7月-6

-海山の恋しい季節となりましたが-



 揺れる車体。
 流れるミュージックは夏の歌。
 窓から入ってくる日差しの強さとは裏腹に、涼しく冷やされた車内。
 そして車に酔う、俺。
 死ぬ。死んでしまう。
「大丈夫?ともあきさん」
 前の座席からひょっこりと顔を覗かせるヤツを、見る元気もない。
「酔い止めの薬飲めそうなら、あるけど」
 ヤツの隣から顔を出したのは、黒髪。薫という女だ。
 少しだけ伸びた前髪を、可愛い花のついたヘアピンで留めている。
 その手には小さな錠剤。
 無理。今口開いたら、出る。
 俺は片手を軽く上げて、ふるふると手を振った。


 夏休み。
 といっても、俺の夏休みではない。
 大学生どもの夏休みだ。
「あ、ともあきさん今度の火曜日、暇?つーか暇でしょ、暇じゃないわけないよね」そう決め付けられたコンビニ店員に、今日の予定を切り出された。
 海水浴に行こう。
 近年お目にかかったことのない海に、ヤツは俺を誘った。
 最初は渋ったが、友達と『みんなで一緒』に行くのだから、来ないわけ行かないだろうと半ば強引に引っ張り出された。
 俺の遠出には、家族の中でひと悶着あった。
 我が家のお山の大将、兄が反対の意を示したのだ。
 「協調性のないこいつに、団体行動はできない」そう言い切られて、ひっそりと俺はへこんだ。
 だが、母と父は賛成してくれた。
 外に出ることは良いことだと言ってくれた。
 2対1で、若干旗色の悪くなった兄は、ならば俺も付いて行くと言い出したのだ。
 俺とて、もう20代も半ば。家族同伴なんぞ、できるかと必死で拒否した。
 しかし有給取ってでもついていくと、鼻息荒い兄に、俺は諦めかけた。
「......」
 少しだけ気分が良くなって、俺は目を開けて前の座席を見る。
 車は、バンだ。
 運転手に坊主頭(今は若干伸びて、トライバルっぽいラインがサイドに入ってる)。その隣は茶髪の女だ(茶髪はエクステをつけて髪が長くなっていた)。
 中央の席はコンビニ店員。隣は黒髪女。
 そして後列は俺一人ぐったり。
 そう。兄は来なかった。
 のほほんと笑顔を浮かべた母に「はっ、これだからブラコンは......」と捨て台詞とこれ見よがしのため息を付かれたせいだ。
 言ったのは母なのに、兄はうるせえと怒鳴って、俺にプロレス技をかけてきた。
 結構本気のようだったので、もしかしたらこれで筋でも痛めて、行かせないようにしたかったのかもしれない。
 まあ、いずれにせよ良かった。
「ともあきさん、そろそろ着くよ」
 またヤツが顔を出してそんなことを知らせてくる。
 そうそう後ろを振り向いて、こいつは気持ち悪くならないのか。
「うー......」
 俺は軽く唸って返事をした。


 振動が止まると、一気に周囲が騒がしくなる。
「やべ、ちょー海青い!」「ねえクーラーボックス持って」「あ、パラソル!」好き好きに、言って、トランクから荷物を下ろしていた。
 手伝わないと、と思っていても体が動かない。
 膝を曲げて丸くなっていると、足元から布擦れの音。
 薄っすら目を開くと、大きな手が目に入った。
 額をその手に撫でられる。
「外の空気、吸ったほうが楽になるよ」
 んなの、わかってる。
「出れる?......だっこしてあげよっか」
 ふざけんな。
 むっとした俺は、普段使わない腹筋を駆使して、ふっと起き上がった。
「......」
 俺が急に起き上がったものだから、コンビニ店員は少しだけ後ずさる。
 いい反応だ。
 もし下がってなければ、俺と顔をぶつけていたことだろう。
 今だってほら......すごい近い。
 間近過ぎて影が出来る距離。
 ヤツの口が、わずかに開いているのが見えた。
 吐息が俺の唇に、かかる......。
「......ッ!」
「あ!何やってんの、ともあきさん」
 なんだか無性に離れたくなったので、そのまま後ろに仰け反った俺は、反対側のドアの肘受けに後頭部をぶつけていた。
 い、痛い。
 勢いつけていたせいで、すごく痛いぞこれ。
「ばかだなあ」
 大学生は苦笑しながら、後頭部を押さえて苦悶の表情の、俺の手を引っ張って起こしてくれる。
「いたいのいたいのとんでけー」
 どこの幼児だ俺は。
 男は頭を胸元に引き寄せて、当たった後頭部を手で撫でた。
 痛いところ、触んじゃねえよ。さらにいてぇ気がするんだけど。
 むすっとして、ヤツの手を払う。
 再度伸びてきた手を掴んで触らせないようにしてると、黒髪がヤツの背後から声をかけてきた。
「お水飲む?冷えてるよ」
 いえいえ大丈夫です。なんか、憎たらしいヤツの顔を見てたら元気になりました。
 俺はコンビニ店員を蹴り出して、車の外に出た。
 暑い日差しに、目を細める。
 女は予備の着替えやタオルを詰めた各個人のリュック、それにバスケットを持っていた。
 一番重そうなバスケットに手を伸ばし、持ち上げる。
 う。結構重い。何入ってんだこれ。
「あら、ありがとう」
 微笑みには、微笑みで返す。
 俺が笑うと黒髪が更に笑ってくれたので、なんだか嬉しくなった。
「別に持たせときゃいいのに」
 お前は黙ってろ。つか、持てよ。
 少し不機嫌そうなコンビニ店員。何も持たずに、ぼさっと突っ立っている。
「はいはい、邪魔してごめんね~」
 黒髪は、きゃらきゃら笑って、空いた手でばしんとヤツの背を叩いている。
「早く行こう?二人、もう先に行っちゃってるし」
 歩き出した女の後を俺、そのあとにコンビニ店員が続いた。

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