花嫁の契約-2


 人間の世界を征服した魔王が住む城の中には、いくつも施設があった。
 その中にある武道場に、ジークリードはいた。
「ふっ......」
 振り下ろされた斧を剣で受け止め、その力を殺して下方向に流す。
 流れた斧先が、自らを狙う前に、それを構えていたオークの首筋に、剣を押し当てた。
 少しでも動かせば、動脈を傷つける位置である。
 ふご、と鼻を鳴らしたオークは、ジークリードの腰を薙ぎ払うことをために構えていた斧を床に投げ捨てた。
「ずいぶん強くなったなあジーク」
 親しみを込めて名を呼ばれ、ジークリードは笑みに頬を緩めて剣を引く。
「貴方のおかげです。ありがとうございます。ディルク」
 乱れた息を整えながら、ジークリードは深く頭を下げた。
 20歳を、あと数日で迎える予定のジークリードより、低い身長のオークはふごふご笑う。
「これならアルトゥール様の花嫁になれるんじゃねえの?そうすりゃ晴れてお前さんも魔族の一員だ」
 まるでそうなることを疑っていないような言葉である。
「しかし、あの小さなガキがよくまあここまで大きくなったなあ」
「栄養失調だったんで...他の子供よりも小さかったんですよ」
 上から下までじろじろと見られて、ジークリードは照れたように笑う。
 ぼろぼろな状態で、アルトゥールにすがり付いていた面影はもはやない。
 滑らかな筋肉のついた体。無骨な指に大きな手の平。長い足。
 顔も大変良く美丈夫と呼ばれても言いぐらいの青年に、ジークリードは育っていた。
 幼子の頃はいつも汚れていた金の髪も、今は光を反射して輝いている。
 ジークリードは魔族の花嫁になるべく、この城で教養と知識と、そして身体を作らされた。
 貧弱だった身体は栄養価の高いものを与えられ、それから薄汚れていた身体はきれいに洗われた。
 無理に働かされることはなく、厳しいながらも高いレベルの勉強を受けることが出来た。
 今では、村にいるより良い生活ができたのではないかと思うほどである。
 魔族の中も王の血筋であるアルトゥールに嫁ぐために、ジークリードは彼と出会ってから13年間ひたすら自分を磨いてきた。
「ジーク、お疲れ様」
 武道場に、一人の女性が入ってきた。
 こちらもジークリードと同じく、魔族の花嫁になるために城にきた女性である。
 来た当時は、焼ききれた髪に殴られて青くなった頬が痛々しい少女だったが、今では大変麗しい。
 名をハイデマリーと云う。
 ジークリードの教育係に任命された鳥頭の魔族、ベンノの花嫁となる予定だ。
 城には、このように『花嫁』がたくさんいた。
 誰も彼も、征服された当時、差し出すものがないからと最後に出された『貢物』である。
「汗臭いわよ。はい」
 ハイデマリーは軽くなじってから、笑ってタオルを手渡す。
 同い年の二人は、兄弟のように仲がよかった。
 異種族の中で暮らす二人は、時に沸き起こる村に帰りたい寂しさを、互いに支えあって乗り越えた。
「ここに来るのは珍しいねハイデマリー。どうしたの?」
 タオルでひとしきり身体を拭いてから、ジークリードは尋ねた。
 そんなジークリードに、ハイデマリーはぷっと吹き出す。
「それを先に聞きなさい。こんなむさ苦しいところになんて、用がなければ近づかないわ」
「むさ苦しくて悪かったな!」
 少し離れたところで文句を言うのは、武道場の管理者のディルクだ。
 怒られたハイデマリーは軽く肩をすくめながら舌を出した。
「ジーク、アルトゥール様が探していたの。だから呼びに来たのよ」
「......それを早く行ってくれ!」
 ハイデマリーの言葉に、ジークリードは慌てて武道場を飛び出した。
 華美なところはまったくない城の中を走り、ジークリードはアルトゥールの部屋に向かう。
「お待たせしました!」
 ドアを開けながら室内に入ると、アルトゥールは物憂げそうに窓枠に座って外を見ていた。
 白い素肌。目鼻立ちがはっきりとした整った顔。漆黒の艶やかな襟足の少し長い髪。
 初めて会ったときは恐怖しかなかったが、今ではその横顔に違うものを感じて胸が締め付けられる。
 思わず見惚れていると、黒い羽根が軽くぱさりと動いた。
「そんなところに座ると危ないですよ」
 近づいてジークリードは手を差し出す。
 アルトゥールは、金の瞳をジークリードに向けてふんと鼻を鳴らした。
「俺が地面に落ちるとでも?」
 存在を誇張するように羽根を大きく広げてみせる。
「万が一ということがありますから」
 言いながら、ジークリードはアルトゥールと引き寄せた。
 心配性め、と悪態をついてみせる羽根の魔族は、ジークリードよりも小さい。
 長い寿命を持つ魔族であるアルトゥールは、幼子から青年まで成長したジークリードと違い、外見上は殆ど変化がなかった。
 今ではジークリードの方が年上に見える。
 ジークリードは手を引いて、ソファーまでアルトゥールをエスコートした。
 座った魔族に、彼の花嫁となる男は手際よく紅茶を入れ始める。
 城に仕える侍女に、あまり甘くないクッキーを持ってこさせた。
 入れる紅茶も、アルトゥールの好みで少し渋めだ。
「ベンノから聞いた。勉強や教養、礼儀作法ではもう教えることがないとな。褒めてもいたぞ」
「そうですか。ありがとうございます」
 紅茶を差し出し、笑みを浮かべる。
 厳しいながらも優しく辛抱強く教えてくれた教師に、褒められるのはやはり嬉しい。
 そしてそのことを、アルトゥールの口から聞けるのは更に嬉しかった。
 彼の花嫁に近づいたと思えるからだ。
「ディルクからもついさっき報告を受けた。騎士団の者でも、お前の腕に適うものはそうそういないだろうとな」
「はい」
 武道場からディルクは離れた気配はなかったから、魔力を使ってなんらかの通信手段を使ったのだろう。
 アルトゥールに集まる自分の高評価にジークリードは笑みを浮かべた。
 もしかしたらそろそろ『初夜』に呼ばれるかもしれない。
 熱い体温を互いに交わらせれば、『花嫁の契約』が完了する。
 『花嫁の契約』は妻となる生き物が他種族である場合、その契約を交わすと魔族と同じ寿命を持つことが出来き、また逆に魔族が妻となる場合は、その種族の寿命を持つことになる契約だ。
 長い時間を過ごすことには興味のないジークリードだったが、アルトゥールの成長する姿を見ながら歳を取れると考えると、とても魅力的な契約だった。
 ジークリードは、自分の伴侶となるアルトゥールが大好きなのである。
 それこそ、男である自分が妻となることを厭わないほどに。
 褥の中での手解きも、本番となる行為は行わなかったが、しっかりと淫魔と呼ばれる魔族より受けていた。
 いやがおうにも、期待も高まる。
「そこで、最後の試練だ」
 甘い初夜の想像をし、少しぼんやりしていたジークリードは、アルトゥールの言葉にはっとした。
「座れ」
 紅茶を用意して立ったままだったジークリードは、細い指で向かいのソファーを指差され、アルトゥールの前に座った。
 ぱちんとアルトゥールが指を鳴らすと、テーブルにあった茶器やお菓子が消え去り、変わりにチェスボードが現れる。
 ジークリードの顔が青ざめた。
「これで俺と戦って万が一勝つか、引き分けまで持ち込めたら、我が嫁と認めよう」
 黒のポーンを取り、コツコツ、とボードを叩く。
「引き分け......」
 一度も勝ったことはない。引き分けたこともない。
 アルトゥールは今まで知略戦では負けたことがないと言い張れるほど、ボードゲームや実際の戦争時でも強かった。
「どうした、戦わないつもりか。......それならすぐに村に」
「やります」
 慌てて、ジークリードは身を乗り出して言った。
 ここで放棄すれば、花嫁になる資格を失う。
 負けが濃厚な勝負でも、受けないわけにはいけなかった。



 手駒が減っていく。
 チェスはボードゲームの中でも、アルトゥールの得意としたゲームだった。
 相手の一手先、十手先を予測して駒を動かす。
 奪われたチェスの数はジークリードの方が多い。
 現在の状況では、ジークリードの不利だった。
 焦りは表情にも表れる。
 しきりに座りなおし、指先は意味なくボードの縁をなぞった。
「ジーク。気が散る。止めろ」
 盤上を見つめたまま窘められる。
「......申し訳ありません」
 言葉に、無意識の行動をぴたりと止めたジークリードは、口元に指を当てて思案するアルトゥールの顔をじっと見つめた。
 成長しきる前の、危ういバランスを持ったままの彼は、人を魅了する雰囲気がある。
 魔族の中からも是非妻に、夫に、と請われることも多かった。
 人目を引く外見もジークリードは好きだったが、一番好きなのはその性格だ。
 幼い頃はよく苛められた。課題を増やされたりクリア間近な課題を邪魔されたりもした。
 耳や鼻や手をよく抓られたし、身長が越えてからはよく足元を狙われた。
 口を開けば、意地悪なことしか言わない魔族だったが、ジークリードは知っていた。
 魔族の中には、人間に対しよからぬ感情しか持たない者もいる。それらに対し、自分の持てる権力を使って守ってくれていたこと。
 ハイデマリーと一緒に、両親を恋しく思って泣いていたときに、邪魔をせずにいてくれたこと。
 寝ているときにこっそりと部屋に来て、頭を撫でて褒めてくれていたこと。
 ジークリードは13年の歳月をかけて、ゆっくりとアルトゥールに魅了されていった。
 村のみんなのため、という花嫁を目指す当初の理由も、いつしか形骸となった。
 自分の意思で、この魔族とつがいになりたいとジークリードは思っていたのだ。
 負けたくない。この方に勝ちたい。
 ジークリードはぎゅっと拳を握り、ボードに視線を戻した。
 気を逸らしていて勝てる相手ではない。
 集中しなければいけない。
 アルトゥールの細い指が、駒を掴んで動かした。


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