二陣-6
鳥の鳴く声に俺は目を覚ますと、そこはわらを敷き詰めた小屋の中だった。早朝なのか、外はまだ幾分暗い。早い村人はもう起きているのか、人が動く物音が聞こえた。
俺はゆっくりと立ち上がる。首を軽く振り、前足と後足を順に動かした。
どこも痛くないしダルさも残ってない。胴に巻かれた包帯を首を向けて歯で食んでむしり取る。現れた毛並みは艶やかで傷跡もなかった。......よかった。
俺がいる小屋の出入り口は、柱から突き出た梁に木の棒を横たわらせているだけのものが、上下段に二本で出入りを制限されていた。人なら跨いだり潜ったりすれば通れる幅だが、鹿の俺ではちょっとできない。
だけど今なら。
身体の中を満ちる力に、俺はゆっくりと俺自身を思い浮かべた。身体を巡る神通力が熱に変わり、ほのかな光に包まれる。
「......あ、ああー、うん。喋れるって素晴らしいな。......っさみ」
人の外見を取り戻した俺は、生身でいつも通り動く身体にほっとして、身をすくめた。朝の冷えた空気は裸には辛い。
ひとまず棒だけ外して外に出てから鹿に戻ろう。祝詞を唱えるのはどこかの山の中でいいだろう。
結局今回の目的は果たせなかったが仕方がない。命があっただけでも儲けもんだ。
そう思って木の棒に手をかけた所で、近づいてくる足音が聞こえた。
「やばっ......」
鹿が人間になるなんて、誰が考えるだろうか。
俺は慌てて小屋の奥にある、おれが敷布団代わりに使っていたわらの中に潜り込んだ。俺の持っている置物のような真っ白な鹿の姿を思い浮かべると、手足に篭った熱が抜けていく。わらの中でもがいていると、呆れたような笑いを含んだ男の声が聞こえた。
「なにしてるんだ? ......寝相が悪い鹿なんて初めて見たぞ」
昨日から良く聞いている声に、視線を向けるとしのかが小屋の前に立っていた。やはり本調子でないようで顔色が悪い。
「間抜けな神だ」
俺が近づくと鼻先に付いていたわらを払って、上段の棒を外してくれた。これなら跨げるけど......。
しのかの行動の意味がわからなくて見上げる。
「帰るんじゃないのか。力が足りなくて、俺の夢に出てきたんだろう?」
まだいた事に驚いたとでもいうように、しのかは小屋から出るように俺を促した。俺が小屋を出ると、しのかは欠伸を噛み殺しながら俺の首に巻かれた包帯を外してくれる。
「見事に治ってるな。......なあ、俺のおかげか?」
からかい半分の質問に昨晩の痴態が思い出される。俺は脳内で転げ回ったが確かに助かったのは事実だ。こっくりと頷くと、しのかは「頷いた」と何故か面白そうに笑った。
「高天原に帰るのなら、国神様にこの状況を伝えてくれ。俺たちのような退治屋を雇える村はいいが、そうでない村はそこに生まれだだけで幼い子供まで命を落としている。どうか慈悲を与えて欲しいと」
俺はそれにも一つ頷いた。俺は御使であって、直接神様と対話したことないから伝えること自体はできないが、文献を漁ればなにか良い手段が思い浮かぶかもしれない。なにもしないよりはマシだ。
俺が村の外れまで歩き出すと、しのかもついてきた。服装が身軽だから一緒に出るわけじゃなくて、見送ってくれるつもりらしい。だが。
「しかし、本当に身体が怠いぞ。二、三日は仕事にならないかもしれないな。どうしてくれる」
......このちくちくとした愚痴だけはいただけない。
表情を見ると、怒っているようには見えない。まあ、単なる八つ当たりだろう。
あまりにしつこいので、一つに結んでいる後ろ毛を食んでやる。俺のよだれでべっとりした髪を見て残念そうな顔をしたので、それ以上はやめておいてやった。
止む終えない事情があったが一晩だけ交わったせいか、なんだか少ししのかに対する好意というか、親しみが増えた気がする。
向こうもそうなのか、俺の首筋を撫でる手つきは優しかった。
「じゃあ気をつけて帰れよ」
村の出入り口まで来た所で、しのかが立ち止まった。ちょっと考えてからしのかの身体に胴をすり寄せてから背を向ける。なんとなく名残惜しいが、留まっていてもしょうがない。
まあせめて村が見えなくなるまでは歩いてみるか。
そう思って歩き出す。すると、前から変なモノが近づいてくるのが見えた。
......なんだ?
首を傾げた俺は足を止めてその転がってきたものに視線を向ける。途中でバランスを失ったのか、行く手を阻むようにパタリと倒れたのは車輪だった。
だが、車輪が一つで転がってくるその理由がわからない。......なんだか嫌な予感がする。
俺が後退ると、辺りに響き渡るような馬の嘶きが聞こえた。バキバキと、柱を折るような不吉な物音も耳に入る。まだ薄暗い早朝では、開けたここでも薄暗い。森の奥となると、全く見えなかった。だが、地面を蹴り上げる蹄の音と、きらりと光った動物の目が見えた俺は僅かに道を逸れた。
すると、森の中から飛び出てきたものが俺とすれ違った。
それは黒い馬だった。目が血走っていて馬銜を付けた口元からは大量の泡を吹いている。そしてその馬が引いている荷台はあちこちが壊れ、何人かが振り落とされまいとしがみついていた。
荷台の破片をまき散らしながら走る馬は、コントロールを失い、村に付く前に足を滑らして横転する。大破した荷台からは、何人もが投げ出された。視線の端でしのかが荷台に駆け寄ってくるのが見える。
俺はそれを目で追い、森の奥から投げつけられた殺意に総毛立ってそちらに視線を向けた。
森は静かだった。背後でピィッと甲高い音が聞こえるが、前からは物音がしない。
人が多いだろう村の中でさえ、あんなに鳥の鳴く声が聞こえたのに。
気色悪い感覚が身体を包む。俺は堪らず、森の様子を伺いながら荷台のある場所まで引き返した。
「村に運ぶから手伝ってくれ。......なんだって夜に森を抜けようなんてしたんだ」
呻くように呟いたしのかは何人かの様子を見ると、一人を俺の背に乗せてもう一人を自分で担いだ。人のずっしりとした重さが、少し怖い。
しのかは俺の背に乗せた人がずり落ちないように支えながら、並んで村に向かって走る。首にぶら下げていた笛をもう一度鳴らすと、先ほどと同じ甲高い音が聞こえた。
その音を聞きつけたのか、村の中から誰かが駆け寄ってくる。しっかりと装備をまとったなぎと、着崩れて歩きにくそうにしているいはさだ。
笛の音が聞こえたのか、他にも何人もの村人が家から飛び出してきていた。
「どうしたのしのか!」
「物の怪だ」
「えええ......また?」
村まで入ると、しのかは中に背負っていた人を下ろした。ぼやくいはさから装備を受け取ると、しのかは手早く身につけていく。なぎは素早く村の出口まで出ると、持っていた弓矢を構えた。なんだかよく見ると、なぎはうすらぼんやりと光って見える。
「いはさ、俺にも祝福の祝詞を」
「はいよ」
いはさはしのかの前にしゃがむと、パンと一度拍手を打った。そのまま聞きなれない祝詞を唱えていく。
すると、ほんのりとしのかが光の幕に包まれた。
俺が使う神通力みたいなもんなのか......。こっちの人も使えるなんて知らなかった。
RPG風に言うなら、防護力アップとかだろうか。
「来るよ!」
なぎの鋭い声にしのかが駆け出した。いはさは村の中、なぎが村を出てすぐに位置すると、しのかはさらにそれより前に出て、大振りのナタを構える。一拍を置いた後に、それは姿を現した。
幹の間からてらてらと鈍い光を放つ鱗を持ち、森の木々の背丈よりも大きく鎌首を巡らす蛇。
そう、蛇だ。俺が追いかけられた二頭の狼よりもでかい。
そのフォルムもさることながら、瘴気とでも言えばいいのか、どす黒い気配を放っていてより不気味さを増している。
「毒があるから気をつけな!」
なぎの言葉に、しのかは軽くナタを振ることで答えた。じりじりと進んで、間合いを縮めていく。
蛇は森から完全に姿を出さず、ぴたりと動きを止めて様子を伺っているようだった。
「ひいぃいい!」
荷台の影から、悲鳴が上がった。俺たちは投げ出された人しか気づかなかったが、荷台にはまだ人が残っていたらしい。
その声の主は中年女性で、足を痛めたのか起き上がる事も出来ずに這って蛇から逃れようとしている。
蛇の意識がそちらに向かった。尻尾の先が木々の合間からぬるりと出てきて女にするすると近づいていった。
「なぎ!」
「あいよ!」
しのかの声になぎが動いた。風切り音が響くと、吸い込まれるようにまっすぐ蛇の尾に矢が向かう。だがその矢は刺さらずに硬くぬめった皮膚に弾かれた。なぎは小さな声で悪態を付く。
「いはさ、なんとかしてよ! 刺さんなかったらこっちは商売上がったりだ!」
「はいはいはい!」
いはさがまた祝詞を唱え始めた。先程より長いのはその分力を込めてる証拠だろう。だがそうしている間にも蛇の尾は蠢いている。
あの人死んじゃうよ!
俺は鳴いて鼻先でしのかの脇腹をつついた。しのかは舌打ちをしてそれを払う。
「無理だ。下手に助けに行ったらこっちがヤラれる」
俺の意図を正確に読み取ったしのかは、構えたまま動こうとしなかった。俺は心の中で喚いた。
なんでだよ! 俺は、俺は助けてくれたじゃねえか!
しのかを非難していると、更に大きな悲鳴が上がった。女は尾に足を絡め取られてずるずると引っ張られている。地面に爪を立てて抵抗しているが、それも風前の灯火だ。
......目の前で人が死ぬのを見るなんて、そんなの嫌だ。
今の俺はすこぶる調子がいい。一匹ぐらいならどうとでも出来る、はずだ。俺は意を決して足を踏み出した。
「おい馬鹿! 出るな!!」
牽制されたが、俺はそのまま女に向かって走る。狼を吹き飛ばした時よりも、もっと鋭利な風を意識して巻き起こした。
それを、蛇の頭と尾に向かって放つ。
蛇は突然の衝撃に驚いたのか、身をくねらせて女を離した。駆け寄った俺は女に向けて頭を下げると、すがるように女がおれの角を掴む。そのままUターンして村に向かって走りだした。バランスを崩して走りにくいけど、いける。
ちょっと引きずる形になったが、助からないよりマシだろう。
もう少しでしのかの元まで戻れる距離まできた時だった。何かに躓いて俺は女ごと転倒する。
女が放り出された先は運良く村側で、なぎといはさが駆けてくるのが見えた。
よかった、これなら大丈夫だろうとほっとした瞬間、ずるりと引っ張られた。
え......?
起き上がろうとするが、後右脚の足首を引っ張られていて立てない。風を起こしてぶち切ろうとするが、切る場所が見えなくて当たらなかった。
それならと森に向かって風を放つが、木が折れるような音はするものの、引っ張る力は弱まらない。
「馬鹿野郎!」
駆け寄ってきたしのかが、俺の脚首に向かってナタを振り下ろす。途端に身体の自由が効くようになった。しのかが尾を切ってくれたのだ。
おかげで森に引き込まれるのを免れた俺は立ち上がる。足首周辺でうぞぞぞっとした感覚を感じて見れば、尾先だけがまだ俺の脚に絡みついている。気持ち悪くて振り払おうとその場で飛び跳ねていると、鈍い音が辺りに響き森の中から土煙が上がった。
途端に横からしのかごと尾の太い部分で横から薙ぎ払われた。しのかごと俺は吹き飛ばされる。