そのきゅう-4



 呆然としたのは関谷も同じだったが、我に返ったのは関谷のほうが早かった。
「ちっ」
 苛立ちを込めて舌打ちした関谷は、春樹が入ってきた出入り口とは違う方向のドアから出て行こうとする。
 それを遮ったのは桜庭だった。
「ちょおっと待てってばあ~」
 へらりと笑った桜庭は関谷の腕を掴んで引き留める。
 それを鬱陶しそうに見た関谷が、引き剥がそうとしても離れない。
 途端に関谷の纏う雰囲気が変わった。
「......っぜえんだよ!!」
 怒鳴った関谷が躊躇することなく桜庭に向かって拳を振るう。
「あっぶねぇなあ......!」
 顔面に吸い込まれるように放たれた拳をぎりぎりで避けた桜庭は、また殴られないために背後から羽交い締めした。
「は・な・し聞けよ!ボケナスッ!」
「うるせえ!」
 関谷は暴れるが、よほどうまく桜庭が押さえ込んでいるのか思うように力を振るえないらしい。
「ぶっ殺すぞてめぇ!」
「ああ?!やれるモンならやってみろや!」
 漏れる言葉が物騒すぎる。春樹は二人のやりとりの凄さに口も挟めない。
 関谷の怒鳴り声にも驚いたが、いつも猫撫で声で山浦に抱きついている桜庭が、関谷に負けず劣らず声を張り上げたことにさらに驚いた。
「わんこちゃん!」
 怒鳴りあっている最中に呼ばれ、びくつきながら見やれば桜庭に「おいで」と呼ばれる。
 恐々しながら春樹が近づくと、関谷が微妙な表情を浮かべて抵抗を止めた。
 春樹から視線を逸らして小さく悪態をつく。
「信行......放せって」
「だーめ!」
 控えめに抗議する関谷を、春樹は改めて不思議な気持ちで見やった。
 関谷と揉めたことも、かなり前のことのような気がする。
 しばらくは関谷に対して本能的に嫌悪と恐怖感があったが、今ではそこまでひどい感情がないことに気づいた。
 久しぶりに見た関谷は、前よりも髪が短くなりピアスの数も増えている。
 眉の端を飾る円形のピアスなど、どうやって開けたのか春樹には想像がつかない。
「わんこちゃん、俺前に話したよね?博也と上手くいったら、俺のお願い聞いてほしいって~。......真吾と博也、仲直りさせんの手伝ってくんね?」
 関谷を羽交い締めにしたまま、桜庭が切り出した。
「は......何言ってんだ信行......」
 関谷もあずかり知らぬことだったのか、驚愕で目を見開いている。
 桜庭はそんな関谷の髪を手の平でぐしゃぐしゃとかき乱した。
「コイツこーして結構粋がってるけどぉ、けーっこう寂しがりなんだよねえー」
「やめろよ信行!」
 折角きれいにセットした髪がそれで乱され、不機嫌そうに桜庭の手を払う。
「人と人の間に居てぇのよコイツ。なんか人に可愛がられたいっつー......んが」
「や・め・ろっていってんだろうが!!」
 耐え切れないといわんばかりに、関谷は桜庭の口を手で封じた。
 激昂しているその横顔は真っ赤だ。
「いーや、言うよん!俺もー博也にこそこそして真吾と遊ぶのやだしー、それにお前が矢吹たちとつるむの見てんのやだ。あいつらガラ悪いし。今のままだと、お前いつかケーサツにお世話になっちゃうぜ?」
 関谷の手を掴んで告げた桜庭は、軽い口調とは相対的に真剣な眼差しをしていた。
 友人のことを心配していることがよくわかる表情。
「真吾さ、ちゃんと謝って仲直りしてもらえってぇ。博也と遊びてえだろ?俺、三人で遊ぶの好きだから、お前ら仲直りしてもらいたいんだよ」
 優しく言い聞かせるような口調に、関谷は眉間に皺を寄せる。
 それは何かを考え込むような表情だった。
「博也だって、なんだかんだ言ったって、お前のこと気にしてんのわかってんじゃん。もーわんこちゃんに手ぇ出しませんって言って、許してもらえって」
「博也にも」
 悩んだ関谷に畳み掛けるように説得する桜庭に、春樹は口を挟んだ。
 途端に二人から視線を向けられる。春樹は緊張で浮かんだ汗を握った。
「博也にも手を出さないっていうなら、言ってみてもいい」
「わんこちゃん!」
 春樹の言葉にぱっと桜庭が表情を明るくした。
 関谷はそれを信じられないものを見るように見やる。
「馬鹿じゃねえのか。お前レイプされたんだぜ」
 吐き捨てるように言われるが、春樹は揺るがない。
「違う。あれは取引だった。俺は......俺のために、博也が関谷に自由にされるのは嫌だったから、条件を飲んだんだ」
「......」
 関谷は深くため息をついた。
 落ち着いた様子を見せる関谷だったが、隙を見て桜庭を手で押しやると髪をかきあげる。
「仲直りなんてしねえよ。これ以上博也に、嫌われたくねえし。わんこに恨まれたくねえし。......じゃあな信行。余計な真似すんなよ」
「真吾待てって!」
 ふっと目を伏せると、桜庭の呼びかけにも止まらず関谷はそのまま出て行った。
「あーあ......」
 肩を落とした桜庭は、春樹と目が合うと肩を竦めた。
「わりいねぇわんこちゃん。だまし討ちしたみたいに連れてきて」
「いや」
 短く否定しながらも、春樹の心境は複雑だった。
「......関谷は、博也が好きなのか?恋愛の意味で」
 関谷の言葉をそのまま聞けば、まるで自分と同じように博也に惚れているかのように思えたのだ。
 それであれば、仲直りを手伝いたいとは微塵も思わなかった。
 博也には俺だけでいい。
 そこまで考えて、春樹はひっそりと戸惑う。
 自分の中に巣くう気持ちに強い独占欲があることを垣間見た気分だった。
「好きだけど、それはちょっと違うって。んな怖い顔すんなよわんこちゃん」
 いつもの緩い口調でのほほんと微笑んだ桜庭に指摘されて、春樹ははっとして頬に手を当てた。
 醜い感情を見られたような気がして視線を下に落とす。
 桜庭は春樹の肩をぽんと叩くと、軽く息を吐いて天を仰いだ。
「真吾はさ、あんま育ちよくねえのよ。母親いねえし、父親はちょっとイかれてて、俗にいう家族愛とかに飢えちゃってる系だからぁ、カップルでいちゃいちゃしてんの見ると、間に入りたがるんだよねえ」
「......」
「それは別に二人の仲を割りたいってわけじゃなくてぇ、三人で仲良くしてほしいっての?まー、愛情と性欲がごっちゃになってるやつだから、毎回揉めるんだけど。......馬鹿だよねー」
 残念そうに、そして少し寂しそうに苦笑した桜庭は、その後は関谷のことは一言も言わずに時間を過ごした。


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