9月-5


 身体のだるい倦怠感は抜けないけど、筋肉痛になることはなくなった。
 3、4日同じことを繰り返していると、人間慣れてくるものらしい。
 栗林さんの時折向けられる冷たい視線にも、まだちょっとビクつくけど、前ほど酷くはなかった。
 ......そして相変わらず俺は、動作が遅い。
 ため息が出そうになるが、作業している間は意識を集中していようと気合を入れた。
 もう少しで昼休み。
 一息つくのは、そのときだ。
「いた!」
 一度梱包されていた箱を開けていた女性から声が上がった。
 カッターでテープを切っているのだが、それで指を切ったらしい。
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
 心配する他の作業員に対してひらひらと手を振ってみせる女性。
「気をつけてね」
 栗林さんもそう声をかけるが、あんまり心配している様子ではない。
 むしろ作業が中断されたことに苛立っているようだ。
 その気配を感じたのか、みんなすぐに作業に戻る。
 指を切った女性も、そのまま作業に入ろうとしていたので、俺はポケットに入れていた絆創膏を、ティッシュと一緒に差し出した。
 よくこけることの多い俺には、絆創膏は手放せない。
 それが役に立った。
「ばい菌、はいるよ」
「......ありがとう」
 おそらく、俺が初めて積極的に動いた瞬間だ。
 切り傷って結構痛いしな。
 受け取ったのを見て、栗林さんに睨まれないうちにすぐに作業に戻る。
 視線は向けられたが、特に何も言われなかったことにほっとして、残りの作業を続けた。

 待ちに待った昼休み。
 俺は弁当を手に、倉庫の外に向かう。
「藤沢くん」
 と、出入り口のところで、名を呼ばれた。
 振り返ると、先ほど絆創膏を渡した女性だ。
 茶髪を一つにお団子に纏めた、明るい表情の女性。
 名前を名乗る暇もなかったのに、この人なんで知っているんだろう俺の名前。
 俺はもちろん、この女性の名前は知らない。
 不思議に思って首を傾げていると、ぴんと人差し指を見せられた。
「さっきは、ありがとう。結構血が多く出たから、助かっちゃった」
 はい、とポケットティッシュの残りを手渡してくる。
 いえいえ。どういたしまして。
 俺が無言で受け取ると、手招きをされた。
「ちょっと、来て」
 呼ばれるままに、作業していた場所に戻る。
 明かりが消されて薄暗いが、それでも昼間だから窓から差し込む明かりで、周囲は見える。
「藤沢くん、部品の持ち方変だよ。こう持ってやれば、......ほら、早く検査できるよ」
「......」
 なんと。
 この女性は、目の前で一番時間のかからないやり方を教えてくれた。
 やってみて、と言われて女性の方法で手を動かすと、確かに早い。
 目から鱗だ。
「気付かなかった」
「うん。どうしてあんな変なやり方してるんだろうねって、みんなで話してた。......ごめんね教えてあげられなくて」
 申し訳なさそうに謝られて、俺は慌てて首を横に振る。
「ありがとう」
 笑顔で礼を口にすると、女性は少し困った表情を浮かべる。
「本当なら、手順教えてから始めるはずなんだけど、ね。栗林さんどうして教えなかったんだろう」
 彼女が、本当なら教えてくれるはずなんだとその女性に教えてもらった。
 ごはんを食べるから、と離れる女性を見送って、俺はぼんやり倉庫の外に向かう。
 ......なんか、気に食わないことしたか俺。
 でも最初に会ったときから、ツンツンしてたよなあの人。
 頭を捻っても、俺には良くわからなかった。
 クエッションマークで脳みそをいっぱいにしながら飯を食べていると、飲み物を持ってくるのを忘れたことに気付いた。
 倉庫内には、有料の自販機と無料で飲めるお茶と、水と白湯が飲める機械が置いてある。
 お茶を貰いに行こうと、俺は弁当を置いて中に戻った。
 喫煙所の傍にある飲料水の機械の前で、紙コップにお茶を入れていると、隣に誰かが立った。
 その人は自販機でコーヒーを買っている。
 倉庫内で大体会う人は作業服を着ていたり、俺みたいにTシャツにジーンズとかラフな格好ばかりだったので、その人はちょっと人目を引いた。
 なんてったって、スーツだったから。
 しかも身長も高いし、肩幅もある。こっそり伺い見た横顔もなんか男前だ。
 兄よりも......なんかかっこいいな。
 と、急にその人が俺を見た。
 うお、やべえ。見てたのバレた?
「こんにちは」
 気まずくなって視線を逸らそうとしたところで、微笑んで挨拶されてしまう。
 声も渋くてカッコいい。神様って人間の作り方が不公平だ。
「......こんにちは」
 ぺこっと頭を下げて、すぐにその場を離れようとすると、更に声を掛けられる。
「派遣の子だね。納期が詰まってるから、急かされて大変だろう。ご苦労様」
 どうやらこの男は、俺が何の仕事をしているか知っているらしい。
「君たちが一つ一つ丁寧に確認してくれるおかげで、私たちも仕事がしやすい。ありがとう」
 思わず、見上げてしまった。
 感謝をされる日なのか今日は。
 俺がよほど驚いた顔をしていたのだろう、少し笑われる。
「失礼。そんなに驚かれるとは思ってもいなくてね」
「いえ......」
 なにやら照れくさい。
 俺が挙動不審に視線を彷徨わせていると、その人は財布から何かを取り出した。
「貰ってくれるかな」
 少しだけ目を細めて微笑まれる。
 男が差し出されたのは四角い紙だった。
 名刺だ。
「は、い」
 俺は受け取ることで精一杯だった。
「またどこかであったらよろしく」
 男は軽く俺の頭を撫でると、そのまま背を向けて立ち去った。
 名刺なんて、初めてもらった。
 なんだか、認められたようで嬉しい。
 じーんと感動に浸っていると、昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。
 弁当を放置したままだったことに気付いて、俺は慌ててその場を離れた。


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