11月-4


「ちょっと、隆介!」
 明らかに迷惑顔の薫さん。
 今日はばっちり化粧も決めて、綺麗なお姉さんになってる。
 薫さんは応対していた客に声をかけてから離れ、そしてウサギの篠崎に駆け寄って軽く叩いた。
「あと30分したら休憩だって、さっき言ったでしょう?それまで待つってさっき......」
 言いかけて、ウサギが抱く俺を見た。
「智昭?あら、来てたのね」
 いつの間にやら子供のように脇の下に手を入れられ、持ち上げられている俺。
 身長と体重差からいっても、その扱いはまるで子供だ。
 普段であれば、こんな扱いにされれば蹴りの一発もいれるところだが、今はそんな余裕はなかった。
 驚いたまま固まっている俺と目が合うと、薫さんは一度微笑みそれから再度篠崎を睨んだ。
「どこから連れてきたの?だめじゃない、和臣のところに返さなきゃ」
「や、それが」
「智昭、今忙しいから後で遊びましょ。ほら、隆介も出て行って」
「あの」
 言いよどんだ篠崎に構うことなく、薫さんはまくし立てる。
 おいウサギ。薫さんの邪魔になってるじゃねえか。
「下ろせ」
 俺は気の抜けた声で告げ、ぽんぽんとウサギの手を叩く。
「......」
 被り物をしていて表情のわからぬ篠崎は、俺をゆっくりと下ろした。
「見ました?」
 少し緊張を含んだ声で質問してくる篠崎を無視して、薫さんを見る。
「今日は、帰る」
「え?ゆっくりしてったらいいのに」
「また今度」
「......どうしたの、顔色悪いわよ?」
 ふいに、薫さんが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
 そんなこと、ねえよ。
 ふるふると首を横に振ると、俺はウサギを押しのけて教室を出た。
「待って!」
 篠崎が慌てて追いかけてこようとするが、俺はダッシュで逃げる。
 嫌なもん、見た。
 寒いのに汗が出る。
 知ってる。これは冷や汗だ。
 人がいない場所を探し、先ほどのサークル棟まで走って俺はこけた。
「っ、てぇ......」
 手の平を盛大にすりむく。
 地面に付いた肘も痛い。
 痛くて、反射的に出そうになる涙を堪えて起き上がることで精一杯だった。
 俺だって、志穂ちゃんと腕組むし、薫さんと手だって繋ぐ。
 普通だ普通。あの程度。
 そう思っても、自分に言い聞かせても、ショックなことには変わりなかった。
 最初から行くと言っておけば、良かったんだろうか。
 俺が来ないと思ってたから、あんな風に休憩中に女と腕を組んで見て回っていたんだろうか。
 やべえ。
 すっげえ、へこむ。
 惚れられているとは思う。
 今だって、嫌われたとは思ってない。
 これはあれか、浮気か?
 腕を組んでたのを見ただけで浮気と言えるのか。
 そんなわけないだろう。
 ......でも、嫌なもんは嫌だ。
 ずずっと鼻水をすすって、立ち上がる。
 すりむいた手の平に血が滲んでいた。
 俺、転びすぎ。
 ぺろっとその手の平を舐め、それから近くにあったサークル棟の階段にうずくまる。
 遠くから人のざわつきが聞こえるが、ここは静かだ。
 あれ、わた飴持ってねえ。
 すりむいた手の平をすり合わせ、そんなことを思い出す。
 さっき、薫さんのところに行った時までは持っていた。
 どこかで置いてきたのか。
「......」
 ぎゅっと膝を抱えて、俺はため息をついた。
 乱れた呼吸と鼓動をどうにか平常に戻そうとじっとしていると、人の気配を感じた。
「......」
 膝に顔をうずめていた俺は、がばっと視線を上げる。
 少し離れた位置に立っているのは白い体と愛らしい被り物の、ウサギさん。
 篠崎だ。
 なんとなく、本当に理由もわからないままに、小野が来たんだと思い込んでいた俺は、落胆の表情を浮かべていたに違いない。
「大丈夫だから、薫さんとこ、戻れ」
 声が震えないように気をつけて、更に愛想笑いも付け足して、俺は篠崎に告げる。
 だが篠崎は、無言で俺の脇まで来て、腰を下ろした。
 どっかりと着ぐるみの男が隣に座って、俺の頭を撫でてくる。
 どう慰めてよいのかわからないんだろう。
 俺だって、慰められたくない。
 こんなことで、こんな些細なことでここまで動揺しすぎる自分が悔しい。
「アイツは、俺のことが、す、好きなんだと思う」
 ぽんぽんと無言で撫で続けられるので、俺はぼそっと心のうちを吐露した。
 ウサギ篠崎は手を止め、俺の言葉に耳を傾ける。
「ずっと、俺が思うよりずっと、好きなんだろうなって、思ってた」
 低く小さい声で話すので、もしかしたら聞き取りにくいかもしれない。
 その上、自意識過剰なんじゃねえのって思われても仕方ない内容だ。
 でも、止まらなかった。
「れ、恋愛なんて、したことなかった、から......俺、わからなかった、けど」
 好きって言われて抱きしめられて、キスもされて愛情たくさんもらって。
「もしかしたら、その気持ちに胡坐をかいてたんじゃねえのかって。思った」
 小野が俺を見る瞳があんまりに優しくて、柔らかくてくすぐったいから。
 俺がいないときでも、俺のことを一番に考えて優先してるんじゃねえかと、俺は思っていたんだ。
 俺が嫌がるのをアイツはわかってる筈だから、別の人と腕を組んだりしないって。
 自分は、小野と一緒にいるときでも、別のことを考えていたりすることも、良くあるのに。
「おれ、わがまま、っで......」
 どうしよう。目に水分が集まる。
 顔が熱い。邪魔な雫が落ちる。
 篠崎だってこんなこと言われたって、困るだけだろうに。
 手の甲で涙を拭い、また膝に顔をうずめる。
「俺が、言ったんだ。他の人とももっと付き合えって。俺ばっかり優先するなって。そしたら最近、アイツは俺の前でもケイタイで電話したり、メールする、ようになった。言ったのは俺なんだ」
 きっと、あの腕組みも、付き合いの範囲だ。
 そうに、違いない。
 けど、それからもしかしたらなにか、別の感情が発生したらどうする。
 そこまで、考えなかった。
 ずっとヤツが俺を好きだという、ありもしない保障がされてるものだと思っていた。


←Novel↑Top