そのろく-3


 結局、保健室の先生が戻ってくるまで博也は春樹と一緒にベッドにいたが、互いに身体を抱き寄せ合うだけで、春樹が恐れていたような行為はなかった。
 二人で一緒に保健室を後にし、教室に足を向ける。
 並んで歩いているだけで手を繋いだりはしなかったが、2人を取り巻く空気は甘くなっていた。
「つっじー......と、むらやん?」
 教室に戻ってきた春樹に気づいて近づいてきた山浦が、すぐ傍にいる博也を不思議そうに見やる。
「見てんじゃねえよ白豚」
 しっし、と払うような仕草をする博也に構わず、山浦は春樹に並んだ。
 山浦に下から見上げられた春樹は、少し視線を下げる。
「むらやんと一緒にいたんだ?」
「ああ」
 ふわっと口元に笑みを浮かべた春樹を目撃し、山浦はあんぐりと口を開けた。
「じゃあ俺行くから、帰り来いよ」
「わかった」
 そんな山浦が見ている前で、博也は軽く春樹の手の甲を自分の手の甲で擦った。
 身近にいた山浦はそのさりげない仕草に気づく。
 春樹は博也の仕草にうっすらと目元を赤く染めた。よくよく表情を見ていなければ気づかない程度だ。
「白豚、春樹にあんま近づくんじゃねーぞ。そいつは俺のなんだから」
 博也は山浦にそう釘を刺して教室を出て行った。
 残った春樹は、山浦に凝視されてどうにも居た堪れなくなってくる。
「山浦、あの俺」
「......なんか、うん。よかったね」
 なにかを言い募ろうとする春樹に山浦は軽く頷いた。
「結構、心配してたんだ。君たちなんか危なくてさ」
 嫌悪を浮かべることもなく、そう声をかけてくれる山浦に春樹は嬉しくなる。
 告げるだけ告げて席に戻ろうとしていた山浦を、春樹は呼び止めた。
「山浦、ありがとう。君のおかげで良くなった気がする」
「僕?」
 春樹の言葉に山浦は眼鏡を指で押し上げて、きょとんとした表情を浮かべる。
「ああ。本当に感謝してる。博也も、少し優しくなってくれたみたいで」
「そっか。よかったね。もう大丈夫そう?」
「たぶん」
 春樹のはにかんだ笑顔に、山浦も笑みを浮かべた。


 放課後になって、春樹は博也のクラスに向かう。
 それに、なぜか珍しく山浦もついてきた。
「山浦も博也に用があるのか?」
「いや、僕は......」
「子豚ちゃあああああんっ!!」
 その声とともに、隣に歩いていたはずの山浦の姿が消えた。
 驚いた春樹が視線を巡らすと、数メートル後の方で、山浦が男に抱きつかれている。
 博也の友人の一人、桜庭だ。凄い勢いですりすりと山浦に頬を寄せている。
 熱い抱擁を受けた山浦は手足をバタつかせていた。
「いい加減にしてってば!」
「ええええ~もうちょっとぉ」
 ぐいぐい顔を寄せられて、山浦は迷惑顔だ。助けた方が良いのかと足を踏み出すと、誰かに腕を捕まれた。
「ほっといてやれよ。あの悪食は」
「......関谷」
 腕を掴んだのは関谷だった。春樹と目が合うと、にやりと笑って身体を寄せてくる。
「博也ならもう帰ったぜ。女とデートだってな」
「え」
 一緒に帰るものだと思い込んでいた春樹は、博也の教室の中を覗き込む。
 教室には、博也の姿はなかった。カバンも既になくなっていて、戻らないことを示している。
 来いって言ったのに......。
 居ないことを想定していなかった春樹は、動きを止めた。
「残念だったなあわんこちゃん。ご主人様帰っちまって」
 呆然と立ち尽くした春樹に、関谷が肩に腕を回しながら囁く。
 春樹がはっと気づいたときには、がっちり押さえ込まれて離れられない。
 身近にある、博也以外の気配に春樹は無意識に震えた。
 そんな春樹の顔を、関谷はうっすらと笑みを浮かべたまま覗き込んだ。
「べ、つに俺は......」
 春樹が首を横に振って視線をそらしていると、関谷は親しげな表情のまま耳に唇を寄せる。
 そのままふっと耳に息を吹きかけられた。
 驚いた春樹は身を引こうとするが、関谷の力は意外に強い。
 顔をしかめて不快感を露にした春樹は、関谷をあからさまに押しやろうと手に力を込めた。
 嫌がる春樹を楽しそうに眺めている関谷は、ぺろりと自分の唇を舐める。
 獲物を狙う瞳で見つめられた春樹は、関谷の腕から逃れることに夢中で気づいてない。
「今日は俺と遊ぼうぜ?絶対楽しいから」
「いや、俺は博也がいないなら帰」
「まーまー!そんな寂しげな顔してたら、一人になんかさせらんないっしょお!」
 明るく言い放った関谷が歩き出した。
 もちろん春樹は腕を関谷に掴まれたままで、引きずられるように足を踏み出す。
ぐっと力強く腕を引かれる。にっこりと明るく笑った関谷は、そのまま昇降口を目指し始めた。
 引きずられるようにして、春樹は足を踏み出す。
「関谷、俺は」
「博也、処女とかめんどくさいの嫌いって言ってたぜ。わんこちゃんケツ未使用だろ?開発してやってほしいって、博也に言われたんだ俺」
「え......?」
 春樹は抵抗も忘れて関谷を見つめた。
 関谷の言葉の意味が上手く理解できずに、瞬きを繰り返す。
 博也が俺を嫌いなのは、知っている。さっきも面と向かって言われた。
 だけど、博也がそんなことを言うなんて......。
 嫌われているのなら、そういうこともあるのかもしれない。
 そう思いつつも、春樹はショックを隠しきれなかった。
 博也の言葉を全て鵜呑みにするなという山浦の助言は、春樹の頭からきれいさっぱりなくなっていた。
「俺、マジに男も上手いから、心配しないでいーぜ?」
 青ざめた顔の春樹は、そのまま関谷に連れられて学校内から出て行った。


 一方、桜庭に抱きつかれた山浦は頬を擦り寄せられてぐったりしていた。
「俺のマシュマロちゃん!」
 ぷにぷにとした頬を突かれて山浦は嫌がるが、それでも桜庭は離してくれない。
 諦めかけたそのとき、ようやく山浦は春樹がいなくなっていることに気づいた。
「ちょ、もう、やめろよ桜庭!つっじーはどこいったんだよ」
「いたたっ!」
 耳を掴んで桜庭を引き離す。
 周囲を見回す山浦に釣られてか、桜庭も辺りを眺めた。そしてゆっくりと首を傾げる。
「あっれー?どこだろうねえ」
「もう帰ったのかな」
「それはないんじゃない?博也、昼間授業サボったからさぁ、センセに怒られて今進路指導室連れてかれてんのー。わんこちゃん来たら引き止めといてって言われたんだけど......」
 そこまで言い切って、桜庭の表情が曇った。
 山浦から離れると、さっきよりも真剣に人影を探す。春樹も関谷も近くにいないことに気づくと、頬を引きつらせた。
「やっばぁ、真吾もいない......もしかして連れていったのかも」
「はっ?」
 桜庭の呟きにぴんと来ない山浦は首を傾げる。
「真吾、人のもの食うの、ちょー好きなんだよねぇ......わんこちゃん気ぃ弱そうだから、丸め込まれたかも......」
「それって......っの、馬鹿!」
 桜庭の頭を強く殴ると、山浦は二人を探すために駆け出した。


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