インナモラートの微熱2度02
ベンチには渉だけが腰を下ろし、清水は残りを買ってくると言い残してフロアの中に姿を消していく。
清水が消えて、ようやく渉は人心地着けた気がして大きく息を吐く。
「俺を誤解されたくないって、なんだよ......」
額に手を当てて俯く。
今更だ。どうして急に今になって清水に自分を言い繕いたい気分になるのだ。
平祐は周囲の人間には不良と思われていて、唯一つるむ渉も自分が似たような評価を与えられていることを知っている。
でも清水にはそう思われたくない。
どうして。
「あーもう!」
考えているとろくな結論にたどり着かないと、渉は頭をがしがしと掻いた。
一人きりになったことで落ち着いたが、これ以上ここに留まっていると精神的に良くない。
清水に全て任せきりにするのも良くないだろう。
渉は立ち上がると、清水の携帯に電話をかけた。
『長谷川どうした?具合は?』
電波を通して聞く清水の声は、いつもに増して優しさと甘さを含んでいる。
......なんて、単なる錯覚だ。
高鳴ってうるさい胸を、渉は手で押さえ込むことでやり過ごした。
「平気になったから、俺も行く。今どこ?」
『いっこ上の階のエスカレーターの近くにいるよ』
「わかった、探す」
電話を切るとベンチの側にあった階段を上がる。
エスカレーターに近づきながらきょろきょろと清水を探していると、すぐに長身が目に入った。
棚の前で材料のパイプを見比べている。
声をかけるために早足になりかけると、唐突に誰かが清水に抱きついた。
こげ茶の髪色で背を向けられている渉には顔も見えないが、男だということはわかる。
清水よりも若干身長が高い。
「むっちゃん!なにやってんのこんなとこで!」
やや興奮しているのか、清水に抱きついた男は大声だ。
誰だアイツ。
清水に抱きつくというその行為に、渉は無意識に眉間に皺を寄せていた。
「有馬さんこそなにやってんですか?」
清水は驚いたようだったが、顔見知りらしく男を振り払う様子もない。
親しげなその光景を目撃して、渉は足を止めて様子を伺った。
振り向け。俺に気づけ。
いくら渉がそう思っても、清水は離れたところにいるわたるには気づかなかった。
「んー?ガーデニングの材料買いに来た」
「まだハマッてんですか。うちのベランダジャングルにしても飽き足らず」
「あれだけ広いベランダ、活用しない方がもったいないよー?」
緩い喋り方をする男を鬱陶しそうに見やった清水は、絡みつく腕を解きにかかっている。
が、清水が嫌がれば嫌がるほど、男はべったりと張り付いているようだった。
それでも本気で嫌がれば振り払えるだろうに、清水はその状態を許している。
のが、渉は気にいらなかった。
ぎゅっと拳を握り、刺さった爪の痛みではっと我に返る。
指先はひどく冷えていた。
「離してください。重い」
「いやあ、むっちゃん大きさ大体一緒だからさー。気分味わってエネルギー補給?」
「は、......馬鹿じゃないですか」
もがく清水を押さえ込んだ男は、嬉しそうに清水のうなじに顔を寄せて、何かをした。
清水が苛立った声を出して、今度こそ強く男を押しのける。
「いい加減にしてください!」
首の後ろを押さえながら男と向かい合って睨みつける。
そこでようやく、男よりもさらに離れた位置に立っていた渉に気づいた。
「長谷川」
清水は男を無視し、呆然と立ち尽くしていた渉に早足で近づいてくる。
「あん?ああ、オトモダチと一緒だったの」
男は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、さらりと渉の全身を眺めた。
まるで、品定めされている気分になる。
不愉快さに男を睨みつけると、にへらと楽しそうな笑みを向けられた。
男は黒パーカーにカーゴパンツを履いて、ごつい指輪と派手なブレスレットをしている。
不健康そうな白い肌に、やや眦の下がった瞳。
少し長めの前髪をくるっと指で巻く仕草をする。
なんだ、この男。さっきとは違う意味で気分が悪い。
渉には真面目な清水との接点がわからなかった。
「むっちゃーん。紹介してその子」
寄るな。と思っているのに男は近づいてくる。
清水は小さくため息のついた。
「......長谷川、コイツ、俺の兄の友達で有馬さん。有馬さん、こっちはクラスメイトの長谷川」
「有馬詩音でっす、よろしくぅ。いつもむっちゃんがお世話になってますー」
軽く頭を下げ手を差し出してくる。
まるで清水の身内のような挨拶に頬が引きつりそうになった。
軽く手を握り返すと、へらへら笑う男から香るふわっと甘ったるい匂いを感じる。
別に甘い香りは嫌いではないが、この匂いは好きになれそうになかった。
匂いに密かに眉を潜めつつも「長谷川です」とだけ、声をひねり出す。
「むっちゃんの用事はー?」
「文化祭の買い出しですよ」
「......ああ、もうそんな時期かあ」
有馬がふっと懐かしげに目を細めた。
「そんなわけで、まだ買い出しの途中なんで失礼します」
渉以上になぜか不機嫌そうな顔をした清水が、それでも律儀に頭を下げて歩き出す。
自然な流れて手を掴まれ渉は目を見開いた。
渉はぴくんと反応したが何も言わないでいると、有馬はふっと口の端で笑った。
それを目撃した渉は訳のわからぬ羞恥にぐっと手を引く。
けれどより強く捕まれただけで、清水は手を離してくれなかった。
「あら俺お邪魔さまだね。じゃーまたあとでねーむっちゃん」
また、後で?
その言葉の意味が気になったが、ひらひらと手を振る男に見送られ、渉は引きずられるままに店を後にした。
清水は手を掴んだままただひたすらにどこかを目指して歩く。
まだ買うものもあったのに出てきて良かったんだろうかと、渉はぼんやり考えた。
たっぷり五分は歩いた。清水は駅から離れてビル街に向かっている。
斜め後ろから見る清水は恐ろしいほど無表情だ。
「清水?」
さすがに態度のおかしい清水が気になって、渉はそっと呼びかけた。
「あ」
はっとした様子で足を止めた清水は、振り返って渉を見つめる。
眉間に皺を寄せて、少し苦しそうな表情。
でも眼差しは強くて、わけもわからず渉は瞳を揺らしてしまう。
「......手、痛いんだけど」
「っ、悪い!」
ぽろんと渉の口から落ちた言葉に、清水はばっと手放した。
強くしっかりと握られたせいで、汗で湿ってる。
不愉快になってもいいはずのその感触。
......嫌じゃなかった。
渉は握られていた手をもう片方の手でそっと撫でた。