11月-5
「俺馬鹿だ」
もう、篠崎に話しかけているというよりも、完全に独りよがりの告白だった。
少し泣いたら落ち着いたので、顔を上げる。
うん。
他の人と腕組んでるの、嫌だって小野に言おう。
前だったら、離れていくのも仕方がないって思っただろうけど、もうアイツを、俺が手放せない。
俺は、小野が好きだ。
ならそれを告げて、愛し愛されるだけの努力をすべきだろう。
「小野、探す。......ありがとう」
慰めてくれて。
ぽすぽすとウサギの頭を叩く。
この着ぐるみのおかげで、人に話してる気がしなくて楽だった。
これが生身の篠崎だったら、絶対ここまで話せねえ俺。
パチッと頬を叩いて気合を入れて、篠崎を見上げる。
「アイツの名前も、ろくに呼んだことねえの、俺。でも努力する」
篠崎に宣言することによって、自らを追い込んでやる。
もしかしたら呆れてるかもしれない。恋人の名前も呼んだことないなんて。
けれど篠崎は何も言わなかった。
「小野。おの。......おの、かずおみ」
もごもごと名前を呼ぶ。咄嗟に呼び止められなかったら、嫌だし。
「かず、おみ」
俺の口が、声が、アイツの名前をなぞる。
「かずおみ......」
うん。呼べる。
「じゃ」
探して名前を呼んでやろうと、俺が立ち上がったときだった。
篠崎に腕を引っ張られて、俺はウサギの着ぐるみに包まれた胸板に閉じ込められる。
「な、」
何するんだという言葉は、ウサギの被り物を取った男によって、封じられた。
押し付けられる唇。俺の唇を舐めて入り込んでくる熱い舌。
俺は驚きで目を見開く。
熱く強い口付けを嫌がって逃れようとする。
手は、男の腕を強く掴んだ。着ぐるみの下にある肌に傷をつけてやろうと爪を立てる。
が、男は俺を強く抱きしめて離さない。
じわっと、また目に涙が滲んだ。
気付かなかった。動揺しすぎだ俺。
ウサギの着ぐるみを着て被り物をした男は、篠崎だと、無意識に思い込んでいた。
考えてみれば、少し腰や肩幅、足元の部分の服がもたついていた。
よくよく見れば、きっとわかったはずなのに。
小野は、和臣は、篠崎ほど身長が、高くない。
「ん、っは、ぁ......!」
キスの呼吸を忘れて、くらくらきていたところでようやく唇が離される。
手に力も入らなかった。
抱きしめられるままに、俺は男に寄りかかる。
「ともあきさん、かわいい」
「死ね」
満面の笑みを浮かべた着ぐるみの男は、紛れもなく小野和臣だった。
「死ね」
もう一度、心の底から思いっきり告げる。
けど、和臣は笑顔を崩さない。
「マジ嬉しい。ともあきさんが、そんなに動揺するとは思ってなかったからさぁ」
ぎゅうぎゅう抱きしめてくる男。
「離せ」
「いてっ」
寄せてくる顔を引っかいて、俺は暴れる。
もう、俺の方が軽く死ねる。
ずっと篠崎だと思っていたのに、コイツだったなんて。
拳を握って顔が緩みっぱなしのヤツを睨みつける。
すると、和臣は少しだけ拘束を緩めた。
ので、遠慮なくその憎たらしい顔を殴りつける。
「ッ」
間近すぎてそれほど力が入らなかったが、それでももろに頬に入った。
痛みに顔を歪めているのを見ても、俺の気持ちは治まらない。
「わ、わざとか?」
「うん。来るかもしれないって思ってたけど、見られてもいいとも思ってた」
だから、わざと女を振り払わなかったのだと言う。
信じられない。
見られてもいいということは、俺のことは、どうでもいいと思っていたのか。
ショックで目の前が眩む。
青ざめた俺の表情を見て、和臣は俺を抱き上げた。
そのまま階段を上がってサークル棟の、篠崎が入った部屋でもない、7月に入った部屋でもない、別の部屋に入っていく。
そこもまた、鍵はかかってなかった。
中に入って鍵を閉めると、和臣は俺を下ろして抱きしめたままキスを繰り返してくる。
「好き。愛してる」
和臣が告げる言葉が、軽々しく聞こえてしまう。
「嫌だ!」
どん、と押しのけてドアに走る。
するとすぐに捕まってしまった。
外に出ようとする俺を背後から羽交い絞めにし、首筋に口付けを落とされる。
ちゅっと吸い上げられたソコに軽い痛みが走る。
跡を残されたのだと知って、俺は和臣を振りほどいて部屋の奥に逃げた。
「ふざけんな!く、来るんじゃねえ!」
窓を背に張りついて、和臣を睨みつける。
くそ。涙がとまらねえ。
手の甲で濡れる頬を擦り、荒い呼吸を飲み込む。
ヤツは黙ってそこに立っていた。
俺を逃がさないつもりなのか、ドアの前に陣取りつつも、俺を捕まえようとする気配はない。
それどころか、やっぱり笑顔なのがムカつく。
手だけ差し出して、「おいで」と呼ぶだけだ。
「俺のこと、好きじゃ、ねえんだろっ」
「なんでそう思うの?俺は、ともあきさんしか愛してないよ」
「じゃ、なんであんなことするんだ!」
「ともあきさんだって、志穂とか薫と手を繋いだり、腕組むだろ。時々怜次にも手を引いてもらったりしてるじゃないか」
淡々と告げられて、俺はぐっと奥歯を噛み締める。
そうだ。俺だって、してる。
コイツを責める理由なんて、これっぽっちもないのだ。
それでも。
「も......しない。他の人とは、くっつかない、から......」
「から?」
「お、小野も、すんなっ」
「なんで?」
ヤツは笑みを深くしながら、更に畳み掛けて尋ねてくる。
何気ない言葉で俺を苦しめる。
俺は、まな板の上の魚のようなものだ。何が棘や刃となって落ちてくるかわからない状態。
和臣にはなんでもないつもりの言葉でも、俺の心に致命傷を与える鋭い凶器に変わる。