そのろく-2
「博也。なんでもないんだ。ただ少し、その......」
首の痣を見られたくて体育の授業を休んだとは告げにくく、春樹は言い淀んで視線をそらした。
春樹をベッドに押し付けるように博也は自分の体でのしかかったまま、頬を手で包むと自分の方向に向けさせて、額をこつんと合わせる。
間近にある博也の真剣な表情に、春樹は息を飲んだ。
熱心に自分を見つめる博也の首筋が目に入り、春樹はぎゅっと拳を握る。痣を隠そうともしないから、ばっちり見えた。
「顔赤いけど、熱ねえな」
「ああ......それより博也、授業はどうした」
「自習だった」
それなら授業中に出てくることも出来るだろうと、春樹は軽く頷いた。
頬に添えられた博也の手はそのままで、春樹は触れている部分から、じんわりと自分の身体が熱くなっていく錯覚を感じる。
離してくれと頼むタイミングを逃してしまったせいで、博也の身体がとても近い。
春樹は浅く息を吐いた。震えていることを博也に気づかれないようにしなくては、と思う。
いつもとは違う震えだが、それをこの男はきっと察することができないだろう。
怯えているのと勘違いされて、機嫌を損なわれるのは嫌だった。
出来るだけ身動きをしないように硬くなる春樹に、博也の手がゆっくりと動いた。
手の甲で優しく頬を擦られ、春樹は無意識にそっと顔を寄せる。
寄せてから博也の反応が気になって、春樹は視線を上げた。
博也の口元に、僅かに浮かんだ笑みが見える。
人を小ばかにしたようなものではなく、とても柔らかな微笑み。
自分を見つめてくる眼差しも、なんと例えていいかわからないがほんのりと暖かく感じられた。
とくとくと高鳴る自分の鼓動も心地よく感じられて、春樹はくすぐったい気持ちに目を閉じる。
すると、瞼の向こう側から刺す光が翳った。胸にはなにやら圧迫感。
はっと瞳を開くと、博也の瞳がさっきよりも近くにあった。
「ん......っ?」
開きかけた唇には、博也の唇が重ねられる。唇を軽く舐めた舌が入り込んできた。
「ん、っふ、ぅ......」
驚くほど甘いキスに、春樹は咄嗟に博也の肩を掴んだ。その手に博也の視線が流れる。
......どうしよう。ここで手を離すべきか、博也を引き離すべきか。
春樹の戸惑いをよそに手が勝手に動いていた。
肩を掴んでいた手が、まるで引き寄せるようにそっと博也の背中に流れていく。
途端に口付けが激しくなった。
抱擁するように動いた春樹に、博也の腕も春樹の背に回る。
貪るような口付けのあと、ゆっくりと唇が離された。擦れ合った唇が赤い。
「............ひ、ろや」
「ああ?なんだよ」
「なんで、キス」
「てめえがしてほしそうな顔してたからだよ。別に俺がしたかったわけじゃねえし。したくねえし」
きっぱりと言い切られて、春樹は僅かに落胆を感じる。と同時に、恥ずかしくなった。
そんな誘うような顔をしていたのだろうかと自分の頬に手を当てる。
自分は昨日からちょっとおかしいのだろうと、ため息をついた。
「すまない。無理に、させて」
「あ?」
「だから、キスを無理にさせてごめん」
「謝るより優しい俺に感謝しろよ。つまんねえヤツだな」
ぐさぐさと刺さる言葉の棘。確かに自分は面白いと思われるような人間ではない。
春樹が落ち込んだ様子に、博也の少しバツの悪い顔になる。
だがそこでフォローをするような性格をしていない博也は、押し黙った春樹の胸に手を付いて身体を起こすと、視線をそらした。
それでも、押し倒したままの春樹から退く気はない。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、春樹の口から小さく声が漏れる。
「......とう」
「は?」
「ありがとう博也。キスしてくれて」
その言葉に、博也は驚いて春樹を見つめた。
春樹からしてみれば頑張って素直に答えたつもりだったが、博也は春樹がそんなことを口にするとは思っていなかったのだ。
答えた春樹は博也の表情に恥ずかしさが出てしまい、ほのかに頬のラインが色づかせた。
それでもいつもは表情の薄い春樹の顔に、薄く笑みが浮かんでいる。
博也はその笑顔に瞬時見惚れた。
動きの止まった博也に春樹は僅かに首を傾げる。と、博也は無言で春樹の上から退けた。
遠くなった体温に、なにやら寂しく思っていると布団が剥ぎ取られる。
「博也?」
剥ぎ取った博也は、また春樹の上に跨った。
驚いた春樹が後に手をついて上半身を起こすと、胸板に手を伸ばされる。
まっすぐに伸ばされた手の動きを視線で追っていると、指が春樹のシャツのボタンをぷちぷちと外していった。
「なにしてるんだ?」
「お前俺としたいんだろ。しょうがねえからヤッてやる」
「やっ......」
前を肌蹴させると、次に博也の手が下半身に伸びた。このような場所で服を脱がされることに春樹は本気で焦る。
「ひ、博也、待ってくれ。こんなところで......」
「嫌じゃねえんだろ。なんかすっげえエロい顔してた。俺としたいって顔してた」
きらきらと輝く視線とともに、博也に顔を寄せられて囁かれた。
「そ、それは博也の勘違いだ!俺はそんな顔してない!」
手で突っぱねると、博也の眉間に皺が寄る。不機嫌がにじみ出てきた表情に、春樹は息を飲んだ。
怯えをみせた春樹にますます博也の目つきが鋭くなる。
また、前のような悪循環になることを感じつつも、春樹は態度を軟化させることはできない。
せっかくいい雰囲気になったのにと、後悔で奥歯を噛み締めた春樹に、博也は大きなため息をついた。
そしてがりがりと頭を掻いて髪を乱す。乱れた髪の合間から、尖った唇が見えた。
「......わかったよ。怯えんな春樹」
乱すだけ乱した博也は、髪をいじるのを飽きたかのように唐突にやめ、ぽんっと軽く春樹の肩を叩いた。
不機嫌な雰囲気はなりをひそめ、代わりに不貞腐れたような表情をしている。
悪くなった雰囲気を博也自ら変えてくれたことに、春樹は驚きを隠せなかった。いつもであれば、取り繕うことも出来ずに殴られて終わりだ。
「でも、お前いま絶対俺としたいって顔してた。それは間違いない」
「......」
肯定も否定もしにくい春樹は沈黙するしかない。目を合わせることができずにそらすと、顎を掴まれて戻された。
「春樹」
認めろと暗に強要してくる。頷けばいいとは思いつつも、その後を考えると安易に同意できない。
でも折角博也が歩み寄ってくれたのだから、何か答えたい。
「したことないから。......その、どうなるか、わからなくて」
口から出たのはあやふやな言い訳だった。これでは博也を納得させることはできないとやきもきしてしまう。
「それに、俺がしたくても、博也がしたくないのに、無理にさせるのはちょっと良くないと思うから」
「誰がしたくねえって言った。お前がしたいんならしょうがないから付きやってやる」
偉そうに腕を組んで言い放つ博也に、春樹はシーツを握りながら、首を軽く横に振った。
「それも嫌なんだ俺は。博也は別に俺が相手じゃなくてもいいんだろう?」
告げた言葉には、思ったよりも切ない響きが入っている。
博也も驚いたような顔になったし、春樹自身も驚愕を隠せない。
それでも春樹は言いきった。
「だから、俺は......博也とはしたくない」
言った。やっと言えた。自分の意思をきっぱり告げられた。
これで博也に強要されたとしても、自分は嫌だったのだと堂々と言える。
少し前までは入れ替わり立ち替わり、女性が博也の隣にいるのを見てきた春樹は、これで自分との行為を諦めてくれればと薄い望みを掛けた。
すると。
「お前じゃなくてもいいわけじゃない、わけでもなくはないかもしれない」
顔を赤くした博也がぶつぶつと呟いた。それを聞いた春樹は、微妙な心境になる。
どう取ればいいかわからない。
「どっちなんだ」
「いや、だから、さ............お前、少し頭回せよ」
「どういう意味だ?」
「だっ、だから......!」
耳まで赤くなった博也が、ぎゅうっと春樹の手を握った。
痛みを感じるほどの力の強さに、春樹はその手を見やる。
「俺は、お前が嫌いなんだよ!でも、どうしても傍にいてほしいって顔をお前がしてるから、付き合ってやってんの!わかるか?!」
「嫌いなら、付き合わなくてもいい」
「じゃあ嫌だって顔しろよ!」
嫌な時は嫌な顔をしているつもりなんだが......と春樹が顔をしかめると、とたんに博也が哀愁に包まれてしまった。
「......なんでそんな顔するんだよ」
泣きそうな表情の博也に、春樹はついつい笑ってしまう。
根本的には、人を自分の思い通りにしようとすることはまったく変わってない。
だが感じ取る雰囲気は違う。可愛い、と春樹は素直に思った。