インナモラートの微熱03



 秋の日差しは落ちるのが早い。
 冬は元から短いのを理解しているので我慢できるが、秋は思うよりも早く周囲が暗くなってしまう。
 明かりの付いている教室、廊下、玄関までは昼間と同じぐらいに明るく感じられたが、外はもう真っ暗だった。
 それでも校庭ではまだ部活動に励んでいる人もいる。
 ライトアップされた校庭は白く照らし出されていた。
 文化祭の打ち合わせが終わるまでいたらこの時間だ。
 会議なんて、やっぱり参加しなければ良かった。
 渉は深くため息をつく。
 会議室として使われていた教室を出て、苦々しい気持ちで外を見やった。
 実際の会議自体は一時間もかからなかった。
 なのにこんなに遅くなったのは、自由性を求める生徒側と、それを押さえ込もうとする学校側で喧々諤々の怒鳴りあいとも思える話し合いがあったせいだ。
 遠巻きに眺めていた渉にはどちらが勝ったかわからないが、今回も飲食店の出展も可能だし、公序良俗に反しなければいいという了承をもらった生徒が喜んでいたので、たぶん生徒側が勝ったのだろうと思っている。
「めんどくせえイベント好きな学校だな......」
 話を聞いていただけなのに疲れたと、ぐったりする渉の肩を清水が叩いた。
「まあどうせやるなら楽しい方がいいだろ」
「ほんっと勘弁して欲しい。やりたいヤツだけやりゃいいのによ」
 本音が漏れる。
 一年の時も文化祭はあったが、渉は盛り上がっている生徒を冷めた眼差しで見てた一部の生徒だ。
 積極的に参加もしなかったので、当時は実行委員がいろいろ活動していたのを知らなかった。
 知ってたら今回絶対実行委員にならなかったと思うが、それもあとの祭りである。
「まあ、長谷川は嫌いそうだな」
 なんともいえない表情を浮かべた渉に、清水は軽く笑った。
 人気のない教室に戻ってきた渉と清水は、それぞれ自分の席でカバンを手にする。
 清水のものは重そうな厚みのある学校指定のカバン。
 渉も同じカバンを持っているが、比べ物にならないぐらい薄くて軽かった。
 カバンを担ぎつつ、携帯を取り出してメールを確認する。
 新着メールを表すように外装の一部が光っていた。
 確認すると、平祐からの『裏門にいる』という素っ気ないメッセージが入っている。
 暗くなった時点で迎えに来て欲しいという旨のメールは送っていたが、毎度のことながら申し訳ない気分になる。
 それをいうと、向こうは嫌な顔をするのも承知だ。
「あー腹減った」
 家に帰ったらさっさと飯を食おうと思いつつ、ポケットに携帯を入れると渉は歩き出した。
 それに清水が並ぶ。
「じゃあ、マック行く?」
「え、委員長買い食いすんの」
「ええ?」
 誘いに驚いた渉の反応に、清水はもっと驚いた顔をした。
「するよ。なんで」
「だってすげえ真面目なイメージある。委員長って真っ直ぐ塾行ったりしそうで......」
「待った」
 教室を出ようとしたところで手で前を遮られた。
 ドアについた手を見ていると、真剣な眼差しで清水が顔を近づけてくる。
 ふわっと香る、柑橘系の香り。この距離でないと気付かないぐらいの微香だ。
 清水が香水なんてつけるようなイメージがなかった渉は密かに驚いた。
 強引な動作も相まって、なんだか少し、どきっとしてしまう。
「名前で呼んでって、言ったよな」
 じろりとねめつけられて、渉は肩を竦めた。
 真一文字に結ばれた唇のそばのホクロ。
 目を見て話するのは苦手だから、そこを見つめる。
「あー......会議の時以外ならいいじゃん?」
 清水イコール委員長という構図が渉の中にはすでに出来ている。
 クラスで呼びかけるぐらいなら問題ないだろうと、そのまま押し切ろうとすると更に一歩前に踏み出された。
 より強く、鼻に香りが届く。
 匂いを先に知覚したせいなのか、その接触にすぐには気づかなかった。

 短い一瞬の、口付け。

「......お前、今」
 目を見開く渉の唇に、清水は人差し指を押し当てる。
「ペナルティ」
「へっ?」
「何度言っても聞いてくれなそうだから。また僕を役職で呼んだらするよ」
「はあ?頭おかしいんじゃねえの」
 じろりと冷たい眼差しを向けたが、平然とした男は堪えた様子はない。
「嫌なんだよ。なんか個人を認識されてないみたいで。長谷川に呼ばれると特に」
「ふーん............なんか、いいんちょ、っと清水のイメージと違う」
 反射的に言いかけたところで、清水の目がきらりと光ったことに気づいた渉は慌てて言い直す。
「僕のイメージって、どんな」
「だからー、先生はお前のこと頼りにしてるしー......いっつもクラスの中心にいて、誰にでも優しくて、勉強も出来て、彼女もいて、なんつうか、完璧?」
 指折り数えて自分の中の『清水睦』像を伝えると、清水は眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をした。
「誰それ。僕じゃない」
「そうか?でも俺が見てるのはそんなんで......」
「長谷川」
 また遮った。ついでに肩を抱き寄せられる。
「これから文化祭に向けて、僕と長谷川は協力していく仲だ。そうだろう?」
「うん?......それは、まあ......」
 何が言いたいのかよくわからないが、協力してもらわないと困ることは違いない。
 主に困るのは自分の方だと、渉は良く理解している。
「今までは長谷川がいろんなことに消極的で接点なかったけど、これからはもっと親しくなるわけだし、親交を深めるためにもマックに行こう」
 こういうところが真面目で律儀だと思う。
 今まで接点なかったのだから、放っておけばいいのだ。
 おそらくこの男が本気になれば、自分がいなくとも文化祭は成功するだろう。
 渉はゆっくりと頭を振った。
「却下。迎えが来てるから今日は帰る」
「迎え?......へえ、彼女?」
「違う」
 少しだけ、どこか感じの悪そうな声のトーンが変わった。
 いつも爽やかな清水っぽくない。
 前を遮っていた腕をくぐって廊下に出ると、少し後を清水がついてくる。


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