花嫁の歌声-5


 結局、その日はギリギリまで我慢が出来たものの、フェリックスの顔を見た途端にその我慢が無に帰した。
 ショックでしょうがなかったが、甲斐甲斐しく世話をしてくれるフェリックスに、嫌とは言えなかった。
 なにより、なんとなく楽しそうなので、しょうがないかと諦めもある。
 翌日も朝早くから、家のことやラフィタの世話をするフェリックス。
 契約を交わしたような触れ合いは、今のところ無い。
 ラフィタはそれも、少し不満であった。
「やっぱさー好きな人と一緒にいたら、こういろいろしたいもんじゃないの?」
 だんだんと、山の斜面に降り注ぐ日差しが強くなってきた頃。
 出来上がった秘密基地の物見台で、ラフィタはぶちぶち愚痴っていた。
 高い位置にあるそこには、涼しい風が吹きぬける。
 排泄欲が沸いて、フェリックスの世話になるときに、手で優しくしてくれるのは変わらないが、それ以上進まない。
 家が狭いので夜は一緒に寝ているが、フェリックスを見ている限りではひっそりと処理をしている様子もなかった。
「......はあ」
 ため息をついて、空を見上げる。
 今日は、浮島が良く見えた。
 日差しの強さに目を細めていると、物見台の隣の枝が揺れて、パブロが葉の間から顔を出した。
「したいってなにを?あ、ツタ取って」
「うん」
 頷いたラフィタは、前もって物見台まで上げていたツタを、足の指で取ってパブロに手渡す。
 パブロは、器用に太い枝に乗り、ツタをくくりつけていった。
 物見台の傍に太くて丈夫な枝があったので、ブランコを作ろうとしているのだ。
 残念ながら、これはラフィタはほとんど手伝えることがなくて、眺めるのみである。
「アレとかソレとかさあ......ううう、なんでフェリは平気なんだろ」
 呟いたラフィタは、自分が結構きわどい事を言っていることに気付いて、顔を赤らめた。
 羽根で顔を隠しつつ、ちらりとパブロの様子を見る。
 だがパブロは首を傾げるだけで、ラフィタの言いたいことが少しも伝わっていなかった。
 その態度に、ホッとする。
 が、
「よくわかんないけど、なんか言いたいことあるなら、言えばいいんじゃねえの?」
「うん......」
 パブロのもっともな言葉にラフィタは曖昧な笑みを浮かべる。
 言えたら、いいのだけど。夫婦の営みのことだけじゃなくて他のことも全部。
 と考えて沈みかけたラフィタは、話を変えるためにことさら明るい声を出した。
「ね!パブロは、ディエゴさんと結婚するの?」
「結婚?!」
「だって、好きなんでしょ?」
 にこにこと尋ねると、みるみるうちにパブロの顔が赤くなっていく。
 ツタを枝に巻き終えると、ラフィタの隣まで来て腰を下ろした。
「や、でも......俺、羊だし、ねえちゃんたちには、狼は止めなさいって言われて......」
 小さな声でぼやくパブロは、ラフィタと一緒で末っ子だ。
 直接は会ったことはなかったが、話で聞く限りでは溺愛されているようで、何もかも捨ててきたラフィタは少しだけ心が疼いた。
「駄目なの?狼さん、優しいんでしょ」
 顔を覗き込んで話しかけると、パブロは少し寂しそうな顔になった。
「ん......つか、同族しか駄目っぽいんだ。かあちゃんも隣の山から嫁いできたし......ここ、いろんな人来るけど、本当はよその人と、あんまり仲良くするなって言われてる」
「え?」
 意外な話を聞いたラフィタは、驚いて聞き返す。
 ここに住むようになったのも原住民である、パブロの一族に世話をしてもらえたからでもある。
 親切な印象があっただけに、そんな話があるとは露とも思わなかった。
「あ、でもラフィタはいいんだっ!なんか......ディエゴは、駄目で......」
 しゅんと肩を落とすパブロ。
 ラフィタは落ち込んだ様子のパブロを見て、戸惑いながら身を寄せる。
「ディエゴも、それ知ってるらしくて、会いに行くとそっけねえしさあ......」
 そこまで言うと、パブロは一旦言葉を切って、ラフィタを見た。
「俺、本当は嫌われてるかも、しんない......」
 小さくそう告げたパブロの瞳に、うっすらと涙が浮かんだ。
 好きな人に、冷たくされる辛さはラフィタもよくわかる。
 だから、パブロのことが人事のようには思えなかった。
「で、でも、嫌いって言われたことないんでしょ?んじゃわかんないって!」
「そうかなあ......」
 必死に励ますラフィタに、パブロは自信なさそうに視線を床に落とす。
 いつも元気なパブロの悲しげな態度に、ラフィタまでつられて悲しくなってしまう。
 だから、ラフィタは思いついたことを口に出していた。
「......そうだ!ね、パブロ。職場に遊びに行こうよ!僕に教えて、パブロの好きな人」
 ラフィタの提案に、パブロは少し驚いた表情を浮かべる。
 それからまじまじとラフィタを見つめた。
「え、でもあそこは危ないから寄るなって言われてて......」
「こっそり行けばわかんないよ、ね?僕フェリの働く姿も見たいし!」
 かっこいいんだよフェリ、とラフィタは大好きな旦那様の姿を脳裏に浮かべて、ほんのりと頬を赤くさせた。
 きっと空にいたときの様に何事もそつなくこなすのだ。と妄想は広がっていく。
「パブロも、ディエゴさんの働く姿見たくない?」
「......見たい、けど......」
 頷くが、まだ迷いを含んでいるパブロに、もう一押しとばかりにラフィタは微笑んだ。
「一目だけ見て、戻ってこようよ。それなら大丈夫だよ。......ね?」
「......そ、だよな、ばれなきゃ大丈夫だよな!よし、行こうぜラフィタ!」
「うん!」
 ぱあっと明るい表情になったパブロに、ラフィタも嬉しくなって大きく頷いた。
 2人は作りかけのブランコをそのままに、物見台から降りると、一路、フェリックスとディエゴが働く鉱山へと向かった。
 鉱山に向かう道すがら、上機嫌に歌うラフィタの声に空を飛び交う鳥たちは羽を休め、陸上の小動物は興味を示すように眼差しを向ける。
 パブロは歌に合わせるように、蹄で地面を蹴り上げ軽快なステップでラフィタの周りを飛び跳ねた。
 聞いている者が楽しくなるようなその歌声は、近づいていた鉱山の出入り口にも響いていく。
「なんだ?」
 掘り出した鉱石を運び出していた者が足を止め、視線を向ける。
 そこにはすっかり楽しくなって踊るパブロと声高らかに歌うラフィタがいた。
 こっそり仕事姿を一目だけ見て帰る、という目的が薄れかけている。
 ラフィタは自分の声がどれだけ届くのかすっかり忘れているし、パブロも歌声に合わせて踊るのに夢中で、すぐ傍まで着ている事に気づいていない。


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