主従の契約-5


「え?」
「だから、フェリックス、あの男を傍に置くのはやめたほうがいいといったんだ」
 ラフィタの屋敷に広がる庭園。数々の花が咲き乱れ、いつも柔らかな温かい風が吹く。
 庭園の東屋で午後のティータイムをしていたラフィタは、エミリオの言葉に目を丸くした。
 周囲には人はおらず、ラフィタの世話もエミリオがしている。
 それは、エミリオが望んで人を遠ざけさせた為だ。
「どうして、そんなこと言うんですかエミリオ」
 ぶすっと頬を膨らませ、ラフィタは一口大にされたケーキを差し出されても、顔を逸らしてしまう。
 エミリオは苦笑して、そのケーキを自分の口に運んだ。
「......人間界で、反逆の動きがある。主体となっているのは前独占政権の取り巻きという話だが」
「それと、フェリの、何の関係があるんですか」
「確証はないが、それに王族も関わっているという話だ。彼らは、我らに反旗を翻すために情報を集めていると。......一部の騒ぎが好きな魔族がそれに手を貸しているらしい」
「だから、何の関係があるんですか」
 遠回りに告げるエミリオに、ラフィタは威嚇するように羽根を広げる。
 ふわりとした羽根が広がっても、エミリオからしてみれば可愛いものだ。
「彼が、軍内部の情報を渡しているという噂だ。まあ、ただの噂だがね。......ラフィ、お前彼に何か話さなかったかい?」
「そ、んなこと......」
 咄嗟にそう否定しようとするが、思考を巡らせてだんだんと俯く。
 ラフィタが話しかけなければ、フェリックスからはなんのアプローチもない。
 最低限の会話しかないのは、ラフィタが耐えられなかった。
 その日の天気のことから始まり、食事のことや日常の仕事のこと、些細な事を日がな一日フェリックスに話しかける。
 会話が尽きて、兄であるエミリオから聞いた、軍の内部のことも口に走らせたこともあった。
「......」
「心当たりがあるんだね?」
 俯いてしまったラフィタを、エミリオは優しく抱き寄せる。
「で、でも、フェリックスは、そんなことをしたりしません!」
「わからないだろう。彼はあの残虐だった国王を父に持っている。それにその当時は王子として王宮に暮らしていたんだ。もしかしたら今の生活に、嫌気がさしたのかもしれないよ」
「嫌気......?」
 目を見開いたラフィタの顔が、だんだんと青ざめていく。
 自分が鬱陶しいと感じられたのかもしれない。
 ラフィタは親愛をもって、今まで接してきたつもりだったが、フェリックスの普段の態度からしてみれば、主従の契約で縛られた状態は、やはり気に食わないのかもしれない。
「ぼ、僕のことが、フェリックスは嫌なのかもしれません。けれど、反逆とか、そんなことは考えてはないはずです」
「......ここは、天空だ。羽根のない人間は近づけはしない。けれど、内側から手引きをすればいくつかの手段で侵入することは可能だろう」
「彼は、手引きなんてしません」
 ラフィタの声が震える。
 興奮して上気した頬に、エミリオは唇を寄せた。
 優しく口付けを落として、ラフィタを抱きしめる。
「ラフィタ、一緒に暮らさないか?お前の世話なら、私がしよう」
 抱きしめられたまま、顎を上に向けられて甘く囁かれる。
 不意に近づいてきた唇を嫌がって、ラフィタは顔を背けた。
「離して!」
 足をバタつかせて暴れるが、エミリオは優しく拘束したままだ。
 微笑を浮かべていた男は、不意に切なげに目を伏せる。
「そんなにあの男が好きか......?」
「すきって、え、あ、好きですよ!彼は僕の友達で、大事な家族です!僕は彼を守る義務もあります!」
 かあっと顔が赤くなりながら、ラフィタはまくし立てる。
「エミリオ、最近おかしい!」
「おかしい?私が?......好きな人が、他の男に取られそうになれば、冷静ではいられなくはなるだろう」
「エミリオ......」
 ラフィタは困惑した表情を浮かべるしかない。
 エミリオは熱い瞳でラフィタを見つめながら、小さく歌い出した。
 ハーピーが求婚の際に奏でる歌だ。
 低く優しい歌声が、ラフィタを包み込む。
 今まで愛の歌は歌われたことがあっても、求婚の歌は初めてだった。
 1分弱でエミリオの歌が終わる。
 次は、ラフィタの番だ。
 すうっと、ラフィタは息を吸い込む。
 細く高く、伸びる歌声。
 庭を飛び交う小鳥が羽根を休め、聞き惚れてしまう程の美しい歌だ。
 しかし、それは拒絶の歌だった。
「......前から言ってるように、僕はエミリオの花嫁になるつもりはない。兄として好きですが、僕にはそういった感情は、エミリオにはないんです」
 歌い終えたラフィタは、エミリオを見つめきっぱりと言い切る。
 魔族の中では、兄弟、姉妹、親子での婚礼も、特にタブーではない。
 エミリオのサファイヤの瞳に傷ついた色が浮かんだ。
 しかし、ここではぐらかせば、自分もエミリオも良いことにはならない。
「少しも?」
「少しも、ないです」
 即座に返答したラフィタに、エミリオは肩を落とした。
「少しもかあ......」
 情けない声で呟いたエミリオに、ラフィタは「はい」と畳み掛ける。
「しょうがない。しばらく待つとしよう」
 こつんとラフィタの額と自分の額を合わせて、エミリオは微笑む。
「10年待っても20年待っても無理なものは無理です」
「では、30年でも、40年でも、100年でも待とう」
「しつこい男は、女性に嫌われますよ」
「ラフィタに好かれれば、他に嫌われても構わない」
「もう......」
 呆れたラフィタは、微笑むエミリオにつられて笑ってしまった。
「じゃあ、ずっと結婚できませんね」
「それもまた人生だ」
「寂しい人生ですね、エミリオ」
「......言うねお前も」
「失礼します」
 笑い合う兄弟の元に、硬質な声が掛けられる。
 ラフィタが視線を上げれば、そこにはフェリックスが立っていた。
「あ、フェリ!」
「紅茶のお代わりをお持ちしました」
 嬉々として声を上げるラフィタを無視して、フェリックスは淡々とカップに紅茶を注いでいく。
「フェリ、フェリ!一緒に紅茶」
「失礼します」
 用意だけ済ませると、すぐさま背を向けるフェリックスに、ラフィタは頬を膨らませる。
 そして履いていた靴を、その背中めがけてぶつけた。
「脱げちゃった。履かせてくれる?」
 振り返ったフェリックスに、ラフィタは微笑む。
 フェリックスは靴を拾い上げて、ラフィタに近づいた。
 エミリオに寄り添われたラフィタは、フェリックスを見上げる。
 フェリックスは無表情に見下ろした。
 だがすぐに視線を逸らす。
「こちらに置きます。失礼します」
 足元に靴を下ろし、フェリックスは背を向ける。
 ラフィタは眉間に皺を寄せた。
「フェリ、履かせてくれないの?」
「私も暇ではありませんから」
 振り返りもせずに立ち去る青年。
「......」
 その小さくなる背を見つめて、ラフィタはきゅっと唇を噛んだ。


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