9月リクエスト-17


 月曜日に出社してみると、高橋は来ていなかった。
「課長?今日まで中国で、明日移動日だから、出社しても明後日だと思うわ」
「そっか。わかった。ありがと沙紀」
 やつの課の営業補佐である沙紀を捕まえて、いつ来るかを尋ねると彼女は軽く首を傾げながら答えた。
「珍しいわね。昭宏が課長のこと気にするなんて」
「ちょっと用があってな」
 言葉を濁して、にっこりと笑みを浮かべてると、「早川さん」と沙紀が呼ばれた。
「行かなきゃ、じゃあね藤沢さん」
「ああ。お互い仕事を頑張るか早川さん」
 付き合い始めた当時のように、苗字で呼び合って別れる。
 笑顔の彼女は、眩しくていとおしく感じられた。
 今までにないぐらい、フィーリングも合う。
 しばらく、沙紀の後姿を俺は見送った。
 しっかし......。
 ちくしょう。こんなときにあの男は出張か。
 貼り合わせた名刺は弟に返したが、それだけでは俺の気がすまない。
 仕事と割り切れば謝罪も土下座も出来るが、家族、とくに弟にはプライドが邪魔をする。
 ならば俺の出来る謝罪をするだけだ。
 俺は二日間、じりじりと焦燥感に駆られながら仕事をこなしていた。


 その日、高橋は朝から直行で外回りに出かけ、午後に一度戻ってきた。
 沙紀からスケジュールを聞いていた俺は、同じタイミングを見計らって社内で書類処理を行っていた。
 男が通るだけで、社内の空気ががらりと変わる。
 営業の最前線で生きている男だ。その緊張感は悔しいが俺にはまだ出せない。
「お疲れ様です高橋課長。中国の工場はどうでした?」
「おや、主任」
 にっこりと話しかけた俺に、高橋はやや驚いたような表情を見せた。
 その反応はもっともだ。俺から話しかけることなど、仕事の用件以外ではほとんどない。
「いつもの通りだ。たまに電力の供給が不安定になるのがいただけないがね。あともう少し、一人一人の品質意識が向上すればいいんだが」
「それぞれ国民性が出ますからね海外は。日本やアメリカレベルまで品質が上がるのは難しい」
 日本は、製品の外側のパッケージ、はては輸送に使うダンボールまで『製品』の一部だ。外側のダンボールに傷があれば、それは『不良品』になったりする場合がある。
「まあ、中国は急成長してる最中だから、いろいろ追いついていないところは若干目を瞑るしかないがね」
「そうですね」
 にっこり。
 俺が笑みを浮かべたまま、そばに立っていると、高橋は少し笑った。
「付き合うか?」
「はい」
 ポケットからタバコを出して見せた男に、俺はしっかりと頷いた。
 営業部のそばにある喫煙所ではなく、会議室だけの階層にある喫煙所。
 そこで二人でタバコを銜える。
 無言だ。
 大抵はこういういときに雑談を交わして情報交換なんかをするものだが、この男と余計な会話はしたくない。
「で、私になにか言いたいことでもあるのか」
 一本のタバコを吸いきり、高橋から話を切り出してきた。
 薄く笑みの浮かぶ口元。余裕がある態度が気に障る。
 が、俺は笑顔の下に不機嫌を押し込んで、口を開いた。
「弟に、名刺を渡しませんでしたか?」
「弟?」
 高橋は意味がわからないというように、わずかに首を傾げる。
 俺にあてつけるために渡したくせに。
 そう思うと自然と表情が険しくなるのを止められない。
「倉庫で先週末、渡したはずです」
「先週末......ああ、あれか」
 ようやく思い出した、という表情もまた、俺の勘に障る。
 わざとらしい。
 じろりとねめつけると、高橋は軽く頭を掻いた。
「何が営業に繋がるかわからないからね。関係なさそうな場合でも、一度会った人には名刺を渡すようにしている。......彼が君の弟さんだとは知らなかった」
 ......なんだと。
 俺は高橋の答えに、固まってしまう。
 では、こいつはただ純粋に、名刺を弟に渡しただけだったのか。
 とくに裏もなしに。
 勝手に深読みした俺が、自分勝手な感情のままあいつを傷つけたのか。
「藤沢主任?」
「え。ああ、そうだったんですか」
 声をかけられて、俺はぎこちなく新しいタバコに火を付けた。
「でも、考えてみれば......良く似ているね。雰囲気はまったく違うが、顔のパーツは一緒だ」
「......似ていない兄弟とは、よく言われます」
 俺と弟とでは、まるで違う。
 なのに、似ているという人間がいるとは思わなかった。
「営業には不向きそうだが、仕事風景を見た限りでは実直で良い。確実な仕事をしてくれそうだ」
 俺のことは、難癖だけつけて褒めることがない男が、智昭のことをそう評価する。
 弟のことながら、なにやら歓喜がじんわり沸き起こった。
「あまり協調性のある性格はしていませんが、真面目だし曲がったことはしないんです」
「うん。それで?」
「細かいことにもよく気付く子で......」
 そこまで言って、俺ははっとした。

 俺は、この男に、何を言っている。

 俺が自分を取り戻したことに、高橋も気付いたようだ。
「なんだ、良い顔して話していたのに。続きは?」
 形の良い目を細めて促してくる。
「こ、こんな話を聞いても楽しくないでしょう!」
「十分楽しいよ」
「いえ、課長をくだらない話に付き合わせるわけにはいきませんから」
 にっこりと笑みを浮かべて、それ以上踏み込ませないようにすると、高橋は軽く肩をすくめた。
「残念だ。......では会議で使う資料を作りに行くか」
「あ!」
 喫煙所から足を踏み出した男に、俺は声を上げる。

「どうした?」
 高橋は足を止めて振り返った。
「名刺、を俺にもくれませんか?」
「......俺の名刺を?」
「はい」
 変なことを言っているのは十分承知だ。
 それでも俺は名刺をこいつから貰わなければならない。
 弟に、智昭に渡してやらなければ俺の気がすまないのだ。
 俺が欲しいわけじゃない。そう言い聞かせて、相手の反応を伺う。


←Novel↑Top