番外編-30~蜜月~



 昼間は日差しがあって暖かかったが、日が落ちてから急に冷えた夜道。
 俺は手元の携帯を眺めて、にやけそうになる頬を引き締めて家路を急いでいた。
 普段そうそう雑談なんて振ってくれないともあきさんが、近頃続いていた残業のせいか今朝は『今日は早く帰ってこれる?』なんて上目遣いで聞いてきたもんだから、もう今までにないスピードで仕事をやり抜いてきてしまった。
 会社で散々のろけていたせいかさらなる残業を言いつかることもなく、商店街がまだぎりぎり開いている8時前に最寄り駅まで帰ってこれた。
 今日の夕飯はともあきさんがロールキャベツを作ってくれているらしい。......やばい、思い出したらよだれが出そう。
 帰ったら迎えてくれる人がいて、一緒にご飯を食べれる幸せったらない。帰り着く時間は電車の中でメールをしておいたから、それに合わせて温かいご飯が出てくるだろう。
 結局緩まりまくった表情のまま、俺は家にたどり着いた。
「ただいまー!」
 玄関に入った途端、手を広げる。もうこの時点で満面の笑みだ。
 俺の声が聞こえたのか、ともあきさんがそろそろと出てくる。珍しく部屋着じゃなくてジーンズにロングTシャツという出で立ちだ。大きい黒目でぱちりと瞬きをして、俺を見上げてくるともあきさん。
 ああ、やっぱり跳ねてる髪も愛おしい。少し長くなってきたからそろそろカットの時期かもしれない。
 今週末の休みは合う。出かける予定はあるけど、時間を作ってもらってその日にでも切ってあげよう。なんて考えていた俺は、ともあきさんが廊下の途中で歩みを止めたことに気付いて、わきわきと手を動かした。
 『ハグ』はともあきさんちの実家の習慣だが、俺も大好きだ。なんたって堂々とともあきさんに抱きつける。もっとも、軽く抱き合うハグじゃなくて俺の場合は抱擁だから、時折ともあきさんに逃げられてしまうのも事実だが。
 でも抱きつく前から動きを止められるのはほとんどない。
「どうしたの?」
 今更嫌なんて言われたら今すぐ泣く自信がある。が、ともあきさんはそんなこと言わないはず......。
 俺はじっとともあきさんの様子を伺った。
 視線が床に落ち、それからちろりと見上げてくる。片足の爪先で床板をなぞって、唇は真一文字に結んだままだ。どこか躊躇いを含んだ眼差し。
 ううん?なにか相談したいことでもあるのかな。
 無口なともあきさんは、表情で良く語る。
 今は、俺になにか言いたいことがあるんだろうけど、それを言っていいものか悩んでるんだ。俺、基本的にともあきさんにお願いされたら大抵のことは言うこと聞くから、そんな俺に遠慮してる部分もあるんだろう。
 ちょっと実現しにくいことか、俺が嫌がりそうなことなのかも。
 そうちらっと思ったが、俺自身の気持ちなんて二の次だ。結局、ともあきさんがどんなことしたってやっぱり『大好き』を再認識するだけの俺は、手を広げたまま器用に足で靴を脱いでともあきさんに走り寄った。
「っ」
「ただいま」
 動揺したともあきさんが逃げる前に、腕の中に捉えてキツくない程度に、でも抜け出せない強さで抱きしめる。
 風呂はまだなのか、ともあきさんの匂いがして首筋にぐりぐりと鼻を押し付けた。
「はな、せよっ」
 俺の仕草に驚いたのか、ともあきさんが慌てて俺の胸板を押す。その手を掴んで顔を逸らそうとしているともあきさんの鼻の頭にキスをした。すると、俺の手を振りほどいて両手で俺の口を塞ぐ。
 むすっとした表情の中にある恥らい。
 未だにキスで照れるんだもん可愛いなあ。
 手のひらでも舐めてやろうかと思ってるとすぐさま離された。
 っち。ともあきさんもだんだん俺の思考を読むようになってきたなあ。まあしょうがない。
 このまま、ここでイチャイチャするもの悪くはないんだけど、ともあきさんが俺のために(ここ重要ね)作ってくれた夕食が冷めるのは忍びないし、躊躇してる原因が俺なら、取り除いてやるのが役目だろ。
「ともあきさんがしたいんなら、俺はいいよ」
「......ほんとう?」
「もちろん」
「ありがとう」
 俺が深く頷くと、柔らかな微笑みを浮かべてくれた。その笑顔が見れただけでも癒される。
 そっと腰に手を伸ばそうとするけど、ともあきさんは走って部屋の中に戻ってしまった。
 追いかけて部屋に入ると、ともあきさんが誰かに電話をかけている。
「お疲れ様です。......はい、さっきのことですが、次の休みの交換、大丈夫です。......ああ、いえ、大した用事じゃなかった、ので」
 ......へっ。
 ともあきさんの口調と、内容からそれが今ともあきさんの戸惑いを生んでいた原因だってことに気付いて頬がひきつった。
 休みの日が合う日は、月に一度あるかないか、一年で考えれば10回ぐらい。そのぐらいしかない、少ない日。
 毎日一緒にいるけど、俺がその日を楽しみにしてるのはともあきさんも知ってる。
 ともあきさん自身も楽しみにしてるはずだけど、同僚に頼まれた上に、俺がいいって答えたから電話したのか。
 思わずがっくりと膝を付いてしまった俺に、電話を終えたともあきさんがゆっくり近づいてきてしゃがみ込む。
 ハの字になった眉と口元の微笑。内容を詳しく聞かないで頷いた俺も迂闊だったけど......あああ、もうこれ確信犯じゃん。
「ごはん、食べよ?」
 なんて困ったような表情で誘ってくるから、俺は頷くことしか出来なかった。
 ちょっと、いやかなり落胆した夕食。ともあきさんが待っていてくれたから二人で食べるけど、やっぱりショックが長引いている。
 心なしか会話も弾まなくて落ち込み気味の俺に、珍しくともあきさんの方から会話を振ってくれた。
「かずって、温泉好き?」
「好きだよ。長風呂とか気持ちいいよね」
「そか。俺も好き」
 唐突な会話は今に始まったことじゃないから普通に返事して食後。ソファーに座っていた俺はともあきさんを抱きしめて、気分の上昇を図っていた。二人で揃ってテレビを見ていたが、終わった頃にともあきさんが立ち上がる。
「ん」
 追いすがろうとした所で、側に転がっていたクッションを押し付けられた。付いて来ないでそこで待ってろ、の合図。
 まあずっとぎゅっとくっついていると鬱陶しいとは思うんだ俺も。だけどやっぱ我慢出来ないんだよなあ......。
 薫のやつなんか、俺なんかよりもよっぽどともあきさんと時間が合うらしくて、外で飯食べたりとかしてる。ああ羨ましい。
 その時間を旦那に当てろって八つ当たりしたら、どんだけ一緒にいたいんだよって呆れられた。......はあ。
 ともあきさん替わりにクッションをぎゅうぎゅう抱きしめていると、ともあきさんが戻ってきた。抱きしめたくてクッションを放り投げて空間を作る。が、ともあきさんは俺の腕の中には来ずに、その場で正座になった。
 きりっとした真面目な表情に、俺がベタベタしすぎたかと慌ててソファーを下りて向かうように正座になる。
 すると、ともあきさんは両手でずずいっと通帳を差し出してきた。
「何、通帳?」
 名義は藤沢智昭。......ともあきさんの通帳だ。
 俺とともあきさんは一緒に暮らしているが、必要な費用と共通の貯蓄分だけ一定金額互いに出して一緒にしておいて、それ以外は個々人で管理するようにしている。
 それを差し出してきたということは、見ろというのだろう。いくら一緒に暮らしててベッタリな自覚がある俺でも、ともあきさんの通帳を見るのは気が引ける。
「ん」
 俺が戸惑っていると、手に通帳を押し付けられた。しかたなく広げて中を確認する。こつこつ貯めたんだろう、意外に多い金額が記載されていた。ヘルパーの給料はけして高くないから、結構切り詰めて貯めたに違いない。
「旅行、行こ」
「えっ?」
 その金額を見ていた俺は、ともあきさんの口から出た言葉に顔を上げる。
 正座をしたまま、ともあきさんは照れたように首を竦めた。
「休み交換したから、再来週、三連休、なんだ。二泊三日で、旅行。.........だめ?」
 頬は赤く染まっていて、無意識にだろう俺を見る眼差しが甘い。俺は咄嗟にともあきさんの両手を握った。
「駄目なわけない。俺も半分金出させて。二人で旅行なんて全然なかったから嬉しいよ、ともあきさん」
 握った手にキスを落として微笑みかけると、ともあきさんは少しだけ目を伏せた。
「その、......俺の、両親も連れていきたい、んだけど......」
 迷惑を散々かけたから、親孝行したいという。ぼそぼそと言葉を紡ぐともあきさんに、俺は息を詰めた。
 俺はいいけど、それはともあきさんのご両親の方が躊躇するんじゃないか?
 お二人とも優しくて俺のことは認めてくれているけど、それでもやっぱり顔を合わせるとまだぎこちない態度だ。そんな状態だから、俺が混ざるよりも三人で行ったほうが気兼ねなく羽を伸ばせるんじゃないか。
 そう思ったからそれをそのまま伝える。
「それならともあきさんがご両親と行ったらいいんじゃないかな。ほら、家族水入らずで。っ」
 途端に、俺の手がつねられた。黒い瞳でまっすぐに見つめられる。
 ......あ、なんか、怒ってる?
「お前も家族だろう。常日頃俺にあれだけベッタリしておいて、どうしてここで引くんだ。いいか、今更拒否しようってったって許さないからな。俺の親はお前の親でのあるんだから、親孝行しろ」
 感情の高ぶりが一定ラインに達すると、なめらかに話しだすともあきさん。きっぱり言い切ったともあきさんは格好いい。
 この辺りの言い回しはなんか先生......昭宏さんとそっくりなんだよな。不思議なことに、先生になにか言われてもどうとも思わないのに、ともあきさんに言われると惚れぼれしちまう。
 真摯な表情にも見蕩れていたら、不意に愛しい人の瞳が潤んだ。
「.........俺が、お前に無茶なことばっかり、言ってるのはわかってる......おま、おまえが、俺のおやと、あんまり、なかよくしない、りゆう、も......わかるけど、俺は、お前も親も、放せないから......」
「ともあきさん......」
 くそ、なんでこの人はこんなに......。
 堪らず抱きしめる。同性同士だってことを、俺が引け目に感じていることを敏感に感じ取ってるんだ。俺がともあきさんと一緒にいるのはそんな顔をさせるためじゃない。
「わかってる。ごめんともあきさん。俺も一緒に行くから、そんな顔しないで。ご両親には、このことまだ伝えてないんだよね?」
「......ん」
 こくんと頷いたともあきさんの顔を両手ですくい上げる。
「じゃあ予定入れられる前に伝えないと。目一杯予定立てて楽しい旅行にしよう。ね、ともあきさん」
「ん。.........恥ずい」
 目元を指で擦った智昭さんは、照れ隠しに起こったような表情でぼやく。擦ったことで赤くなった眼尻にもキスを落として、俺はこつんと額をともあきさんの額に当てた。
「可愛かったよ、半泣きのともあきさん」
「うるせ」
 顔を逸らしたともあきさんを追いかけてその唇を塞ぐ。
 嫌がられるかと思ったけど、智昭さんは俺の首に腕を回して甘い吐息を零した。


←Novel↑Top