番外編-15


『今日はともあきさんにすっごくいいもの見せてあげるから、楽しみにしてね』
 珍しく休日に休みが取れたある日。
 そんな期待を持たせるようなメールをもらって、俺は家の玄関でうきうきと靴を履いていた。
 俺は毎日の仕事があるし、和臣は今年卒業だから結構忙しい。
 ニートとコンビニ店員から進歩した俺たちは、少しだけすれ違いの生活をしていた。
 メールは毎日するけど、電話もするけど、なかなか時間が合わなくて会えない。
 基本的に俺の仕事で会えないことが多いから、時間があるときは会いに行くようにしている。
 5日振りだ。
 何して遊ぼう。
「出かけんのか」
 にやにやと1人盛り上がっていると、背後からそんな無粋な声が聞こえた。
 ......ちっ。また邪魔する気か大魔王め。
「ん」
 振り返らずに頷いて、きゅっとスニーカーの紐を締めた俺は、さて立ち上がろうと足の力を入れた。
 が。
「......」
「たまには家で親孝行してやれよ」
 そう言ってのしかかってくる『兄』という子泣きジジイ。
 ずしっと高身長の男に背中に乗っかられて、重い。
「乗るな」
 俺の肩に顎を乗せている兄を睨みつけて、振り落としてやると動くが、ぎゅっと首を腕で絞められて止まる。
 苦しいんだよボケ。じわじわ絞めてくるんじゃねえ。
「ッ......ケホ」
「お兄ちゃん、そのぐらいにしときなさいな。沙紀さん遊びに来るから、トモくんにもいてもらいたいんでしょ」
 咽かけたところで、助け舟を出してくれたのは、ひょいとリビングから顔を覗かせた母だった。
「ちっ」
 舌打ちした兄は、ようやく腕の力を緩める。
 沙紀ちゃんとは遊園地に一緒に行ったときから、結構話すようになった。
 お義姉さんとか、まだ呼べないけど、親しみを込めて『沙紀ちゃん』と呼んだら喜んでくれた。
 沙紀ちゃんと仲良くしてると、兄もなんだか嬉しそうだ。
 そのせいか、兄はよく俺と沙紀ちゃんを会わせようとしていた。
「和臣くんのところ行くの?ならこれ持っていって」
 母はそう言うと一度キッチンスペースに行って、包みを持って戻ってきた。
「タコと里芋の煮っ転がし。多く作っちゃったから」
「うん」
 包みの中身は、母の手料理が入ったタッパーらしい。
 そういやアイツ、美味しいって食べてたもんな。
 ......作り方、今度覚えよう。
 こっそり決意して、手渡された包みを持っていたショルダーバッグに押し込んだ。
 バッグが変な形に変形してしまったが、まあそこは諦めるか。
 兄は不機嫌そうに、俺と母のやり取りを見ていた。
「アイツに食わせるなんてもったいない」
 苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てて、くるっと背を向けてしまう。
 兄にそういう態度を取られると、認めてもらってるんだとわかっていてもなんだか苦しい。
 俯きかけると、母にぽんと肩を叩かれた。
「和臣くんも好き嫌いしないで食べてくれるから、張り合いがあるのよねえ」
 優しく微笑まれて、俺はなんとなく照れてしまう。
 俺が和臣と、一生の付き合いを選んだことを伝えた時、やっぱり両親は驚いていた。
 母からは困惑と動揺が見て取れて、親不孝なことをしたと思った。
 けど、母はやっぱり俺の母だった。
 『慣れるまで、時間はかかるかもしれないけど』と前置きした上で、理解してくれようとしてくれている。
 どちらかといえばネックなのは父の方だった。
 気が弱くて無口、人に流されやすいけど常識人間な父は、同性同士ということを受け入れがたかったらしい。
 表立っての反対はなかったけど、告白を聞いた翌日、仕事休みだったこともあってか、1日寝込んでしまった。
 母は情けないと苦笑したけど、俺は父の気持ちもわかる。
 息子がホモなんて、男親からしてみたらショックだろう。
 でも、別に無視されたりはしなかった。酷く戸惑っていたけど、『お前がそういうなら』と言ってくれた。
 和臣も両親も互いに緊張するから、まだそんなには家には呼べないけど、いつかは家族旅行とか一緒に行けたらいいなと思ってる。
 しょうがないから兄もおまけで連れていってやろう。
 ......まずは金を貯めないとな。
 目標50万と心の中で呟いて、ショルダーバッグを担いだ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 兄は引っ込んでしまったので、母とぎゅうっとハグをしてから、家を出る。
 久々に会えると思うと、足取りも軽かった。
 電車に乗って揺られて、通いなれた道を行く。
 和臣は迎えに行く?と言ってくれるが、俺は毎回丁重にお断りしている。
 こうして向かう時間も、俺には楽しいひと時だ。
 電車を降りて商店街を抜ける。
 マンションにたどり着くと風に煽られて乱れた髪を、俺はエレベーターの窓に反射した自分を見て直した。
 ヤツの部屋にまっすぐ向かって、ドアを開ける。
 チャイムは鳴らさない。
 鍵をもらってるから、それで中に入る。
「かず。来たぞ」
 部屋の奥に声をかけながら靴を脱いでいると、なんか来た。
 茶色の、小さい生き物。
 だだだっと部屋の奥から飛び出してきて、俺の目の前で止まった。
「......」
 黒いくりくりとした目。長い胴にぽてっとした丸い尻、すらっとした黒くて長い尻尾。手足も尻尾と同様に黒い。
 隈取のある顔を見て俺は首を傾げた。
 なんだこいつ。アライグマみてえ。
 にしては小さいなとマジマジ見ていると、今度は和臣が飛び出してきた。
「ど、ドア開いてないよね!?」
 言いながら俺の背後を確認する。
 ちゃんと閉じてるぞ。
「あー......よかった。逃げられたらマジ怒られるし」
 こっくり頷くと、和臣はその生き物をひょいっと片手で抱き上げた。
 ちんまり和臣の手の中に納まっている、それ。
 なんだそれ、おい説明しやがれ。
 ふりふりと揺れる尻尾を、勝手に目が追いかけてしまう。
 そんな俺を見た和臣は、ふっと笑った。
「こんなとこじゃなんだから、中入ろうよ」
 ......おう。
 中に戻る和臣を追いかけて、俺も中へと進む。
 部屋の中には見慣れぬケージと、袋が置いてあった。
 袋の中には餌やおもちゃなどが入っている。
 それはあきらかに小動物のお供の品っぽかった。
「これ、ダチが飼ってるんだけど急に実家に帰らなくちゃいけなくなったらしくて、代わりに預かったんだ」
 抱いてみる?と差し出されて、俺は恐る恐る受け取る。
 なんだこれ。なんだこれ。見たことないぞ。
 可愛いけど何だかわからない生き物。
 俺の腕の中でもぞもぞと動いている。
「これ、何?」
 問いかけると、和臣は驚いたように少し目を見開いた。
「ともあきさん見たことない?それ、フェレットってイタチ科の動物」
 イタチ?
 ひくひくと鼻先を動かしている動物は、フェレットという生き物らしい。
 実に、可愛らしい。
「耳ちっちぇ」
 指先を顔の前に差し出すと、くん、とにおいを嗅いでいる。
 ......人懐こい野郎だなコイツ。
「それでも大人なんだって」
「ふーん」
 和臣の言葉に頷きつつも、俺の視線はフェレットに奪われっぱなしだ。
 それを見た和臣は苦笑する。
「ペット可のマンション住んでるの、飼い主の知り合いだと俺ぐらいしかいなかったらしくてさ。一週間ぐらい預かる予定」
「へえ」
 生返事をしながらソファーの上に下ろすと、フェレットはちょこまかと動き回る。
 それを眺めて、たまにちょっかいを出していると、和臣は胴体を片手で掴んで、ケージに入れてしまった。
 え。もう終わり?
 構い足りない俺が不満そうに見上げると、和臣は俺の手を引いて洗面台へ連れて行く。
「動物触ったから手を洗って」
 ......。
 子供のように言われて、和臣と並んで手を洗う。
 先に洗い終わった和臣が手を拭くと、ぎゅっと俺に抱きついてきた。
 ちょ、お前俺まだ泡が......。
 洗い終えてない俺が邪険にし掛けると、さらにヤツは力を込めてきた。
「5日振りだよともあきさん。俺の方を先に構って」
 こめかみ辺りに唇を押し付けられる。
 お、お前があんなもん先に見せるのがいけねえんじゃねえか。
 ぐりぐりと甘えてくる大型犬。
 泡を洗い流してタオルを手に取ると、そのタオルで丁寧に手を拭かれた。
 拭き終わった俺の手に、唇を寄せる。
 指の腹が和臣の唇に当たった。
「今日は手、そんなに冷たくないね」
 目を細めて、甘ったるい声で言われる。
 手の体温で俺の調子を測るのは止めろ。
「そんなこと、ねえよ。......冷たいから」
 あたためやがれ。
 ぎゅっと指を絡ませると、俺の心を読んだ男はぎゅっと握ってきた。
 部屋の中で2人きりなのに、何だか照れる。
 手を繋ぎながらリビングに戻ると、かたかたとケージが揺れていた。
 中で勢い良く一人遊びをしているフェレット。
 やべ、犬みたいに尻尾追いかけたりするのか。
 そっちに気を取られていると、ぐいっと手を引かれた。


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