花嫁の歌声-7
穏やかに吹き抜けていく風も、色とりどりに咲き乱れる草花も、ラフィタの心を癒しはしない。
「ふあ、っく......うぅ......」
頬を伝う涙は止まらず、締め付けられる心の痛みは今まで感じたことのないほどの苦痛を与える。
嫌われた嫌われた嫌われた。
それがどうしようもなく悲しくて仕方がない。
「ラフィタ......」
追いついたパブロはどう声をかけて良いかわからず、差し出しかけた手を宙に浮かせる。
パブロは逡巡して一度は手を引きかけるものの、小さい肩を震わせて泣くラフィタに強く抱きついた。
「な、泣くなよ!大丈夫だって!」
「っく、ふぇ......っでも、僕、まほ、つかっちゃ......っ、石、だめ......うぁ、ああん......ッ!」
怒られたショックが引くと、ラフィタは自分がしてかした事の重大さにまたぼろぼろと涙をこぼす。
フェリックスや他の魔族が、一生懸命働いていた努力を無に消してしまったのだ。
「で、でもあのままだったらフェリックス危なかったし!ラフィタはフェリックスを守るために魔法使ったんだから!」
パブロは沈むラフィタを必死で励ます。
「確かに俺たち駄目って言われてたのに行っちゃったけど......でもみんな喜んでくれたし、俺たちは悪くないよ!」
「パブロ......」
力一杯慰めようとしてくれる友人に、ラフィタはわずかに微笑んだ。
その笑顔を見て、パブロも少し安堵しながら涙に濡れたラフィタの頬を布で拭う。
「僕、フェリックスが帰ってきたら、ちゃんと謝るよ。......許してもらえないかもしれないけど」
あんなに激昂したフェリックスは初めて見たと、ラフィタは足下に視線を落とした。空で生活していたときも、フェリックスはあまり声を荒げることはなかった。
それだけ怒らせることをしたのだと、ラフィタは背筋が凍る思いだ。
「でも、フェリックスあんなに怒ることないのに。ラフィタはフェリックスの為にやっただけじゃん。フェリックスのばか!あほ!」
理不尽だとパブロは頬を膨らます。そのまま悪口を言い続けるパブロに、自分の代わりに怒ってくれているのだとわかっているラフィタは、その優しさに心の中で感謝した。
それからの帰り道は、元気のないラフィタを励ますようにことさら明るいパブロの声が高原に響いた。
遅い。
フェリックスが戻るまで一緒にいると言ってくれたパブロには丁寧に断り、小さな我が家で旦那様の帰りを待つラフィタは、そわそわとして落ち着かなかった。
いつもであれば、もう帰ってきていてもおかしくはない時間だ。
......帰りたくないって思うぐらい、嫌われちゃったのかな。
一人で鬱々していると、嫌な方向に物事を考えてしまう。かといって何かで気を紛らわすような気分にはならない。
こてんとテーブルに頭を乗せ、椅子の上に足を乗せて縮こまる。
高原の夜は冷える。暖炉の火を入れたり、キッチンスペースで火を使えばすぐに暖かくなるが、ラフィタはフェリックスに一人では火を使うなときつく言い含められていた。
ただでさえ機嫌を損ねられているのに、さらに怒りを上乗せしたくないラフィタは冷える膝をすり合わせる。
「おっそい、なあ......」
まさかまた、鉱山の魔族に殴られていたりするのではないか。戻りたいのに戻れないのではないか。
そう考えると、いてもたってもいられなくなったラフィタはばっと椅子から降りた。
迎えに行こうとラフィタは鍵の付いていない押すだけで開くドアに、どんと体当たりする。
「ふぎゃ!」
すると、違和感があった。
「え?」
開け放たれるはずのドアは何かに当たって戻ってくる。
「フェリックス?!」
ようやく帰ってきたのかとラフィタの顔に満面の笑みが浮かんだ。
慌ててもう一度力を込めずにドアを押す。
黒髪の麗人を捜したが、そこにフェリックスはいなかった。
代わりにいたのは、顔を抑えてしゃがみ込んでいるパブロだ。
「あ......ご、ごめん!」
ラフィタが体当たりしたドアにぶち当たったのだろう、悶え苦しむ友人にラフィタも慌てた。
それでもまだ日があるうちに帰したはずの友人の姿に、ラフィタは謝りながらも不思議そうな表情になる。
パブロは、顔を手で抑えたまま涙を滲ませて立ち上がった。手を退けると鼻の頭が真っ赤になっている。
「大丈夫?僕、パブロがいるなんて気づかなくて......」
「......ううん、大丈夫。俺も黙って突っ立ってたから」
「本当にごめんね。......で、どうしたの?もう真っ暗だよ」
ランプも持たずに来ていたパブロに、ラフィタは部屋の中に招き入れながら尋ねる。
夜に強い羊のパブロは、星や月の明かりだけでも大丈夫なのは知っているが、それでも足元が危ないのは変わりない。
「え。えっと、ちょっと忘れてきて......」
パブロは言葉を濁しつつラフィタから視線を逸らした。
ラフィタが首を傾げていると、パブロが微妙な笑顔を浮かべる。
「あ、あのさ!今日はうちで飯食わねえ?姉ちゃんとかかーちゃんとか紹介するよ!今日、シチューなんだ」
急な申し出にラフィタは一度瞬きをした。
今まで昼を一緒に食べた事はあっても、夕食までは共にしたことはない。パブロはラフィタがフェリックスとの二人きりの時間を大事にしたいことを知っているのだ。
見た目が幼くとも、ラフィタは子供ではない。パブロの誘いの真意を黙ったまま考える。
そして出た結論に、ラフィタはやや顔を青ざめさせた。
「......パブロ、もしかしてフェリに会った?」
「!」
驚愕に見開かれる瞳。その表情に浮かぶ動揺は、全てを語っていた。
「いつ?どこで会ったの?フェリはどこ?」
畳みかけるラフィタに、パブロの狼狽がひどくなる。
「ええええと、うんと、お、俺んちに、いるよ!だからラフィタも一緒に」
「嘘」
どもりながらも懸命に誘うパブロを、ラフィタは一刀両断した。
フェリックスが自分を連れずにパブロの家を訪問し、留まるはずがないとラフィタは確信していた。
ぐっと言葉に詰まるパブロに、ラフィタは震える唇を動かす。
「フェリは、なんて言ったの......?」
重ねて尋ねられ、パブロはがっくりと肩を落とす。
「......今日の分の穴埋めするから、鉱山に寝泊まりして時間外も働くんだって。だからしばらくは家に帰らないって......」
パブロはラフィタを見つめながら遠慮がちに答えた。
ラフィタは目の前が暗くなる思いに、強く奥歯を噛みしめる。
「家に帰れないから、ラフィタを俺んちに泊まらせてほしいって言いに来て......でも!俺ちゃんと言ったんだよ?!ちゃんと自分で連れてこいって!」
そうは言いつつも、迎えに来たのはパブロだったということは、フェリックスはそのまま鉱山に戻ってしまったということだ。
「フェリ......!」
フェリックスは悪くない。悪いのは僕だ。
きゅううっと痛む胸に、ラフィタは家を飛び出した。
「ラフィタ!」
背後から呼び止めるように声がかかるが、ラフィタは足を止めない。
真っ暗な高原をラフィタは駆け降りていく。鳥族であるラフィタは鳥目でなにも見えない。
だがラフィタを包む風が、フェリックスのいる方向を教えてくれる。その風に誘われるように、ラフィタは駆けた。
だが。
「!」
柔らかな草原が終わり、土と石の道にさしかかったときにラフィタは小石に足を取られた。
両手のないラフィタは、受け身も取ることができずに思い切り転んでしまう。
その瞬間、風が巻き起こり顔を強く傷つけることは免れたものの、全身を強く地面に打ちつけた。
「っ、たあ......」
呻いたラフィタが身体を起こそうとすると、ずきんと強い痛みが全身を巡った。特に右足の痛みがひどい。
風の力を借りて、勢いを付きすぎていたのだ。
それでもラフィタはずりずりと身体を動かして、フェリックスのいるところを目指す。
少しでもそばに。......役に立たなくても。
「ふぇりぃ......」
愛しい名前をつぶやいて、ラフィタは痛みを堪えた。
「ラフィタ!ラフィタどこ?!............ラフィタ!」
ややあって追いついてきたパブロが、暗がりでもよく見える目でうずくまるラフィタを見つけた。
「大丈夫?!」
「ちょっと痛いけど......平気。身体起こしてくれる?」
「うん」
駆け寄ったパブロがラフィタの身体を起こす。
「ッ」
仰向けに動かされた時に、言いようのない痛みが右足を中心に走る。
「......」
ラフィタの身体を起こしたパブロは、ぬるりと濡れた感触に目を凝らした。
闇の中では、実際の色は見えない。黒く見える血に、パブロはひゅっと息を飲んだ。
道の端には鋭利な石もあることがある。それでけがをしたのだろうと目測つけるが、暗くてどのような症状かまではわからない。
「足、痛くて......ごめんパブロ、鉱山に連れてってもらえないかな」
立てないのだと小さく告げたラフィタはそれほど痛がっているように見えないが、黒い部分はどんどん広がっているように見える。
「わ、かった。......もちあげるぞ」
「ん」
自分より一回り小さいラフィタをパブロはそっと抱き上げる。背負うことはできても、両腕だけで持ち上げるのはパブロの身体ではきつかった。
でも、このままにしておけないとパブロは歩き出す。
ラフィタは鉱山に向かっていると思っていたが、パブロが向かっていたのは治療ができる魚族のいるホアンの湖だった。