そのさん-3


「春樹ッ!昨日なんで帰ったんだよッ」
 翌日。
 春樹が教室の廊下側の一番端の席に座っていると、博也が窓をがらりと開けて身を乗り出してきた。
「俺探したんだからな!勝手に帰るんじゃねえよ!」
 口ではぶつぶつと文句を言うが、さすがに他人の多い教室では手を上げようとしない。
「博也」
「あんだよ!そう簡単に許さないからな!俺置いていったんだぞお前!」
 不機嫌そうな口調に告げる博也。
 駄々っ子のようなその言動に周囲からはくすくすと笑いが漏れる。
 だが言っている博也も、そしてそれを聞いている春樹も、まさか自分たちのやり取りが笑われているとは思っていない。
 確かに声を掛けずに帰ったのは悪かったかもしれない。と春樹は昨日の自分の行動を思い出す。
 帰ろうと思ったきっかけは、瞬間的に脳裏から消えていた。
「すまない」
 短く謝罪を口にする。
 博也はふんと鼻を鳴らして目を細めた。
「......本当に反省してんのか?」
「ああ。もうしない」
 春樹は座ったまま、窓枠に手を掛けている博也を見上げる。
 博也は春樹を見下ろし、それから少しだけ考えるような仕草をすると、身を乗り出して春樹の耳元に顔を寄せた。
「次、サボれ」
 その命令に春樹は無表情で見返した。
「春樹」
 低く囁かれる。
 自分を脅す時の声だ。
 僅かに身が竦んでしまうのを歯がゆく感じつつも、無言で立ち上がる。
「次の時間、保健室行ってくる」
 傍に居た生徒に声をかけて、春樹は教室を出た。
「待てよ春樹!送ってやるよっ」
 人前なせいか、博也がじゃれ付くように春樹の背中に飛びついた。
「重い」
 ずるずると引きずるようにして歩く。
 何人かは長身の2人が戯れる様子を見ていたが、それもチャイムがなると同時に、教室内へと姿を消していった。
 授業のない特別教室が並ぶ廊下に通りかかったところで、春樹はふと気づいた。
「博也」
「何」
 大人しく付いてきたことで、機嫌が良いのか博也は春樹の髪をぐしゃぐしゃとかき乱しながら聞き返す。
「次お前数学だろう。単位危ないんじゃないのか」
「......なんでそんなこと知ってんだよ。いーだろ俺のことは」
「良くないだろう。早く教室に戻れ」
 歩みを止めた春樹に、博也は背負われたまま少しだけ目を細めた。
「留年するつもりはないだろう?俺はお前の言うとおりにサボるから、戻れ」
「......」
 不貞腐れた表情になった博也。
 意見をした自分に腹を立てるのではないかと緊張感を感じながら暴力を待つが、博也は動かないままだ。
 しばらく無言で誰もいない廊下に佇む。
「博也」
 蹴られるだろうなと思いつつ、春樹はそっと自分の脇にある顔を撫でた。
 軽く手を上下に揺らすと、その手に頬を擦り寄せるような仕草をする。
 まるで気位の高い猫が懐いたかの動作に、春樹はまじまじと博也を見つめてしまう。
 その博也は春樹と目が合った途端、首に回した腕でぐっと首を絞めた。
「ぐっ?!」
 驚いて腕を掴むが、博也は腕の力を緩めようとしない。
 春樹は懸命に気道を確保するのが精一杯で、博也が照れた様子で頬を赤らめていることなど気づかなかった。
「春樹が」
「おれ、が......?」
 名を呼ばれて、春樹は苦しいながらも律儀に聞き返す。
「昼休み、どうしてもフェラしたいって頼むなら考える」
「.........」
 酸欠でなのか、ショックでなのかはわからないが、春樹は立ちくらみを感じた。
 自分の単位と引き換えにするような内容ではない。
 どうしよう。こいつ馬鹿だ。
「どーなんだよああ?」
 首を絞められながら凄まれて、春樹は博也の肩を叩いた。
 殴られた時よりも激しく目の前がチカチカする。
「っ、かったから、放し......ッ」
 少ない酸素の中で、春樹は必死に言葉を紡いだ。
 すると、ぱっと手を離され咳き込みながら春樹は尻餅をつく。
 そのまま壁に寄りかかって、咽たまま空気を肺に取り込んだ。
「ゲホッ......っは、............ッん!」
 更に空気を求めて開いた口を、何かが塞ぐ。
 柔らかい唇。させることはあっても、自分から仕掛けることはめったにない博也に口付けをされて、春樹は博也の制服を掴んだ。
 苦しい、離せ。......この馬鹿ッ!
「んっ、んんッ」
「鼻で息しろよ」
 唇の僅かに離れた瞬間に囁かれ、また塞がられた。
 が、鼻で息をするぐらいで足りる状態ではない。
「しぬ、って......んんん」
 執拗なキスに鼻息が荒くなると、博也に笑われた。
 誰のせいだと恨めしい気持ちになるが、苦しさにも慣れてきた。
 すると力が抜けて、春樹は自分とは段違いに上手いキスにただ翻弄される。
 舌先を噛まれたり上顎を擽られて、春樹は身体を震わせた。
 くたりと壁に寄りかかった春樹からゆっくりと離れると、博也は髪を掴んで上を向かせる。
 苦しくて歪んだ視界に映るのは、尊大な笑顔を浮かべる独裁者。
「春樹。言うことは?」
「あ、あい、してる......ひろや」
「よし。しょうがないから授業行ってやる」
 肩で息をしたまま、春樹は唾液で濡れた唇を指先で拭かれた。
「つかお前も教室戻っても......あ、やっぱ駄目。落ち着くまでどっかで寝てろ。エロい顔、人に見せんな」
「えろ?」
「ホントは今やらせてやろうと思ったけど、昼休みな」
 何をだ。
 じゃ、と上機嫌で堂々と立ち去っていく博也。
「あ、ふぇらちお、か?」
 授業をサボらせたのは、乱れたことに自分を付き合わせようとしていたのだと、しばらく経ってから気づく。
 というか、廊下で何をしたんだ俺は。
 身悶えそうなぐらい恥ずかしい思いを感じながら、春樹は身体を動かす。
「......」
 立てない。
 博也の口付けに腰が抜けてしまったことに気づいた春樹は、眉間に皺を寄せる。


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