6月-4

 昼間から降り出した雨は、夜になっても降り続いて、地面にたくさんの水溜りを作っていた。
 今も、俺の目の前で小さかった水溜りが徐々に大きくなっていく。
 あんま意識したことなかったけど、ここの駐車場、水捌け悪いな。
 3台程度が止められるコンビニの駐車場は、利用したことがない。来ても自転車だし。
 ずっと、同じ体勢でしゃがんでいたせいか、足が痺れた。
 なので今度は立って待つことにする。
 ......おせえなあいつ。客なんか居ないのに、いつまで待たせるんだ。
 22時20分。
 腕時計は、ヤツのバイト時間がとっくに過ぎた事を告げている。
 帰ってしまおうかと考えながら、俺は水溜りを蹴った。
 俺が渡した電話番号は、それこそ最初のうちしか役に立たなかった。
 基本的に、俺は電話を取らない。
 なので、家族が居るときに家族が取って俺に渡してくれる。
「トモくん、お友達から電話よ~」
 母が出るならまだいい。......いや、なんか恥ずかしいが、まだいい方だ。
「智昭。ほら、電話だ。ご友人を待たせるんじゃない。早くこい」
 父はいきなり出来た友人の存在に、そわそわして何度も呼びつける。
「おいニート。『遊びまちょ』って電話だぞ」
 兄なんかはもはや嫌がらせの域だ。ママゴトでもするのかと難癖つけて、俺が電話の前まで来ても、簡単に受話器を渡してくれない。
「お前、電話するな」
 疲れた俺が、ようやく電話機をゲットして告げると、コンビニ店員は『そんなッ』とショックを受けた声を出した。
「家族が出る」
『なら、自分で出ろよ。......昼間も何回も鳴らしたのに』
 どうして出てくれないんだと詰られる。
 昼間、家にかけてくる電話は、売り込みの電話しかないじゃないか。
 絶対嫌だ。出ない。
 そんな電話はすぐに切っちまえよ。俺の電話だけ出てくれればいい、と煩いから、会話の途中で無言で切った。
 そしたら部屋に戻っている間に鳴り響く電話。
「お前、もうちょっとどうにかしろよ、その性格」
 兄が呆れたように、俺の部屋に電話の子機を持ってきた。
 どうにかできるんなら、もっと早くどうにかしてる。
 この性格は生まれつき、と俺はべっと舌を出しながら子機を受け取ると、腰に一発蹴りを入れられた。
 地味に痛い。
『わかった。あんまり電話しねぇよ......いつなら、電話していい?いつなら電話出てくれるんだよ』
 控えめに、そう告げる声はわずかに震えていた。
 なんとなく号泣していたあの顔を思い出す。
 俺よりでかいのに、簡単に泣くな。そう思いながら、俺は口を開いた。
「電話するな」
 受話器の先からは、息を飲む音が聞こえる。
 それでも、こいつは怒って切る訳でもなく、かといってそれ以上言い募らない。
 切られない電話の沈黙が場を支配する。
 しばらくして、話し出したのは俺が先だった。
「バイトの後」
『......ぇ...?』
「待ち合わせ」
『は......ええ?』
 俺の言葉が1とするなら、それで10まで察しろ。
 でなきゃ俺なんかと友達になれんぞ、お前。
 俺はもう会話が面倒になって電話を切った。
 そのあとは、もう電話がかかってくることはなくなった。
 元々、会話が嫌いなのに、電話番号を教えた俺が馬鹿なのだ。
 それはものすごく後悔した。
 あのときの妙なテンションのせいだ。
 思い出すと......頭が沸騰してくる。
 そんなわけで、俺はコンビニ店員もといバイト大学生が、バイトでコンビニに来ている週3日、用がなくともここに足を運んでいた。
 なんで俺のバイトのスケジュール知ってんの?と首を傾げたヤツに、てめえと会いたくなかった時に把握したんだボケ、と言わなかっただけでも俺は大進歩だ。
「お待たせ!ごめん遅くなった」
 コンビニの裏口から、黒いTシャツにジーンズの男が走り出してきて、俺に駆け寄る。
 俺はビニールの透明な傘の中から男を見上げた。
「傘、入れて」
 晴れやかに笑って言い切った。
 こいつは、よく傘を忘れる。
 この梅雨の時期に馬鹿じゃないのかと思ったが、毎回忘れては毎回俺の傘に入りたがる。
 二人で傘に入りながら、向かう先はまちまちだ。
 こいつが大学のレポートで使う資料が欲しいからと、24時間営業のレンタルショップ兼本屋に向かったり。雨よけのある人気のない商店街の中を歩いたり。
 雨が降っていなければ公園で少し、話をしたりもした。
 ルートは色々あるが、最終的に俺が駅までヤツを送る。そして俺は家に帰る。そのパターンだ。
 少し、性格も把握できたように思う。
 今だって、俺が良いと言わなくても勝手に傘に入ってきた。
 そう。こいつはこのように、少し強引なところがある。まあちょくちょくコンビニで俺に話しかけてきたときも、俺の都合お構いなしに話かけてきたからな。
 握っていた傘の柄を取られ「行こうよ」と微笑まれる。
 ふふん。
 俺は珍しく笑い返した。
 わずかに目を見張った男が、俺から視線を逸らす。
 コンビニの明かりに照らされる横顔が、わずかに赤く見えないこともない。
 なに赤面してんだ気持ち悪いぞ。
 俺は、ショルダーバッグの中から、折りたたみ傘を取り出してそれを差した。
「......」
 差してするりと大学生から離れて、歩き出す。
 だいたい、大の大人が二人して傘に入ると狭いのだ。
 肩は濡れるし、密着して歩きにくい。
 たまには、別々の傘で帰るのも良いだろう。
 相手が濡れないか、なんて無用な心配をすることもない。
 機嫌の良い俺に対して、ヤツの機嫌は急降下しているようだった。
 いつもなら、煩いほどの口が止まっている。
 少しだけ俺とヤツの距離が空いていた。
 今日は、どこに寄ろうとか、言わないんだな。
 まっすぐお帰りコースか、と駅までの最短距離の方向に足を向けたときだった。
 急に横殴りの風が吹きつけてきて、俺は目を閉じる。
「あーあ」
 背後から、男の声がした。
 何だ。
 振り返ると、それはもう、満面の笑みを浮かべたヤツが居た。
 ......見なかったことにしていいかな俺。
 そうだ、そうしてしまえと応じる心の声に前を向こうとするが、それは出来なかった。
「傘、今の風で壊れちゃった」
 にこやかに告げて、あやつが俺を見ている。
 骨が折れた傘は、下ろして手に握られていた。
 そりゃあ、ビニール傘は脆い。脆いぞ。
 ......が、ことごとくお前に貸した傘が、破れたり壊れたりするのは、どういうことだ。
 乱暴に扱ってるんじゃなかろうな?
 雨が、ヤツの身体を濡らしていく。
 人気のない道路に二人して、突っ立ったままだ。
 致し方ない。
「入れ」
 傘を斜めにして、そう誘うと嬉々として男は入ってきた。
「俺さぁ、映画見たいんだよね映画」
 滑らかに喋り出しながら、傘の柄を握る手に、手を重ねてくる。

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