番外編-16


「ともあきさん」
 少し、むすっとした拗ねた表情の和臣。
 てめえがそんな顔しても可愛くねえぞ。
「お前、俺を喜ばそうとしたんじゃ、ねえのか。『すごくいいもの』って、あれだろ?」
 2人でソファーに座りながら尋ねる。
 すると、俺を足の間に挟んで後ろからぎゅっと抱きついてきた男は、大きくため息をついた。
「そうだけど......やっぱ、俺以外にともあきさんの気が向くのが嫌だ」
 どんだけ独占欲強いんだなんだお前。
 ぬけぬけと告げた和臣に、思わず笑ってしまう。
「笑うことねえだろ?もー俺は、ともあきさんにめろめろなんですってば」
「ばか」
 抱きしめられて、首筋に軽くちゅっと口付けが落とされる。
 何度も同じところにキスをするから、むず痒い。
「かず」
 短く呼びかけると、和臣は視線を上げた。
 ここは、しなくて良いのか。
 ちょんと自分の唇を指で示す。
 すると、和臣はにやっと笑った。
 少し意地の悪い笑み。
「キスしたいって言えば良いのに」
「したいのは、てめえだろう」
「うん」
 素直に頷くばかに、俺も素直になることにした。
「......キスした......っ」
 したい、と言い切る前に重ねられる唇。
 軽く啄ばんで、何度も合わせてくる。
 和臣は唇を舐めただけで、舌は入れてこなかった。
 ......それを物足りないと思ってしまった俺は、ちょっとアレかもしれない。
 物足りないとは思ったけど、触れ合うだけのキスは気持ちがいい。
 気分がふわふわしてきた。
「ん......」
 こつんと額をくっつけて見つめると、柔らかい光を点す瞳に見返される。
 くすぐったい視線に目を閉じて少し笑うと、改めてぎゅっと抱きしめられた。
「あーたまんねえ」
 俺を抱いたままそんなことを口にする和臣。
 なに、と視線で問いかけると、「可愛すぎてたまんない」と返事が戻ってきた。
 ......。
「はいはい」
 コイツの目がおかしいのはいつものことだから、軽くあしらって立ち上がる。
「ともあきさん?」
「のど渇いた」
 そう答えて、勝手知ったるキッチンスペースに向かう。
 コーヒーでも飲もうかとコーヒーメーカーを取り出していると、和臣が付いてきた。
 2人分をセットしていると、和臣がのしかかって重い。
 コイツといい兄といい、俺に乗っかってくるのは止めて欲しい。
 首に回された男らしい大きな手は、俺の髪の毛をつんつんと引っ張ったり、優しく撫でたりしていた。
「髪伸びてきたねーこことか跳ねてるよ」
「そろそろ、切る」
 コトコトとコーヒーの落ちる音。
 べったりとくっ付いた男は、耳の下にちゅっと軽く吸い付く。
 和臣は、跡が残らない程度の口付けを仕掛けてくるのが多かった。
「そうなの?んじゃ今のうちにいっぱい触っとこう」
「いや、邪魔だから」
 そろそろ落ち着けお前。
 纏わり付かれるのが鬱陶しく感じられてきた俺は、和臣を押しのけてカップを用意する。
 俺はブラック。甘ったるいのが嫌いだから、シュガーはなし。
 和臣の分はミルクを入れて完成だ。
 コーヒーの入ったカップを持って戻ろうとしたら、和臣に奪われた。
「俺持っていくよ」
「ん」
 それなら、とメーカーを片付けて戻る。
 ソファーに座った和臣に寄りかかるようにして座って、熱いコーヒーを息を吹きかけて冷ました。
「そういや、資格取れそう?」
「ああ」
 勉強していたヘルパーの資格は、講習時間も含めれば後もう少しで取れそうだった。
 資格を取れば出来る仕事の幅も広がるから、俺にしては珍しく頑張ってる。
 大学在籍時と違って、目標を持って勉強してるからか、勉強が楽しいと思える自分が嬉しかった。
「そうなんだ。俺も先生の資格は取れそうだけど、もういっこ取りたい資格あるんだ。そっちが大変なんだよね~」
 そう言って、和臣はため息をついた。
 ん?
「お前が、先生?」
「あ、なんだよその顔。俺結構教えるの得意なんだぜ」
 聞けば、和臣の通ってる科は、工業高校系の教師になれる資格を取得できるらしい。
 知らなかった。
 でもコイツが高校の先生になるとか想像がつかない。
 そう言うと、俺もだと真面目な顔で返された。
「俺、バリバリに稼いで一戸建て買うから。ペットとか飼おう。ともあきさん何がいい?」
 にこにこと将来設計を語られる。
 ......少し、こそばゆい。
「お前ちゃんと、世話できんのか」
「うん。2人で飼えば大丈夫でしょ」
 それこそフェレットとか、と和臣がケージを指差した。
 さっきまでケージが揺れるほど走り回っていたフェレットは、今では静かだ。
 カップを置いて近づいて中を覗き込んでみると、ハンモックの上で寝ているようだった。
 うん。可愛い。
「犬とか猫もいいけどな」
「鳥、とか」
「熱帯魚とかもいいかも。......水槽の掃除大変かなあ」
 2人でしばらくケージを眺めて、ペット談義に花を咲かせる。
 それからフェレットが起きたところで和臣はケージの掃除を始めた。
 その間、和臣の邪魔が入らずにフェレットと存分に遊ぶ。
 名前はリンタくんだと聞いた。
 頭が良くて、名前を呼ぶと反応してくれる。
 歩くとつま先に噛み付いてこようとするのも可愛い。
 腹を擽ったり、おもちゃで遊んでいたりすると、あっという間に時間が過ぎた。
「そろそろ帰る」
 名残惜しい気はするが、今日の分の勉強をしてない。
 帰って勉強しようと立ち上がると、リンタくんを抱いて和臣も立ち上がった。
「もうそんな時間か」
 心底寂しいと言わんばかりに眉尻を下げる和臣。
 最近は一緒にいれる時間はあまり長くない。
 けど、和臣はわがままを言ったりしなかった。
 玄関で座ってスニーカーを履く。
「寂しいから、今日は一緒に寝よっか、リンタくん」
 玄関まで見送りに来た和臣が、リンタくんを抱きしめてそんなことを呟く。
 その言葉を聞いた俺は、思わず振り返って和臣を見た。
「そっか、お前俺と寝てくれるか。よしよしいい子だなあ」
 一方的な会話を仕掛けて、和臣はリンタくんの頬に唇を寄せる、仕草をした。
 それを見た俺の行動は、いつになく迅速だったに違いない。
 リンタくんを抱く和臣の手を押しのけて遠ざけて、柔らかな毛にうずめるはずだった唇に、俺の唇を重ねる。
「......ええ?」
 唇が外れると、和臣は間の抜けた声を漏らした。
「どうしたの急に」
「......」
 じっと、和臣を見上げる。
 俺の表情から意図が読み取れなかったのか、和臣は困ったように眉根を寄せた。
 和臣の手にはじたばたと暴れるリンタくん。
 それを見て、俺は口を開いた。
 動物でも連れ込むんじゃねえよ。

「お前のベッドで寝るのは、俺だけに、して」

 言い切ってから、俺ははっと気付いた。
 リンタくんは預かりもののペットだ。
 いくらなんでも、『一緒に寝る』というのは冗談だろう。
 途端に、自分が取った大人気ない行動に羞恥心が込みあがる。
「あ、ごめ、今の、な......ッ」
 取り消そうとした俺の唇を、和臣は塞いだ。
「んっ、んん......」
 壁に押し付けられるように激しいキス。
 舌に舌を絡め取られて、力が抜ける。
 ずるずると床に座り込む俺を追いかけて、和臣が覆いかぶさる。
 視線の端で、和臣が手放したリンタくんが廊下を走っていくのが見えた。
「は、ぁっ......」
 上がってしまった呼吸。
 覆いかぶさる男を見つめる。
 和臣は閉じていた目を開いて、まっすぐに俺を見た。
「じゃ一緒に寝て。ともあきさん」
 言うが早いか、俺を抱き上げようとする。
 俺は手を突っぱねて阻止した。
「だ、めだ......かえらない、と、俺」
 明日だって仕事があるし、勉強だってある。
 家の手伝いだってしたい。
「もう少しだけ、......ね?」
 押しのけようとする俺の手を掴んで、和臣は俺の首筋に顔をうずめた。
 吐息が、鎖骨に掛かる。
 熱い手は、離さないというように、ぎゅうっと俺の手をそれぞれ握っていた。
 ......そりゃ、俺だって、一緒にいたくない、わけじゃない。
 というか、いたいんだけど......。
 こげ茶の頭を見下ろし、少し考える。
 コイツ、俺の気持ちを読んで、わがままを言ってくれたのか。
 俺が自分から、いたいって言えないのを察してくれたのか。
「じゃ......もう少し、だけ」
 掠れた声で告げると、和臣はがばっと顔を上げた。
 顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「ほんと?!やった!」
「うわっ!!」
 急に与えられる浮遊感。
 和臣が俺を抱き上げたのだ。
 不安定な状態に驚いた俺は和臣に抱きつく。
「おま、おどろかす、な!」
「うんごめん」
 あっさりとしたあまり反省の色が見えない謝り方だった。
 文句を言おうと口を開くが、和臣が動いたせいで口を閉じる。
 和臣は俺を抱いたまま、ダダダッと廊下とリビングを突き抜けて、寝室に連れ込んだ。
 セミダブルのベッドに優しく下ろされる。
 強引な割りに、端端の行動はやけに丁寧だ。
「俺リンタくん見つけてケージ入れてくるから!ともあきさん動いちゃ駄目だから!絶対添い寝してよ?!」
「......」
 力いっぱい言い切った和臣は、そのまま部屋を出て行った。
 残った俺は、あっけに取られるしかない。
 アイツ、そんなに俺と添い寝したかったのか。
 そう思うと途端に笑いが込み上げる。
 笑ったまま、ごそごそとヤツの匂いのする布団の中に潜り込んだ。
 どたばたと走り回る音。捕まえられないのか、すぐには戻ってこない。
 早くしろよ。俺、本気で寝るぞ。
 思いのほか心地よいベッドの感触にそう思って、俺は目を閉じた。


←Novel↑Top