それを阻止するために、俺は腕をドアに挟んだ。
 ゴッ......って、言ったぞ。
 骨が変に挟まれて痛みが走る。
「だ、大丈夫?!」
 素で心配してくれた和臣。
 声を聞くのも、久しぶりだ。
 慌ててドアを開いて、室内に引き込まれながら長袖をたくし上げられる。
 バタンと、背後でドアが閉じる音が聞こえた。
「挟んだの、ここ?これ痛い?」
 真剣な眼差しで俺の腕を見つめ、挟んだ部分を軽く握られる。
 確かに痛いが折れたとか、そんなに酷いものではない。
「痛くない?ともあ」
「あいたかった」
 挟んだ箇所から視線を上げた和臣に、俺は堪らず抱きついた。
 声と、表情と、体温。
 いない間は我慢できたけど、こうして会うと、いろんなものがにじみ出そうになる。
 感情とか、言葉とか、涙とか。......鼻血は既に出てるけど。
 こんなに、俺は寂しかったのか、と抱きつきながら考えた。
「痛かっただろ?それ」
 色が変色している部分には触らないようにして、両手で顔を挟み込む。
 口の端も、切れたような跡。かさぶたになっている。
 ......痛いに決まってる。
 そう思いつつ、背伸びして唇を寄せる。
 触れる寸前、ついっと眉間に皺を寄せた和臣に、顔を逸らされた。
 え?
「......上がって。手当て、するから」
 和臣は硬質な声でそう告げると、俺の肩を押して離れた。
 軽く押された程度だが、そんな風にされるとは思っても見なかった俺は、ぼんやりと和臣を見上げる。
 俺の見ている前で和臣は背を向けて奥に進んでいってしまった。
 わずかに感じる違和感。
 これは、拒絶?

 そんなことはないだろうと思いつつ、背筋が凍るような思いだった。

 久々の和臣の部屋。
 俺が来るようになってからは結構綺麗だったけど、何だかまた物が乱雑になっている。
 床に落ちているパーカーやシャツを、何気なく拾っていると「触んないで」と短く言われた。
「そのまま置いて。こっち来て」
 ......なんだ、これ。
 衣類を拾い上げるように中腰になったまま、俺は和臣を見る。
 きゅっと閉じられた形の良い唇。
 真摯で強い眼差しが、俺を射抜く。
「......早く来いよ」
 異論を唱えることさえできないような強い口調。
 ぎくしゃくと、強張って動きにくい手足を動かして、俺は和臣の元に向かう。
 折角抱えた衣類は、その場に落としてしまった。
 ソファーに座らされると、ティッシュを手渡された。
 鼻血を拭って、まだ垂れてきたからそのまま詰める。
 息苦しいが、仕方ない。
 和臣は、どこからかシップとテーピングテープをもって戻ってきた。
 じんじん痛む俺の腕の、ドアに挟んだ部分にシップを貼って、テープで固定していく。
 俺の前に膝をついて手当てをしてくれる和臣。
 どこか、遠い。
 怖い。
 この沈黙が耐えられないほどに怖い。
 何かを言おうと口を開くが、声が出ない。
 パクパクと口の開閉を繰り返す俺。手当てを終えた和臣が視線を上げた。
「何しにきたの」
 ひやりとした声。射抜く眼差しとは違って、ざりざりと肌を硬質なもので擦られるような、痛みがある。
「風邪、心配、で......」
「来ないでいいって、言ったろ」
 深くため息を付かれた。
 ぞくっと、身体の芯が冷えていく。
 眉間に寄った深い皺。和臣は物凄く不機嫌そうだ。
 どうしよう。俺、何、した?
「わる、い............あ、っと、メール......」
「メールがどうしたって?」
「......さっき、なんで、いないって」
 いたのに、いないって、なんでさっきメールの返事したんだ。
 それに、まるでそのメールを本当のことにするみたいに、慌てて外出しようとしていた。
 俺の言葉に、和臣は一旦目を閉じる。
 俯いてしまって、俺の位置からじゃ表情が読み取れない。
 しばらく押し黙った後、和臣が俺を見た。
 コイツは、こんな顔、しない。
 知らず知らずのうちに、奥歯に力が入る。
「鈍いな智昭さん。会いたくないからに決まってんじゃん」
 ゆっくりと浮かんだ、微笑み。
 俺はぎゅっと握った右手を、左手で包んで甲に爪を立てる。
「そっか......」
 平然とした声。内心の荒れ狂うような動揺は、その声に出ていない。
 こんなときはどんな顔をすればいいんだろう。
 怒る?悲しむ?......知らねえよ。
「その、顔、は?」
「ああ、これ?階段踏み外しちまって、受身取れなかったんだ。ひっでえ顔だろ?ガッコでも女の子に笑われてさ」
 軽い調子で告げて、和臣は俺の隣に腰を下ろす。
「言わなかったのは、心配されんのわかってたから。うざいし、そういうの」
 うざ......。
 軽やかに告げてくる言葉が、俺の心をえぐる。
 コイツは、こんな、喋り方しない。
 視線を向けることができない俺。まっすぐに前を向いた視界の端に、タンタンタンと小刻みに揺れる膝が映る。
「だから、......あー、なんつうかさあ」
 いらついた声を出しながら、和臣はソファーの背もたれに寄りかかる。
「帰ってくんね?......これから、女の子、呼ぶ予定があんの」
 その言葉に、カッと来た。
「ふ、ざけんなッ!」
 和臣に掴みかかって、ぎゅっと握った拳で、あざで変色した頬を殴りつける。
 ああ、こっち殴ったら、駄目だ。
 ......わかってんのに、とまらねえ。
 和臣も、抵抗しないで俺に殴られる。
 引きこもりのニートで、他人とはロクに話さなかった俺。
 でも、今は違う。
 バイトもしてるし、友達も出来た。
 笑う回数だって増えた。
 メールだってできんだぞ、俺。すげえだろ。
 それ、全部。
 お前が俺に教えてくれたことなのに。

 そんな急に、......離れようとすんじゃねえよ......。


←Novel↑Top