10月リクエスト-4


 大粒の雨が、俺にぶち当たる。
 全身びっしょりだ。肩に担いだスポーツバックも重い。
 苛々した気持ちになりながら、俺は家にたどり着いた。
 鍵を開けて中に入る。
 玄関には、脱ぎ散らかされた小さな靴。
 あの馬鹿......。
「智昭!靴脱ぐときはちゃんと揃えろって言ってんだろうが!」
 家の奥に声を投げかけ、俺はばらついた靴を揃える。
 靴はもちろん、靴下までびしょびしょだ。
 前髪からは水滴が滴り、服も中まで水が滲みている。
「風呂にでも入るか」
 ぼそっと呟いていたときに、ととととと、と軽やかな足音が聞こえた。
「あきひろ!」
 ぼすっと小さな黒い影が俺に抱きついてくる。
「馬鹿、濡れるだろうが」
 俺は頭を小突いて、弟を引き剥がした。
 首根っこを掴んで離すと、智昭は手を伸ばして俺の首に抱きつこうとしてくる。
 平均身長に届かなく、みんな5年生とは信じないような低身長。
 髪はいつもぴんぴん跳ねていて、手足や関節、首は恐ろしく細い。
 親も成長を促すために結構食べさせていたが、こいつは成長不良だった。
「へいき」
 智昭はぱちぱちと瞬きして、俺に手を伸ばしている。
「何が平気だ。離すけどくっつくんじゃねえぞ」
「......」
「返事は?」
「うん」
 しぶしぶというように、智昭は頷いた。
 それを確認してから首根っこを離してやる。
 暗がりで見る弟の黒く大きな瞳は、赤くなっていた。
 更によくよく見てみると、頬も濡れている。
 俺にくっついたせいで、濡れたものじゃない。
「電気つけろ」
 薄暗い室内にそう命令すると、智昭はぷるぷると首を横に振った。
「つかない」
「ああ?......チッ、ブレーカーが落ちたのか」
 廊下を濡らすのが嫌で、その場で服を脱ぐ。
 スポーツバッグに入れていたグローブは、どうにか濡れてはなかった。
 中から出したタオルで大雑把に身体を拭き、玄関を上がる。
「っぎゃ」
 外がピカリと光り、凄まじい音が鳴る。
「ぎゃう」
 光りと音の感覚は、だんだんと短くなっている。
「ふぎ」
 豪雨も更に強くなっているようだ。

「......わかった。来い智昭」

 短く悲鳴を上げては硬直し、俺の真後ろをついて歩く弟に、俺は若干頭痛を感じて呼んだ。
 すぐさま纏わりついてきた弟を抱き上げてやる。
 ぎゅうぎゅう抱きついてきて、鬱陶しかった。
「電気、つけろ」
 震える声で、俺に告げる。
 まだガキだ。学校が終わって帰ってきて、雷が鳴る中で1人でいるのが怖かったんだろう。
 気持ちはわからないでもない。......が。
「兄の俺に命令すんじゃねえよ」
 家の奥に進みながら、俺は智昭の頬を引っ張った。
「ごめんなさいは?」
「ほへへははい」
「よし」
 涙目になりながら謝る弟に機嫌を直して、俺は裏口の傍にあったブレーカーを上げる。
 俺でさえ背伸びしないと届かないんだから、コイツにバーを上げることはできないだろう。
 ......まあ、これを上げれば電気がつくなんてことは、智昭はわからなかったに違いない。
「あかるい」
 ほっとしたらしい智昭。
 先ほどのように悲鳴を上げなくはなったが、煩い音が鳴るたびにビクっと跳ね、首にぎゅっと縋り付いてくる。
 その度に首が絞まって苦しい。
「電気ついたぞ。俺は風呂に入るから、降りろ」
 廊下やリビングの明かりがついていることを確かめて、俺は智昭を下ろそうとする。
 だが、弟は俺の首にくっついたまま離れようとしない。
「一緒にはいる」
「は?俺の後で入れ。俺は1人でゆっくりゆったり風呂に入るんだ」
「俺もあきひろと一緒にはいる」
 最近、この馬鹿は俺の真似をして、一人称を『俺』にした。
 前までは自分のことを呼ぶのもトモだった。
 そして俺のことは『にいちゃん』と呼んでいた。
 英嗣や生馬が俺のことを名前で呼ぶのを聞いていたコイツは、それを真似して名前呼びだ。
 それが気に食わない。
 自動給湯のスイッチを入れ、浴室を確認してからリビングに戻ると、首にくっついたままの智昭を引き剥がしにかかる。
 こんなときばかり、強い力でしがみ付いてくる。
 だが、所詮は子供の力だ。
 あっさりと引き剥がしてやると、智昭はむすっとした表情のまま、俺を睨んできた。
「ふろはいるなら、俺をたおしてゆけ!」
「そうか」
 また変なマンガ読みやがったな。
 俺は呆れながら、パシッと軽くジャブを繰り出した。
「ぎゃ!」
 鼻の頭に拳が当たり、弟は痛みに鼻を押さえる。
 プロレス技をかけてやってもよかったが、時間がかかりすぎる。
 さっさと風呂に入って温まりたかった。
「テレビでもつけて、雷なんか気にするな」
 両手で鼻を押さえている智昭を置いて、俺はさっさと風呂に向かった。



「ふう......」
 冷えた身体に少し熱い湯が心地よい。
 腕を回し、軽くマッサージしながら俺は湯船に浸かっていた。
 浴室の窓からは、ピカッと光る明かりが見える。
 ごろごろと煩いが、俺は別に雷なんて怖くない。
 俺と一緒に入ることを諦めたあの馬鹿は、きっと今頃リビングでテレビの前に座って固まっていることだろう。
 もう小学5年生だ。少しは度胸をつけてやらねえと。
 俺の後ばっかりついて歩いてちゃ、駄目だ。
 少しばかり荒療治だが、これで......
 ふっと考えた瞬間、浴室の明かりが消えた。
「チッ」
 またブレーカー落ちたのか。
 慌てて湯船から出て、身体を拭く。
 タオルを首に引っ掛けて、ジャージの下だけ履いてリビングに向かった。
「智昭!」
「あきひろ!くらい!」
 涙声で俺を呼ぶ声は聞こえるが、姿が見えない。
「おい、動くんじゃねえぞ。今明かりつけるから」
 そう声をかけて、またブレーカーを上げに裏口に向かう。
「ッ」
 足の指が壁に当たって、痛みに動きが止まった。
 思ったよりも、焦っていたらしい。
 が、俺はその痛みを我慢して、時折窓から差し込む雷で光る室内を確認しながら、裏口にたどり着く。
 目を凝らして見たブレーカーは、上がったままだった。
 元々の電気の供給が止まってしまったんだろう。
 すぐさまハンディライトを手にしてリビングに戻る。
「どこにいる?」
 ライトでリビングを照らし、弟の姿を探す。
「あきひろっ」
 途端に、リビングにあったローテーブルの下から出てきた智昭が、俺に飛びついた。
「お前......地震じゃねえんだからテーブルの下にいてどうする」
「もう、やだ」
 絶対離れないというように、必死でしがみ付いてビービー泣く弟の頭を、俺はため息をつきながら撫でた。
 まだ、こいつには、1人は早かったか。
「よし。歌でも歌ってやる。何がいい」
 ソファに座って智昭を膝の上に乗せる。
 だが智昭は首を横に振るばかりだ。
 これは拒絶してんのか。
 かちんときた俺は、弟の髪を掴んで引き上げる。
「......」
 顔を見れば、無言でぼろぼろと泣いていた。
 何も言う気がなくなって背中を撫でてやりながら、俺は優しく抱きしめてやる。
 その状態でしばらくすると、ぐらりと智昭の身体が揺れた。
 顔を覗き込んでみると、目を閉じて小さく口を開けて寝ている。
 雷で怯えていた緊張感が、切れたのだろう。
 チッ......めんどくせえな。
 俺は弟を抱き上げて2階のコイツの部屋に行く。
 離れたらまだ泣き出すのが目に見えてるからだ。
 雷はたまに部屋を照らすが、音はかなり遠ざかっていた。けど、まだ明かりは付かない。
 タオルケットを智昭に乗せて、またリビングに戻る。
 部屋で寝かせてやっても良かったが、もう少ししたらきっと夕飯だ。
 そのときにまた起こすのは面倒だしな。
 リビングのソファに下ろし、タオルケットにくるんでやる。
「......」
 すると、がばりと頭が上がった。
「どうした」
 隣に腰を下ろして見つめると、俺の姿を確認したらしい弟。
 むすっとした表情のまま、身体を寄せて俺の足に頭を乗せる。
「重いぞ。おい」
 足を揺らすが、むずがるだけで頭を下ろそうとしない。
 やがて本格的にすぴすぴ寝息を立て始めた。
 遅れて、ようやくリビングに明かりがつく。
 眩しそうに目を寄せたのを見て、俺はそっと手で瞼を覆ってやった。


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