そのに-3


 博也に同性愛者だと誤解を与えたまま、幾日が過ぎた。
 相変わらず博也は春樹に絡み、放課後は自分の都合で連れまわす。
 2人きりになれば、博也は悪口を言ったりからかったりするが、特にいつもと変わったことではなかったために春樹は、自分の言った言葉をすっかり忘れていた。



 4時間目終了後の化学実験室。
 次は昼休みだ。
 クラスメイトはさっさと教室に戻り、春樹は当直だったため、化学の実験で使った道具を片付けていた。
 すると、実験室のドアががらりと開けられる。
 音に気づいて視線を上げると、山浦が近づいてきていた。
 一度は教室に戻った様子のあるクラスメイトに、春樹は視線を向ける。
 山浦は、ゴム手袋をして丁寧に水でビーカーを洗っていた春樹の手元を見下ろしていた。
 特に手伝うつもりもないらしく、ただ無言で手を見られて居心地が悪くなる。
 普段それほど話すことのない山浦と一緒に居ても会話がない。
 何しにきたのだと、不思議に思って春樹は手を止めた。
「山浦?」
「つっじー、村瀬うざいんだけど」
「え」
 博也の名前が出るだけで、春樹の心臓が跳ね上がる。
 ゴム手袋を外して春樹は山浦に向き直った。
 ふっくらとした白い顔に、丸眼鏡。奥二重の小さな瞳がぱちりと春樹を映す。
「村瀬が、なんだって?」
 声が震えそうになるのをかろうじて堪える。
「前まで、全然僕のこと気にも留めてなかったんだけどさ、最近なんか妙に絡むんだよね」
 顔をあわせるたびに、暴言を吐かれるのだと山浦は告げる。
「しばらくほっとけば飽きるかなと思ったんだけど。しつこいから、つっじーから言ってもらえないかな」
「それは......ごめん」
「うん」
 反射的に謝った春樹は、山浦に肯定されて首を傾げた。
 俺はなにかしただろうか。
 ぴんと来ない表情でいる春樹に、山浦は口を開く。
「つっじーって呼ぶなとか、近づくなとか、相応しくないとか。......あれなの?村瀬って、つっじーの彼女?」
「......」
 言われた言葉の衝撃の強さに、春樹はしばらく開いた口が塞がらなかった。
 くらりとした眩暈に、春樹は眉間に指を当てる。
 酷すぎる。
「村瀬って、バカ騒ぎしてるだけのバカだと思ってたけど、うざいバカだったんだな」
 平然と告げる山浦に、春樹は居た堪れない気持ちになった。
 本当に何やってるんだ、あのバカは。
「......本当に悪い。村瀬には言っておくから」
「うん。よろしく」
 山浦はそれだけ言って、先に実験室を出て行った。
 それを見送り、手早く残っていた容器を洗い終えると、春樹はため息を付きながら教室を出る。
 教科書類を持ったまま、春樹は自分の教室ではなく博也のいる教室に向かった。
 出入り口から中を覗き、一際騒ぎながら昼食を取っている博也とその友人の集団に目を細める。
「でさーマジ笑えるんだけど!」
「村瀬!」
 楽しそうに会話をしている博也に、春樹は入り口で声を掛けた。
 呼ばれた博也は春樹の姿に目を止めると、ぱっと明るい顔になった。
「春樹じゃん!何々どうしたの?」
 がたんと音を立てて椅子を押して立ち上がると、博也は春樹に駆け寄ってくる。
「今ちょっといいか?」
「てか、一緒に食おうぜ!......って、なんで教科書持ってんの」
 春樹の手元を見て博也は首を傾げる。
「いや。いい」
「飯ねえの?......しょうがねえから、貧乏な春樹くんに俺奢ってやるよ」
 後半は、耳元に口を寄せて囁かれた。
 思わず顔をしかめて、春樹は身を引く。
「いらない」
「んな遠慮すんなって、あ、俺春樹と飯食うから!」
 博也は教室の中に戻ると、広げてあった弁当をまとめて春樹の元に戻ってくる。
「購買部の弁当、残ってるといいなあ。なかったらしょうがないから俺の非常食分けてやっから」
「村瀬」
 呼び止めても、博也はさっさと購買部に向かって歩いていってしまう。
 ここでもう少し強く出れればいいのか。
 流される自分を感じながら春樹は、仕方なく博也の後を付いていった。


 いらないと言ったにもかかわらず手には与えられたカツサンド。
 日が強いせいかほとんど外で食べる人がいない中、春樹は博也と供に中庭のベンチでランチタイムとなっていた。
「あっちーなおい。春樹俺を扇げよ。教科書あんじゃん」
「......」
 文句を言いながら博也は、彩りのある手作りの弁当を広げる。
 食べ掛けだったその弁当に箸を付ける博也とは違い、春樹は黙って手元のカツサンドを眺めた。
 教室には作ってきた中身のないおにぎりがあるが、それを取りに行く時間はなかった。
 昼食はあると言っているにも関わらず、話を聞かない博也のせいだ。
 ふ、と小さくため息を付いていると、博也は嫌そうな顔で春樹を睨んだ。
「なんだよ、嫌いなわけじゃねえだろカツサンド、食え」
「村瀬俺は......」
「俺が食えって言ってんだから、食えよばーか」
 がん、と足を蹴られた。
 食欲がないわけではないが、食べたい気分ではない。
「はる......」
「山浦に、変なちょっかい出すの止めろよ」
「あ?」
 博也の声のトーンが下がった。
 顔を見ずに、春樹は立ち上がる。
「迷惑だろ。......あとこれ、俺いらないから」
 買い与えられたカツサンドをベンチの上に置く。と、その手を掴まれた。
 ぎりっと強く力を入れられ、春樹は眉根を寄せる。
「んだよ。春樹。てめえデブ専か?悪趣味だな」
「村瀬。俺は別に山浦が好きなわけじゃない」
 手を引こうとしても強く掴まれたままだ。中腰の体勢で春樹は戸惑った。
 強い光の灯った視線を向けられて、やっぱり身体が固まる。
「山浦がいいって言ったろうが」
「山浦の方がマシと言ったんだ俺は。......そもそも」
 深呼吸をして、春樹は博也を見返す。
「俺が誰が好きだろうが、村瀬には関係ないだろう」
「関係ある。親友がホモなのはしょうがないけど、相手が山浦ってのは許せん」
 別に山浦が好きなわけではない。と春樹はため息を付いた。


←Novel↑Top