10月リクエスト-3


-くもりときどき、雷-



 ジムには、スパーリングの音や激しい息遣いが響いていた。
「ほら、当たってねえぞ」
 ヘッドギアをつけ、向かい合ってスパーリングをする2人はまだ若い。
「っな、ろ......!」
 片方が片方を挑発し、その分スパーリングが激しくなる。
 と、じりりりり、とベルの音が鳴り、2人は打ち合うのをやめた。
「英嗣、右フック遅いんじゃねえか」
「うるせえ。当たってたくせに」
 からかうように言われて、秋月英嗣はヘッドギアを外しながら、親友を睨んだ。
「痛くねえし」
 先にヘッドキアを外していた藤沢昭宏は不敵に笑う。
 2人でリングから降りて汗を拭った。
 英嗣の短く刈り上げた髪の毛、その髪がきらきらと金色に光る。
 一方の昭宏は少し長めの黒髪だ。
 2人とも身体は締まっているが、まだ成長中のために手足や肩の骨格は細い。
「中間テスト、どうだった?」
 自分の使った道具や防具の手入れをしながら昭宏は尋ねる。
 同じように手入れをしていた英嗣は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「聞くな」
「......高校一年の一学期の中間で、そんなこと言うってことはお前......」
「うるせえな」
 同情するような眼差しを向けられて、英嗣は睨み返す。
「勉強はちゃんとしとけよ。英嗣。将来のチャンプが無知じゃシャレにならん」
 ジムを経営する元ボクシングのチャンピオンだったトレーナーにまでそう告げられて、英嗣は肩をすくめた。
「へぇい。んじゃお疲れ様っした」
「っした」
 英嗣と昭宏は頭を下げてジムを後にする。
 どつき合いながら外に出ると、そこには1人の小柄な少年が立っていた。
 茶髪で耳にはピアスが開き、ルーズな格好をしている。
 ぼんやりと立ち尽くしていた少年の足元には、いくつもの吸殻が落ちていた。
 まだ幼さが残る整った顔立ちの少年だ。
「生馬じゃねえか。どうした?」
 英嗣が声をかけると、少年はにっこりと笑った。
「暇だったから。今日はジムの日だったの思い出してさ」
 とことこと2人に近づいてくる。
 170cmに届くかどうかという身長の英嗣と昭宏に対して、生馬は160cm弱だ。
「お前、タバコ吸うのやめろよ。身長伸びねえぞ」
「う。いいじゃん。2人の前では吸わないようにしてんだし。......ってか、押すな!」
 英嗣に頭をぐりぐりと下に押し付けるように撫でられ、身長のことはそれなりに気にしていた生馬は睨んで押しのける。
 すると今度は昭宏がその頭に腕を置いた。
「丁度いい高さなんだよなあ。可哀相にタバコばっかり吸ってるから、生馬はいつまで経ってもおこちゃまなんだよ」
「てめえら俺を馬鹿にしてんのか!?舐めんなよ、親父に頼めばてめえらなんか......!!」
 キャンキャン吼える小型犬のような親友に、2人はにやっと笑う。
「組長さんに俺この間、菓子折り貰った。マジ美味かった。生馬、お礼言っといて」
「あ?英嗣もか?俺も息子をよろしくって黒塗りの車で来られてよ。母さんが物怖じしねえ人でよかったよ。ビビリな父さんは出張中でいなかったし」
「ううう......親父の馬鹿......」
 しゅんと意気込みを失った生馬は、2人にぽんぽんと頭を撫でられても何も言わない。
 真鍋生馬は、この地域一帯を縄張りとする暴力団の息子だ。
 複雑な事情があるらしく、生馬が組長の息子ということは、公然の秘密のようなものになっていた。
 他の人からは避けられていたが、昭宏と英嗣だけは昔から仲が良く、高校も一緒の高校に進学していた。
 3人揃って話しながら、歩き出す。
 目指すは近所にあるコンビニだ。
 空は今にも降り出しそうな空模様だった。
「生馬、お前は中間テストどうだった?」
「聞くな」
 英嗣と同じような答え方をする生馬に、昭宏は呆れたような表情になる。
「揃いも揃って馬鹿どもが。勉強ついていけなくて、留年とか中退とかするんじゃねえぞ」
「だって俺ら、昭宏ほど頭良くねえしなあ......。大体お前に付き合って、今の高校ランク上げしたんだぞ」
 がりがりと金髪の頭を掻く英嗣。
 生馬は素知らぬ顔をしている。
「俺はランクを2つも下げた。さー復習してやろうじゃねえか。中間も勉強見てやればよかったぜ」
「ぎゃ!受験勉強の再来かよ?!お前俺に、高校受かれば勉強しなくていいっていったじゃん!」
「阿呆。騙される方が悪い。......おいどこ行くつもりだ英嗣」
 そっと2人から離れようとした英嗣は、がしっと昭宏に首根っこを捕まれて頬をひくつかせた。
「ま、まあ今日はいいだろ?明日からで」
「お前そう言って逃げるつもりじゃねえだろうな。おい生馬、そこで幽体離脱してんじゃねえ」
 立ち止まっていた生馬の頭を叩いて引き寄せる。
「ううう......。あれ俺未だにトラウマなんだけど。すっげえ怖かったもんアキヒロ」
「俺もだ。なんかあそこまで罵倒されると、人としての尊厳が失われるよな」
 うんうんと頷きあう英嗣と生馬。
 だが生馬はすぐに顔を上げ、きょとんとした表情で英嗣を見る。
「そんげんって、どういう意味?」
「......えっと」
 質問された英嗣は、視線を彷徨わせた。
 咄嗟に、意味が出てこない。
 それを見た生馬が英嗣を指差して笑う。
「わかんねえで使ってたのかよ!エイジばっかでえ!」
「五十歩百歩って言葉を知ってるか生馬。馬鹿が馬鹿を貶してどうする」
 ごつん。
「いっ......」
 昭宏に頭を殴られた生馬は、しくしくと泣きまねをしながら殴られた箇所を押さえていた。
 そんな風に、いつものようにくだらない言い合いをしながら、3人揃ってコンビニに入る。
「俺豚まん。エイジは?」
「俺も。豚まんとピザまん一つずつで」
 英嗣と生馬はレジで中華まんを注文している。
 昭宏と言えば。
「おねーさん、ソフトクリーム3種類一つずつ」
 もう一方のレジでソフトクリームを注文していた。
 金を払い、器用に3つのソフトクリームを受け取っている。
 3人で食べるためではない。全て1人で食べるためだ。
「......あいっかわらず甘いもん好きだな、昭宏は」
「うるせえ」
「それ3つとも食べんのー?」
「当たり前だろ」
 コンビニを出てすぐのところでたむろいながら、3人はそれぞれ手にしたものを食べ始める。
「アキヒロ、一口」
「おう」
 餌をねだる雛鳥のように口を開けた生馬に、ソフトクリームを食べさせる。
「俺も」
「......お前の一口でかいんだよな」
「みみっちいこと言ってんじゃねえよ」
 英嗣にはしぶしぶといった態度で与えていた。
 と、そのときに、ゴロゴロと遠くの方で稲光の音が聞こえた。
 その音を耳にした昭宏は、眉根を寄せて空を見上げる。
 極端にそわそわし出した昭宏に、英嗣と生馬は気にする様子もない。
「智、家にいるのか」
「ああ」
 頷く昭宏は空を見たままだ。
「トモアキ、ちっちゃくて俺大好き。俺よりチビだ」
「馬鹿、小学生と身長比べて喜ぶなよ。......智は、何年生になったんだ?」
 意気揚々と告げる生馬に、英嗣は額を軽く押しながら、昭宏に尋ねた。
「5年生。あの馬鹿、いつまでもおどおどしてやがって、イラつくんだよな」
 言葉はとげとげしい。
 空が光り、雷の音が煩く鳴り響く。
「うっわ、降って来た」
「しばらく雨宿りしてようぜ。どうせ通り雨だ」
 身を縮める生馬の頭を撫でると、英嗣は昭宏を見た。
 空から視線を下ろした昭宏と視線が合う。
「わり。帰る」
「おう。気をつけてな」
「食え」
 半分ほどになったソフトクリームを生馬と英嗣に押し付けて、だんだんと本降りになってきた道路に飛び出す。
「トモアキ、雷苦手なのか?」
 貰ったソフトクリームをぺろぺろ舐めながら、生馬は遠ざかる昭宏を見送る。
「昭宏の様子見てると、そうみたいだな」
「へええ。兄ちゃん孝行だな!」
「......違うと思うぞそれ」
 2人は雨が激しく振る中、コンビニの隅で並んで座っていた。


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