6月-5
まただ。
こいつは時折、こうやって柄ごと俺の手を包んで歩き出す。
傘を持ってくれるのかと離そうとしても、熱い手は俺の手を包んだまま離れない。
「ともあきさん、何か見たいのある?借りて行こうよ」
ナチュラルに話をするな。
「見ない」
そもそも、どこで見るんだ。
「えええ。いいじゃん一緒に見ようぜ。俺んちのオーディオセットすごいよ?」
いつの間に、俺がお前んちに行く話になってるんだ。
足は、駅までの最短コースではなく、レンタルショップへ向かう遠回りコースに変わっていた。
軽い足取りで、二人で並んで歩く。
「行かない」
「なに、俺んち、来てくれないの?」
途端に男が悲しそうな表情を浮かべる。
来てくれないのってお前......。ガキか。
「来てよ~。ともあきさん暇なんでしょ?家には電話すりゃいいじゃん」
こいつは俺がニートなのを知っている。
確かに俺は暇だ、だけどな。
「水曜日」
「すいようび?今日だよね」
男の目がくるりと動いた。
俺の言葉を吟味して、何を言いたいか考えているらしい。
ヒントをやろうじゃないか。
「平日」
「......もしかして、ともあきさん俺の心配してる?」
そうだ。俺は暇人だが、お前は立派な大学生様だろう。
今から帰って、課題やら予習やら復習やら、しなくちゃいけないんじゃないのか。
ただでさえ寄り道してるから時間が少ないのに。
「じゃあ、週末ならいいですか」
こいつは火、水、金とコンビニ店員になる。
「金曜日」
「そ。俺がバイト終わったあと、俺んちに行って映画見るんです」
そんなに見たい映画があるのか。
まあそれなら良いだろう。翌日が土曜なら多少起こしていても大丈夫なはず。
うむ、と重々に頷くと、男の手に力が入った。
ヤツの指が、俺の指を撫でる。
「それって泊まってくれるってことでいいんだよね?お泊りセット持って」
お泊りセット?身一つじゃだめなのか。映画見てあとはごろ寝だろう。
「あーやべえ。ともあきさんが俺の部屋にいんのか。俺のベッドに寝るのか......」
「雑魚寝でいい」
家主をベッドから追い出して寝るような真似は、さすがにしない。
「大丈夫。俺のベッドセミダブルだから、一緒に寝ても余裕だよ」
ん?
「あ、もしかして寝相悪いとか?寝てる間に蹴られんのは、さすがに嫌だなあ」
いや、そんなことはないけども。
首を振る俺に、大学生は蕩けそうなほど甘い表情を浮かべる。
「よかった。楽しみだね」
今日は、金曜日に借りる映画の目星を付けておこうと弾む声でヤツは言った。
手は、レンタルショップの明かりが届く範囲に付く頃まで、握られたままだった。
後日、その金曜日を迎えたとき、コンビニ店員はハイテンションだった。
その日は雨でなかったため、ただ二人で歩くのみ。
「ともあきさんの歯ブラシ、俺ンとこに置いておこうね」
そんなに歯ブラシが好きなのか。
あまりに嬉しそうに告げるので、俺は気の毒そうな目でヤツを見た。
頭が可哀想な子なんだなと思うのも半分、もう一つ理由がある。
視線は気にならないらしく、ヤツは一人で喋っていた。
「シーツも変えたし、部屋も掃除したんだぜ。風呂場も綺麗にしたから、もうバッチリゆっくりできるの間違いなし」
上機嫌なヤツに、事実を告げるのは気が重い。
「泊まり」
「ん?」
「駄目になった」
「へ......えええええ!なに!何で?!ともあきさん良いって言ったじゃん!!」
友達に嘘ついたのかと、胸元を捕まれ、がくがく揺さ振られる。
「あに」
兄が、駄目と言ったんだ。
「......ともあきさんのお兄さん?」
ぴたりと動きが止まる。
ついでに胸倉を掴んだ手を離してくれ。
苦しい。
「俺が電話かけたときに、幼児言葉で話しかけてくるあのお兄さんが、駄目って?」
あのプロレス馬鹿、こいつにもそんなことしてたのか。
俺はチッと舌打ちをした。
「悪い」
「あー......うん。いや、いいよ。家の人の反対じゃあなあ......」
がっくりと肩を落として、俺の胸元から手を離した。
うあう~と言葉にならない呻きを出しながら、ヤツは歩いていく。
俺は、そのヤツの手を後ろから伸ばして掴んだ。
「土曜日」
弾かれたように視線が俺に向けられる。
「映画」
もう一方の手をポケットに突っ込み、チケットを取り出した。
最近やっているアクション物の映画のチケットだ。ちゃんと二枚ある。
泊まりに行くことは絶対許さなかった兄が、そんなに映画を見たいならとくれたものだ。
嫌か?
そう問いかけを含めて見上げると、見上げた先にヤツの顔はなかった。
代わりに見えるのは星空。
ぎゅっと抱きしめられる、俺の身体。
「場所と時間、調べるから待ち合わせしよ?」
待ち合わせか。
人ごみの中でなら帰るぞ。
「帰り、どっかでアイス食べて行こうか」
......アイス嫌いなの、訂正していなかったのか俺。
訂正しようと口を開いたが、面倒になってそのまま閉じる。
まあいい。本当に行くことになったら、こいつに食べさせよう。
俺はぽんぽんとこいつの背を叩いた。
弟を持つ兄の心境ってこんな感じかなと、なにやら心がくすぐったく、じんわり熱くなる感情を自分で分析しながら。