7月-8

 ......さて。
 俺は浮き輪を外すと、ヤツに取られた本を探した。
 だが、どこにどう隠したのか見当たらない。
 仕方ない。ぼんやりするのは得意だ。
 俺は暑い日差しの中、海で遊ぶやつらを眺めた。
 坊主と茶髪は、たしか恋人同士だといったか。
 じゃあ、ヤツと黒髪は......どうなんだ?
 イルカの浮き輪に乗っている坊主をコンビニ店員が引き摺り下ろし、そして女たちが揃ってよじ登る。
 笑い声を上げる彼女らのイルカに男が二人して掴みかかるものだから、重さに耐えられずにイルカが沈んだ。
 ずるっと重力の法則に従うように、浮き上がってきたのはまず浮き輪。
 それから浜にいる俺に届くぐらいに、大きいヤツらの笑い声。
「......」
 ヤツらから視線を外して、ぼんやりと水平線に視線を向ける。
 今更混ざるつもりなんて毛頭ない。
 気兼ねなくヤツらが遊べるのは、荷物番してる俺のおかげ。
 そんなことを言い聞かせること自体、なんだか空しい。
 知らず知らずのうちにため息をつきそうになって、俺は口を閉じた。
 日差しはだんだんと強くなっていく。
 周囲に人も増えて、いつの間にか、ヤツらを見失っていた。
 まあ、別になんでもいいけど。
 頬を伝う汗を手の甲で拭い、パーカーの胸元をぱたぱたと揺らす。
 それからぎゅっと胸の上を握り締めた。
 別にいいじゃねえか、ニートで引きこもりなんだから、色が白くて、貧相な身体してても。
 さっさと半裸になった男どもの、程よく筋肉の付いた身体が羨ましいなんて、ないもの強請り過ぎる。
 せめて半年前に誘ってくれれば、俺だってどうにか出来たはずなのに。
 そこまで考えて、俺はふっと笑った。
 ヤツと知り合ってもない頃に、誘えるわけ、ないじゃないか。
 意地を張って着直してしまった分、大学生どもがいない間も服が脱げない。
 水着、ちゃんと着てきたのに。
 さっきは堪えられたため息が、口から漏れてしまった。
 今日が楽しみすぎて、前日寝れないとか、その寝不足で車酔いしたとか。
 ずっと、心が浮き足立ってた。
 嬉しくて。
 ......その分今は、急降下。
「はしゃぐんじゃあ、なかった」
「はしゃいでたの?」
 びくう。
 呟いた声に、返答があって俺は大げさ身体を揺らした。
 振り返ればそこには茶髪の女がいた。
 身体から海水を垂らし、足には砂をくっつけている。
 周囲を見回したが、他のヤツらは戻ってきてなかった。
 とりあえず、乾いたタオルを差し出す。
「ありがと」
 受け取った茶髪は、軽く片足を引き摺るような仕草をしながら、シートに座った。
 その動作を不思議に思って足を見ていると、女が笑う。
「足つっちゃってさぁ。ちょっと休憩」
 なるほど。
 小さな足を小さな手でマッサージする女から視線を逸らして、俺はまた水平線を見た。
 ......おー、船が見える。
 遠くに見える船を見て、あれは貨物船かそれともヨットかなんかかと目を凝らす。
「知ってる?あの三人って、高校一緒だったんだって~」
 ぽんと掛けられた声に、女に視線を向けた。
 曲げたり伸ばしたりする足を見つめたまま、茶髪は続ける。
「せっかくだから、一緒の大学に行こうって、三人であそこ受けたんだって」
 あたしは大学で薫ちゃんの紹介で怜次と知り合ったの、と笑った。
「そう」
 俺は軽く頷いた。それ以外、どう答えていいかわからなかった。
「あきちゃんってさあ。薫ちゃんのこと、どう思う?」
 不意の質問に、心臓が煩くなった。
 ヤツの腕に絡まった細い腕を思い出す。
 親密そうな、微笑みを浮かべた女。
 その手を払いながらも、ヤツだってまんざらじゃなさそうだった。
 顔はしかめても、わずかに浮かんでた笑みが見えた。しかたないなあ、って感じの苦笑。
「あの二人って、付き合ってるの?」
 聞きたいわけじゃない質問が、するっと口から出た。
 茶髪はぱちりと瞬きをする。
 その顔を見て、尋ねたことを後悔した。
 別に、付き合っていたって俺には関係ないことなのに。
 友達が、誰と付き合ってたって。
 ......。
「え~......仲はいいよねえあの二人。でも薫ちゃん......」
 そこまで言って、茶髪は言いよどむ。
 何が言いたいんだと無言で催促すると、女がふっと息を吐いた。
「ま、いっか。友達だし、きっと薫ちゃんから言うよね」
 なにをだ。
 聞きたいけれど、聞けなかった。
 茶髪も坊主もそうだが、あの黒髪の女だって、俺は友達だという実感はない。
 せいぜい、友達の友達。
 知り合いよりは近しいかもしれない。そんな印象だ。
 対して、今一緒にいる茶髪も含め彼らの方も、俺にどう接していいかわからないみたいだった。
 ......俺もそんなに話さないしなあ。
 ていうか、来なくて良かったんじゃねえの俺。
 明らかにこれは、ダブルデートのお邪魔虫だろ。
 協調性ないけどなあ、俺、察しは悪くねえんだよ。
 つらつら考えていると、ぐいっと服を引っ張られた。
 見れば、茶髪がパーカーを中のタンクトップごとたくし上げている。
 視線が注がれる俺のわき腹。
「なまっちろーい」
 女は一言だけ言って、手を離した。
「......」
 うるせえ。そんなの俺だってわかってる。
 ぐしぐしと乱れた服を直していると、顔を覗き込まれた。
 しっかりアイライナーの引かれ、大きく見えるくりくりとした瞳。
「あきちゃん。日に焼いたら?少しはマシになるかもよぉ?」
 何が、マシになるって?
「ヤだったんでしょー、あの二人と並ぶの。結構イイ身体してるしさ」
 あれ、と指差した先には、見失っていた男二人と、女一人。
 坊主がイルカの紐をひっぱり、イルカにヤツと黒髪が乗っかっている。
 ヤツの腰に回っている、手。
 バランスを崩して、二人一緒に落ちる。
 ヤツが黒髪の手を引いて起き上がった。
「あ、もしかしてあきちゃんってぇ、黒くなんないで、赤くなって終わる系?」
 ......いえいえ真っ黒になっちゃう系ですよ。紫外線の吸収率いい系で、こんがり焼ける系。
 油断するとずっと二人を凝視していそうで、俺は立ち上がった。
「お?」
「焼く」
 きょとんとしている茶髪の目の前で、さっさと服を脱いで水着だけになる。
 そしてパラソルの下に入らない、日差しを受ける位置で寝転がった。
 暑い光線に、すぐに玉の汗が浮かぶ。
「あたし、足大丈夫になったから、海行くね?」
 遠慮がちに掛けられた声に、俺は軽く手を振った。
 横になると、途端に睡魔が襲ってくる。
 暑くて暑くて寝苦しいことは間違いなかったが、俺は目を閉じた。
 何も考えたくなかった。
 嫉妬っぽい感情があると、自覚した分だけ自分が惨めに感じられた。
 ......俺、誰に嫉妬してんだよ。美人と仲がいいヤツにか?それとも......。
 バカじゃねえの。
 暑い日差しに、目の上を腕で覆う。
 瞳に広がる水分に、瞼が震えた。

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