3月-11


 すべて合わせて全治1ヵ月。
 それが俺に下された診断だった。
 一番酷いのは兄に殴られた左頬骨と、鼻の骨。
 それぞれヒビが入ったらしく、ぱんぱんに腫れ上がってしまった。
 折れなかっただけ、まだマシかもしれない。
 あきらかに一方的な怪我だったこともあって、医者に警察を呼ぶかとも尋ねられたが、それは断った。
 横暴で性格悪くて、酷いヤツだけど......俺の大事な、兄だし。
 俺のことを考えてしてくれたのだ。それぐらい、十分わかってる。
 見た目は酷かったが、入院するほどではないため、手当てをしてもらって病院を後にした。
 頬と鼻を守るためのフェイスガードと包帯で、顔だけミイラ男になった俺。
 寝不足もあったが、職場に遅れて出勤した。
 すると。
「藤沢くん、しばらく来なくていいから」
 俺を見た上司が一言。
 ショックも受けたし、落ち込みもしたが、介護もある意味客商売だ。
 ミイラ男はさすがにまずいらしい。
 上司に告げられた時はクビを覚悟したが、幸運なことに治るまで休職中にしてもらえた。
 このご時世に、ありがたい話である。
 ただ、戻ってくるまでにホームヘルパーの資格を取れと宿題が出された。
 なので、今の俺は自宅療養しつつ、休職中に資格を取ろうと勉強中だ。
 家に帰ると、俺の顔を見た母は泣いた。そして思い切り兄を殴った。
 ......うちの家族が暴力的なのは、母の血かもしれない。
 2人揃って散々怒られたが、最後は抱きしめてもらった。
 優しい母の温もりに、ホッとして少しだけ泣いた。


 事の顛末は、また母には話していない。
 母は理由を聞きたがっていたが、傷が癒えた頃に改めて話するから、とお願いすると、しぶしぶ納得してくれた。
 俺に怪我をさせたせいか兄は、少し態度が変わってしまった。
 邪険にして、俺を罵倒するのは変わらないが、今までは無駄に構ってきたのに、少し遠巻きに見るようになった。
 俺に触るのにも、まるで壊れ物に触るように躊躇している様子で、なんとなく......嫌な気分になる。
 包帯が取れたら元に戻るのだろうかと考えてはいるが、戻らなかったら兄の大事にしている、プレミア付きのプロレスDVDや、プロレスラーのサイン入り色紙をうっぱらってやろうと考えている。
 もしかしたら泣き顔が見れるかもしれないと妄想してると、楽しくなってしょうがなかった。
 元に戻った後のことは、あえて考えない。
 薫さんや、怜次くんたちにもお世話になったから、お礼をかけて電話した。
 めでたく兄公認になりましたと伝えたところ、薫さんには『馬鹿ね。......でもおめでとう』と祝われ、怜次くんには『式はいつ?』と揶揄られた。
 志穂ちゃんからは祝!と書いた赤飯が送られてきた。......おもしろい。
 受け取った母が首を傾げていたが、何にも言わず俺は大人しく食べた。



『怪我は、どう?』
「腫れ引いたけど、凄い色してる」
『そっか。ちゃんとめんどくさがらずにシップ貼ってね、ともあきさん』
「ん」
 毎日。
 和臣は電話をかけてくる。
 必ず俺の怪我の状態を聞いて、小言を告げた。
 あの日、別れてからまだ一度も会ってない。
 ヤツは春休み中で、俺も休職中だから、時間はいくらでもある。
 だけど、俺の怪我が治るまでは会わないことにした。
 逢いたいと思って眠れない時もあるけど、ケイタイを抱いて眠った。
 これは、けじめだ。
 認めてもらえたことで、浮かれてしまわないようにと2人で話し合って決めた。
『早く、逢いたいよともあきさん』
「うん」
 ケイタイの雑音越しに聞く声も愛しい。
 ただ、怪我が治って逢う時は、俺の両親とも会うという話になっているから、それを考えると少し鼓動が激しくなってしまう。
 わざわざカミングアウトしなくてもいいのに、とは薫さんの言葉だが、隠しているのも苦しい。
 いつかばれて、拒絶されるかもしれないと怯えるよりは、いっそさっぱりしたい。
 ......願わくば、両親にも認めてもらいたいけど、過度の期待はしないようにしている。
 どうあっても、和臣は傍にいてくれるって、知ってるから怖くない。
 兄も、俺の味方だし。
 俺も和臣のご両親にご挨拶できるなら、と数日前に聞いてみたが、わずかにトーンの下がった声で、和臣に拒絶された。
 『あいつらなんか、ともあきさんに会う資格ねえよ』と吐き捨てるような口調で告げたのが、記憶に新しい。
 俺にはわからない、複雑な事情があるようだった。
 いつかはそれも聞けるようになりたいとは、思う。
『ともあきさん』 
「ん?」
『へへっ......ともあきさんー』
「なんだよ」
 何度も俺の名前を呼ぶだけの和臣に、俺は思わず顔をしかめてしまった。
『好きだよ。愛してる。ずっと傍にいるね』
「......俺も、好き」
『うんっ』
 和臣の声は弾んでいて、色をつけるなら春色のパステルカラーになっているに違いない。
 もしかしたら俺の声も、同じ色かもな。
 そんなことを思った。
 他愛もない話を続していると、『あ』と和臣は声を上げた。
『もう30分だ』
 明るかった声が、少しだけ沈む。
 通話は、1日長くとも30分。
 ずっと話していて、他のことが手につかなくなったら困るからと、これも2人で決めたことだ。
「早いな。......じゃあ、また明日」
『うん。今日と同じぐらいに、電話するから』
「ああ」
『ともあきさん、愛してる。じゃあね!』
「......ん」
 直球の甘い言葉に、俺の胸はいっぱいいっぱいだ。
 同じだけの量の言葉を返したいけど、なかなか出来ない。

 プツッと切れてしまったケイタイをぎゅっと抱きしめて、俺は目を閉じる。

 和臣には言えないけど、電話終了直後は、俺は何もできなくなってしまう。
 嬉しくて切なくて、苦しいほどに幸せで。
 この幸福を手放さないようにしたい。和臣にも同じぐらい、いやそれ以上の幸せを感じてもらえたら......。

「......愛してる......」

 そっと、思いの丈を呟いて、俺は大きく深呼吸した。
 気分を入れ替えよう。ヘルパーの講義の教材を見て復習するのも、いいかもしれない。
 アイツと一緒に生きるために、俺は妥協はしない。
「よし!」
 気合を入れるために声を出すと、俺は自分の部屋の、机へと足を向けた。


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