5月-3
「ちゃんとあってるよね。おつり」
千円からアイス3個分引いた、118円。
「......」
俺は男から金を受け取ると、手の平のお金を見つめて肩を落とした。
これだけのために、俺は走って逃げて、そして転んだのか。
帰ってきたお金はしっかりとポケットに仕舞い、ふうと息をつく。
あ、昼飯あのままだ。戻らないと。
立ち上がろうとした俺は、ナチュラルに腰を引き寄せられて、またすとんとベンチに座っていた。
「何」
引き止めたのは無論、俺の手を握っていたコンビニ店員で。
つか、ホントいつまで手、握ってんだてめえ。
訝しげに見つめると、苦笑された。
「あんまり喋らないんだ?」
おうよ。心は饒舌だがな。
視線でだから何、と問いかけると、男はがりがりと頭を掻いた。
「......なんか調子狂うな」
自分のテンポが人と合わないのは、よくわかっている。
改めて人に言われると、ちょっと辛いものがあるが。
「まあいいや。ケー番交換しようよ」
おいおい。
ナチュラルに携帯を取り出した男を、俺は奇異なものを見るように見つめた。
俺と携帯電話の番号を交換したいだと?
はん。どういう企みか知らないがな。
「ない」
一切シンプルに答えた。
男はきょとんとした表情を浮かべる。
大学時代はこれでも持ってたんだ。でも今はない。もう必要ないから解約した。
言葉の意味を理解するのに、時間がかかったらしい男を前に、俺は再度立ち上がる。
もう相手にするのは十分だろう。
立ち上がるついでに手も合わせて振り払おうとすると、男も立ち上がった。
「じゃあ俺の番号覚えて......てのは無理だよな。俺も人の番号なんて、すぐに覚えらんないし」
ぶつぶつ言いながら、男はどこからともなく油性ペンを取り出した。
そしてキャップを外すと、ずっと握っていた俺の手の平を上に向かせ。
080から始まる番号を書き始めた。
「!」
俺の手は紙じゃない。
もがいて邪魔をするが、しっかりと捕まれた手は解けない。
なら手を握って書かせなければいいと閃いたが、そのときには既に書き終わっていた。
手のど真ん中に、11桁の数字。
まじまじと、その手を見る。
「紙に書いても良かったんだけど、見ないで捨てちゃうでしょ?」
これならすぐには消えないからと晴れやかに笑う。
捨てる。容赦なく捨てる。できればこれも消したい。
不機嫌に眉根を寄せると、番号を書かれた手を真顔になった男に改めて握られた。
高い体温がすぐ側にある。
「ね、俺と友達になって」
え?
「君と、友達に、なりたいんだ」
言葉を区切り、俺に言い聞かせるように告げる。
なんで、俺?
「どうして?」
その疑問は、いつのまにか音になって俺の口から出ていた。
「理由ないと駄目か?......どうしても友達になりたいって、言ってんの」
ここが、と男は自分の胸板を指差した。
心臓?......ハート?
「よろしくお願いします。友達になってください」
......変な、ヤツ。
少し躊躇があったが、俺は仕方なしに頷いた。
うんと言わなければ、手を離してくれそうになかったから。
まあどうせ、すぐに俺のことなんか忘れるだろう。
接点コンビニしかねえし。
少し付き合ってやれば、引きこもりのニートの俺と、会話が合わないことが気付くはずだ。
「っ......よかったあ!嫌われてると思ってたから、俺マジ嬉しい!」
こんなことで大喜びするコンビニ店員は、俺にはわからない生き物のようだ。
戻ろっか、と弾んだ声に促されて、歩き出す。
手には、いつの間にか馴染んだ少し高めの体温。
俺はなぜか男と手を繋いで歩いていた。
なんでだろう。既に手を握られてんのがデフォルトみたいだ。
二人でゆっくりと、公園の端に広げられたブルーシートに向かう。
俺はそこに近づくにつれて、自分の顔色がさあっと青くなるのを感じた。
「おっせえよ、どこまで追いかけっこしてんだよ」
「おかえり二人とも!」
「これすっごく美味しい!これ君が作ったの?」
そこには金髪になるまで脱色した髪の男と、緩くウェーブのかかった茶髪の女、そして黒髪ストレートの女が仲良く座っていた。
それぞれの手に、俺のサンドイッチ。
さっと走らせた眼差しの先には、空になったベーコンエッグの入っていたタッパー。イチゴのヘタだけ置かれたケース。
俺の、俺の、ひるめし......。
大事に大事に食べていた昼食が、ほとんどなくなっていた。
「お前らこそ、何やってるんだよ」
手を繋いだコンビニ店員は、眉はしかめながらも口元には笑みが浮かんでいる。
なんだてめえ。そのしょうがないやつらめ、みたいな顔は!
俺の飯だぞこら。わかってんのか。
じわじわと食われたショックが上がってくる。
「だって、お腹すいてたんだもん~」
茶髪の女が悪びれなく笑う。
それに金髪男が同調した。
「いっぱいあったし。一人じゃ、こんなに食えなくね?」
「ごめんね。いつまでたっても戻ってこないし、あまりにも美味しそうだったから......」
1人だけ、黒髪は申し訳なさそうに謝った。
でも、それでも......。
くっそう、目が潤む。
「ごめん。悪い奴らじゃないんだけど、ちょっと頭が足らなくて。あのさ、俺この後奢るか......どうしたの?」
慌ててフォローしようとしたコンビニ店員が、俯いてしまった俺の顔を覗き込む。
涙を浮かべた俺と、しっかり目が合った。
離せよ馬鹿!
俺は男の手を思い切り振り払うと、そのまま拳を握って奴の頬を狙った。
頬骨と指の骨が当たる感触。
ぺちっと、小さな気の抜けた音。
それでも油断していたのか、力のない俺のパンチにでも、男はよろめいて尻餅をついた。
「きっ......嫌い!」
今の俺が出せる精一杯の声で、コンビニ店員に怒鳴る。
それからすぐに、くるっと向きを変えて俺は公園から飛び出した。
コンビニ店員とその仲間に、すごく馬鹿にされた気分だ。
いいおもちゃがいたと思ったんだろう。馬鹿にすんじゃねえよ。
俺は走って走って家に帰りつくと、すぐに手の平に残った数字を消した。
何度も擦って、落ちにくいインクを石鹸とスポンジで落とす。
手の平がぴりっとして痛い。
散々で最悪な一日だ。俺がなにしたって言うんだ。
いじけた俺は、日も高いうちから不貞寝することを決め込んだ。
布団の中で、ほんの少し、ほんとうにほんの少し泣いた。
やっぱ、しばらくずっと引きこもってやる。
あんな店員のいるコンビニなんか、二度と行かねえ。
俺はそんなことを固く心に誓った。